1.敗者復活

 転生物語は敗者復活の物語である。現世では何の取り柄もなかった主人公が、何かによって死に、転生した異世界で大活躍する物語だ。

 実は能の夢幻能というジャンルも、敗者復活の物語である。現世では悔しい思いをして死んでしまった人が、お坊さんの夢の中やなんかで、イフの物語を語ったり、私はこうしたかったんだ、と語ったりして大活躍する物語だそうである。

 これがまず、『転生物語』と『能』の共通点である。

 考えてみれば、日本には『判官贔屓ほうがんびいき』という言葉がある。史実では源判官九郎義経みなもとのほうがんくろうよしつねは死んでしまうのだが、歌舞伎などの演目で大人気の人で、凧揚たこあげの凧の絵などにも描かれている。

 現実では負けてしまう人の主人公の物語が、日本人は昔から好きだったのだ。

 つまり、『転生物語』は、最初から日本人の遺伝子に合った物語だった。遺伝子の中に『判官贔屓』がすり込まれているものだから、転生物語もすんなり受け入れられた。

 しかも、敗者復活の視点からいけば、その起源は能よりも古い。平安時代のかの有名な絵巻物語、『源氏物語』も敗者復活の物語ではないかと言われている。光源氏の実際のモデルは、藤原氏に負けた人ではないか、ということが以前、新聞に書かれていたと記憶している。

 つまり、勝者が敗者の物語を書かせる理由として、菅原道真すがわらのみちざねのように祟られたら困るからである。転生物語は祟りをしずめる物語でもあるのだ。

 祟るという観点からいけば、その起源は実は菅原道真よりも古いかもしれない。歴史作家の関祐二氏が指摘しているように、飛鳥時代にまでさかのぼるのではないか。乙巳いっしの変で蘇我入鹿が死んだ後、飛鳥の都では鬼が出没して、人が死んだという。この鬼は殺されて非業の死を遂げた蘇我入鹿そがのいるか、もしくは蘇我蝦夷そがのえみしではないかとうわさされたそうである。

 昔から、日本人は祟りを怖れた。それが転生物語の根底にはあるような気がする。

 祟られないために、敗者には物語の中で大いに活躍してもらうのだ。そして、現世で果たせなかったことをして怒りを静めて貰い、平安な世であることを願うのである。

 能が生まれて発展した時代も、室町時代から戦国時代であるが、もしかしたら、現代も後世になれば、戦国時代並みに戦いの時代なのかもしれない。

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