6 家来になりなさい③
「石を集めてきたわよ」
息を切らせながら抱えた石をジャラジャラと地面にこぼしたヴィオレーヌは、腰に手をあてて怪訝そうに俺を見た。
「これで、何をしようというの?」
地面にしゃがんで石の山の中から手ごろなひとつを拾った俺は、彼女を見上げて、片頬をあげてみせる。
「こうするんだよ」
そう言い放って立ち上がり、振り返りながらそれをダイオウバチの1匹に向けて投げつけた。
石は一直線に標的へと飛んでいき、見事にハチのどてっぱらに当たる。殺虫剤を吹きかけられた蠅のようにあっけなく、その巨大なハチは地面に落ちる。
1匹。また1匹。
投げるたびに、俺の手から放たれた石はハチを叩き落していく。ものの数分で、俺たちの行方に立ちふさがっていたハチどもは、残らず地面にその骸をさらしていた。
石投げは俺の数少ない特技だ。一人ぼっちで、近所の河原で石を投げて遊んでいるうちにいつの間にかうまくなった。まあ、百発百中と言っても過言ではあるまいと自負している。現実の世界では使いどころがないので何の自慢にもならないが。でも、まさかこんなところで役に立つとは思わなかった。
まだ木陰からダイオウバチが現れるかと身構えていたが、新手が姿を見せることはなかった。とりあえず、安全は確保されたようだ。
手にしていた石を地面に投げ捨て、手をはらいながら俺はようやく一息ついた。
「やれやれ」
「あなた。投石の使い手だったのね。意外だわ」
いつのまにか隣に来ていたヴィオレーヌが、腕を組んでダイオウバチの死骸を眺めながら感心したようにうなずいている。そして一言、
「うむ。よくぞやった家臣タケルよ。褒めてつかわす」
こんの、小娘ぇ!
〇
ダイオウバチのいなくなった草原はのどかだった。降り注ぐ朝の陽光を散らして、緑の草たちが優しげにささやく。
光の粒のゆれる泉のほとりに、さっそくヴィオレーヌはしゃがみこんだ。
「ところで、その薬草は何に効くんだ」
「精力増強。貴族や金持ちたちに人気なの。ここ以外は遠い西方の山の中でしか採れない。都で仕入れようとしたら、ものすごい出費になるわ。これを、村の領主や金持ちに売りつける。きっと高い金で買ってくれるわ」
そう言いながら彼女は、引っこ抜いた草の、根っこを俺にみせてくれた。けっこう太い根だ。どことなく、男のアレに似ているような気がする。
「この根の部分を使うのよ」
ヴィオレーヌは説明しながら、根っこを軽くはたくようにして土をはらった。
それを見ていた俺はなんだかちょっと切ない気持ちになる。おいおい。ソレをそんなふうにぞんざいに扱うなよ。もっと大事にしてやってくれ。
「俺も、手伝うよ」
「いいの。あなたは見張りをしていて。またダイオウバチが現れるかもしれないから」
ヴィオレーヌが薬草の採取にいそしむ間、俺は彼女の傍らでボケっと突っ立って過ごした。ダイオウバチはもう、姿を見せることはなかった。どうやら倒した6匹ですべてだったようだ。
暇なので、結局俺はヴィオレーヌの手伝いをちょっとだけすることにした。彼女が引っこ抜いて積み上げた薬草の根っこから土をはらい、かごに入れてやる。ただ、それだけだけど。
作業をしながら俺は時々ヴィオレーヌの顔を盗み見た。水面に反射した光が、彼女の横顔を照らしながら波のように揺れている。それはまるで、その白い肌自体が光をはなっているようで、不思議な透明感があって、神秘的にすら見えた。しかし、どういうわけか、念願の薬草を手に入れたというのにヴィオレーヌの表情は少しも嬉しそうではなかった。
〇
「おまえ。なんだか、つまらなそうだな」
それを訊けたのは、薬草を採り終わって森の小道をひきかえしているときだった。
もう日も傾いてきていて、斜めに差し込む橙色の光が、木の幹に縞模様をつくっている。
「つまらなそうに、見える?」
「せっかく、高価な薬草を手に入れたんだろ。もっと、嬉しそうにすればいいのに」
ヴィオレーヌはうつむきながら答える。
「こんなこと、喜ぶほどのことじゃないから」
その態度を見て、俺は少々腹が立つ。人を危険な目に合わせておいて、そんな言い草があるかよ。
「じゃあ、何をしたらお前は喜ぶんだ。お前の望みはなんだ。お前はどうして、家臣なんか欲しがった。お姫様ごっこがしたいなら、もっと安全なことをやれよ」
「遊びなんかじゃない!」
言い返してきたヴィオレーヌの剣幕に、俺は思わず言葉を飲み込んだ。
そのとおりだ。と思う。きっとヴィオレーヌは真剣だ。だって、彼女はやがて大勢の家臣を従えて、この国を牛耳ることになるのだから。
ヴィオレーヌは眉を逆立てて俺をにらんでいる。その瞳に宿る強い光がわずかに濡れているようにみえた。
「すまない」
俺は素直に頭を下げる。
「私が家来がほしいのは……」
ヴィオレーヌはまたちょっと顔を伏せ、黄色い木漏れ日のゆれる小道の先を見つめながら言った。
「出世がしたいのよ。都に行きたい。きっと私はまだまだこんなもんじゃない。こんなところで終わりたくない。自分がどこまでやれるのか、挑戦したい。だけど、お父さんは反対しているの」
「家来ができれば、行かせてもらえるのか」
「ええ。連れがいるなら、説得できる。それにお父さんは、あなたを天使だと思っているから。それだけじゃない。協力者がいれば、私一人ではできないこともできる。今回の薬草採りのように。だから、家来が必要なの。あなたにも悪いようにはしない。私は……」
そしていったん口を閉じ、ちょっとためらってから、彼女は宣言した。
「私は、いつか貴族になるんだから」
その横顔に、午後の橙色の陽が当たる。泉の反射光よりも強く。眩しく。その時初めて、ヴィオレーヌの表情に生気が、希望が、喜びが灯ったように俺には見えた。
「どうしたの?」
きょとんとしている俺に、ヴィオレーヌは不審そうに話しかけてくる。
「真面目な顔して聴いてくれるとは思わなかった。笑わないの?」
「笑ってほしいのか」
「村のみんなは、笑うから。笑わなかったのは、あなたが初めて」
「それは……」
俺は心の中だけで苦笑する。そりゃあ、何も知らない村のみんなはそうだろう。でも、俺は知っている。この娘がその希望以上の地位につくことを。そして、その先は……。
ふとこの時俺は思った。俺の知っているこの事実を、今この娘に伝えたらどうなるのだろう。貴族になると分かって彼女は喜ぶだろうか。しかし自分が処刑される運命にあると知ったら、貴族を夢見ることをやめるのだろうか。
結局俺は未来のことは言えなかった。未来なんて、きっと知らない方がいい。そんなこと知ってしまったら、きっと辛くなるだけだから。今を生きれなくなってしまうように思うから。
「俺は、きっとなれると思うよ。貴族に」
「いらないよ、励ましなんか。本当はわかってるんだ。無謀な望みだって」
気づくともう、森の出口にたどり着いていた。
石造りの壁や、木組みの屋根がなんだか懐かしく感じられる。砂まじりの風も。俺は腕を広げて大きく深呼吸をした。その隣で、ヴィオレーヌが一言、小さな声でつぶやく。
「……ありがとう」
聴き違いか。ヴィオレーヌがお礼を言うなんて。俺の知ってる彼女は、人に感謝するような奴じゃない。
俺がもう一度聞き返そうとした時だった。遠くから、俺たちを呼ぶ声がした。見ると、こちらに駆けてくる人物がいる。小太りのおじさん。ミシェルさんだ。
ミシェルさんの表情にはいつもの温厚な笑みはない。額に汗を流し、ただならぬ様子で彼は叫ぶ。
「大変だ!」
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