7 怪盗ジセン①

 俺たちの前で立ち止まったミシェルさんは、息を切らしながら言った。


「ジョセフィーヌの小物入れが、無くなったんだ」

「お母さんの小物入れが?」


 ヴィオレーヌの顔色も変わる。それと同時にキッと俺の顔をにらみあげた。


「まさか、あんたがとったの?」

「まてまて。話が分からん」

「とぼけないで。あなたを泊めた部屋にあったでしょ。ベッドの傍にあったテーブルのうえに。木製の小箱が」

「ああ……」

 思い出した。今朝、ゲームのパッケージに見立てて俺の顔面に落とした小箱だ。たしか、俺の顔面をしたたか打った後、そのままベッドの上に転がっていたと思うが……。

 ヴィオレーヌは胸ぐらをつかんでくる勢いで俺に詰め寄った。

「あれは、お母さんの形見なの。大切なものなの。返して」

「いや。俺じゃない。お前も一緒にいただろう」

「それなら……、とにかく探さなくちゃ」


 道具屋に駆け戻って二階のあの部屋を探したが、小箱はどこにもなかった。もちろんベッドの上にも。

 ヴィオレーヌは胸を抱くようにして、しばらく考え込んでいた。暮れかけた窓辺にたたずむ彼女の姿は、輪郭が光でぼやけていて、細くて何だか頼りなく見える。何かぶつぶつつぶやいていたかと思うと、彼女はやがて顔をあげ、改まった表情で俺の顔を見据えた。


「どうやら誰かが盗んでいったようね。家臣タケルよ。次の任務よ。盗人を捕まえて。小箱を、取戻すのです」


     〇


 陽はもう屋根の陰に隠れ、空に浮かぶ雲が茜色に染まりかけている。家々の煙突から立ち上る煙を見上げながら、俺は昨日も同じように途方に暮れながら同じ景色を見ていたことをうんざりと思いだしていた。


 村人とのコミュニケーションが取れない俺は、聞き取りをヴィオレーヌにお願いして、道具屋の周囲に残されているはずの手掛かりを探し回っていた。しかし、どんなによく見ても、そんなものはどういうわけか少しも見つからない。俺の観察が足りないだけか。俺はコミュニケーションが苦手だが、観察力も自信がない。注意力が足りないと昔からよく言われてきた。我ながらどうしようもない奴だと思うが、それで悪いかという反発もないわけではない。


 そもそも世の中は何かといえばコミュニケーション能力とうるさすぎる。まるでその能力が足りない奴は死ねと言わんばかりだ。きっと、人とのコミュニケーションに苦手意識を持っている人だって大勢いるはずなのに。


 そんな愚痴をこぼしながら俺はもう一度、自分のなけなしの注意力を振り絞って、道具屋の周囲の地面を観察した。

 足跡なんかはもちろん残っていない。壁際には植え込みがあるのだが、そこも乱れてはいない。俺は二階を見上げる。窓はどの部屋も閉まっている。ベランダやバルコニーはついていないので、窓から飛び降りたなら開けっ放しになっているはずだ。やっぱり飛び降りたのではないと結論づけるほかないと思う。一階には店舗部分にしか窓はない。だけど、店にはミシェルさんがいたというので、表から誰かが出入りしたのではないことはわかっている。


 じゃあ、どうやってあの部屋に入り込んだんだ。そしてどうやって道具屋から出ていった。


「どう? 何かわかった?」


 声をかけられて振り向くと、ヴィオレーヌが疲れた様子で突っ立っていた。


「残念ながら、何も。そちらはどうだ」


 俺の問いに彼女は首を振って、


「怪しい人物の目撃情報はなかった。宿に宿泊した客は昨日今日はいない。ただ……」

 そして背後に視線を向けながら、困惑気味に言った。

「様子がおかしいの」


 彼女の話によると、三つある村の出入口がみな、自警団や領主の私兵によって封鎖されているということだった。こんなことは、戦争の時ぐらいにしかないらしい。しかし今、アルフール王国は外国と戦争はしていないという。


「ひょっとしたら……」


 ヴィオレーヌが何かに思いあたった様子で口を開いた時だった。槍を手にした男が広場に駆け込んできた。彼は手を口に当てて、声を張り上げる。


「山賊が責めてきたぞ。女子供は避難しろ」


 山賊だって? そんな物騒がものがこの近くにいるのか。

 そんなことを考えながら茫然と突っ立って周囲を見渡す俺の手が、強い力で引っ張られる。ヴィオレーヌだ。彼女はしかりつけるような口調で早口に言った。


「はやく! 隠れるわよ」


     〇


 かすかに地面が響いている。馬のいななき、男たちの掛け声が時々、遠くから潮騒のように流れてくる。しかし、戦況はどうなのかわからない。俺とヴィオレーヌとミシェルさんが逃げ込んだ道具屋の物置小屋の中は真っ暗で、外の様子を知る由もない。まだ陽は落ちていないのか、もう夜になったのかどうかも。わかるのは、まだ戦いは続いていて、どちらが負けたわけでもないということだ。


「いいのかな。俺は一応男だけど、隠れていても」

「いいのよ。あなたは私の家来なんだから、私とお父さんを守りなさい」

「ああ、天使様。どうかお守りを」


 そんなことを言われても、ここまで山賊がやってきたら二人を守れる自信は全くない。自分自身が生きていられる気だってしない。


「それにしても、山賊が攻めてくるなんて物騒な土地だな」

「最近、村の西側の山地に根城をつくったらしいの。でも、この村が攻められるのは初めてよ。警戒はしていたけど、どれだけ数がいるかはわからない」

「大丈夫か。村の自警団と領主の私兵だけで勝てるのかよ」


 俺はそう言いながら、周辺を手探りする。とりあえず石を集めておこう。あと、棒みたいなものも。できれば長いものがいい。使いこなせるかわからないけど、ないよりはましだろう。接近戦になった時、スタンガンで剣に勝てる気はしない。

 しかし俺の手はなかなか石も棒もつかむことができなかった。何せ暗い。少し焦りながら手を伸ばしていると、石の代わりに柔らかい何かをつかんだ。


「ちょっと。どこ触ってんのよ!」


 ヴィオレーヌの鋭い声が闇を裂く。それと同時に空を切る音が耳元をかすめ、続いて強い力で後ろへと押された。


「危ねえ。見えないのに暴れるなよ」

「暴れるわよ。闇に紛れて、信じらんない。このスケベ」

「スケベじゃないし、そもそもお前に興味なんて……」

「しっ。静かに」


 ミシェルさんの落ち着いた呼びかけで、俺とヴィオレーヌは黙り込む。静寂が戻ったところで、おもむろに彼は語り掛けてきた。


「何か物音が、しませんか」


 物音? 遠い戦闘のさざめきとヴィオレーヌの喚き声のほかに何が、と思いながら俺は耳を澄ませてみる。

 十秒ほど息を殺すようにしていると、かすかに、ほんのかすかに物音がした。小屋の奥の方だ。はじめはネズミとか猫とかかと思ったが、どうもそうではなさそうだった。なんだか、鼻をすする音によく似ている気がする。ひょっとして、他に避難者がいるのだろうか。


「おい。だれか、いるのか」


 俺はささやきかけてみる。返事はない。さっき微かに感じた気配が消える。

 ひょっとして、敵か?

 俺はゆっくりと懐に手を差し入れる。手が、フラッシュライトを握る。


「へ……えっくショイ!」


 派手なくしゃみの声が小屋に響く。それと同時に俺は、奥の闇に向けて秘密兵器、超強力5300ルーメン(適当)のライトを照射した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る