2.身代わり

  転生物語が読まれる要因の一つとして、自分の代わり、ということも挙げられるだろう。読者はままならない自分の境遇の代わりに、異世界で大活躍する主人公に思いをせる。

 そもそも、物語自体がそういう性格を持っているが、転生物語はより一層、その傾向が強い。

 能も同じである。能が生まれた室町時代は応仁の乱に始まって、戦いの時代であり、落ち着くひまのない緊張が続く時代だった。武士も一般庶民もままならない自分の境遇の代わりに、大活躍する物語の主人公達に思いを馳せた。自分の代わりに大活躍して貰い、すっきりするわけである。

 日本では自分の代わりに何かがなされる、そういう文化のある国である。例えば、流しびな。自分達の身代わりにけがれを被って貰い、流して穢れを払うというもの。

 自分達の身代わりに穢れを払う、というのは旧約聖書のアルザルの山羊にも似たような風習がみられる。

 私は転生物語も、一種の穢れを払う行為に似ていると思う。物語の内容によっては、復讐ふくしゅうを果たすものもある。つまり、自分達の代わりに復讐を果たすのであるが、復讐するということは、場合によっては相手を殺すことであり、穢れを負う行為である。

 人を呪わば穴二つ、という言葉がある。人を呪うことは相手の命を奪うことであり、呪った相手の命を奪うと同時に、己の命も同時に取られる。だから、墓穴は二つ用意しておかなくてはならない、つまり、死にたくなかったら人を呪うな、ということである。

 人を呪うことも、穢れを負う行為である。

 昔は悪口と書いて“あっこう”と読み、戦の時にしか言ってはいけなかったという。つまり、敵に呪いをかけ、呪いによって敵の志気をくじこうというのだ。そのためか、日本語の悪口のボキャブラリーは少ないそうである。

 それでも、気がつけば現代ほど、簡単に人を呪っている時代もないだろう。悪口という名の呪う行為を繰り返し行っているのだから、現代人はよほど穢れていると言える。大量に“死ね”とか“馬鹿”などと並べてメールで簡単に送りつけたり、送られてくる時代である。誹謗中傷ひぼうちゅうしょうを苦にする人は多い。

 実際に悪口は、人の脳神経細胞を傷つける猛毒なんだそうである。逆に、感謝すると脳細胞が増えるそうである。人の体が一番、言ったことを体現しているような気がする。つまり、言霊ことだまである。

 日本人は昔から、“言霊”を信じてきた。言った言葉が本当にそうなる、というものである。これは悪いことばかりではない。例えば、てるてる坊主を吊るして歌を歌い、明日の天気が晴れるように願う。口で歌ったから、“言霊”によって天気が晴れるということを信じて歌った。

 また、笑う門には福来たるという言葉もある。実際に一年の終わりに、住民が寄り集まり、笑って来年が良い年であるように願う祭りをしている地域もある。

 神社で祝詞のりとを上げるのも、同じ理由である。平安貴族は歌をんだ。せっせと歌を作って詠んだのは、この世が歌によって平安であるように願うためである。そして、言霊によって実際にそうなるようにするための、彼らの仕事の一つでもあったのだ。

 今でも歌会始で天皇陛下は歌を詠まれるし、日本国歌は古今和歌集から詠み人知らずの歌を選んだものらしい。日本国民は国歌を歌うたびに、国の平安と安寧を言霊によって実現されるようにしているのである。他国の国歌のように戦争シーンが出てこないのは、戦争を歌えば戦争になるからだろうと考えられる。

 転生物語がもてはやされるのも、無意識のうちに穢れを払って貰おう、自分の身代わりに大活躍し穢れを負う行為を行って貰い、自分の穢れを取り除いて貰おうとしているのかもしれない。

 そもそも、異世界ファンタジーの世界観、能でいうなら夢幻能の世界観そのものが、リアルである現実世界の“穢れ”を負ってくれる“身代わり”の世界なのではないだろうか。

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