「俺のもん」
「戻ってくるの早かったね音禰さん」
「その様子だと、失敗したな」
「だねぇ」
テーブルにおでこをつけ、明らかに落ち込んでいる音禰を見下ろし、織陣親子は溜息をついた。
「でもまさか、誘うまで行かないとはな……」
「まさに先手必勝」
「笑えないからな」
二人の会話が聞こえていないのか、音禰はなんの反応も見せず、テーブルにつっぷし続ける。
今三人がいるのは、パステールの休憩所。お持ち帰りのお客さんは入れ替わりに来るが、それでもそこまで忙しくない。
真陽留が音禰の様子を気にする余裕はあった。
「なかなか手強い。分かっていたけど」
「つーか。その後ゴリ押しすればよかったんじゃねぇの?」
「聞いてすら貰えないでしょ」
「たしかにな。はぁ……」
二人がため息をつくと、音禰がゆっくりと顔を上げた。その表情は何かを追い詰めているように見え、二人は心配そうに眉を下げる。
「私、相思のなんなんだろう。妻のはずなのに、話すら聞いて貰えない。もしかしたら、相思は私に遠慮して、好きでもないのに責任を取るため、私を選んだのかな」
「それは無いだろ。そんなことあいつがするわけが無い」
「でも、じゃなかったら私と一緒にいる理由は何? もしかして、ただの家政婦とか思われてるのかな……。私、わかんない」
泣きそうに瞳を揺らし、顔を俯かせている音禰に、真陽留は右手を伸ばし顔を上げさせた。
「音禰、あいつが何を思っているのかはわかんない。いつもそうだ。あいつが何を考え、何を思っているのか、僕達には分からないし、あいつ自身教えてくれねぇ。でも、最終的にはいつも僕達は笑っていた。そうだろ?」
「…………うん」
音禰と目を合わせ、真陽留は彼女の震える手に自身の手を重ねた。
「なら、信じてみないか? あいつを」
真陽留の優しい言葉に、音禰が頷いた時。
パステールのドアが開かれ、鈴の音がなる。店員が挨拶をするが、入ってきた人物はガラスケースへは向かわず、真っ直ぐ音禰達の所へと歩く。
「真陽留、ありがっ──」
三人は、そんな人物が近づいていることなど気づかなかったらしく、顔を合わせ笑いあった。だが、直ぐにその笑顔は凍り付き、一瞬にして真っ青になった。
「よぉ真陽留。人のもんと楽しくキャッキャウフフしていたみたいだなぁ。楽しかったかぁ?」
「そ、相思……」
明人は無表情で三人を見下ろしており、その瞳はなぜか怒っているように見える。
今の彼の服装は、いつものポロシャツとジーンズではなく、黒いタンクトップの上にジャケットを着ており、袖は捲っている。
下は黒いパンツにスニーカーを履いていた。
いつもと違う服装に音禰は見惚れてしまい、頬を薄く染め見上げている。だが、その手は真陽留と重なっており、彼は直ぐに手を離す。
「なんで相思がここに?」
「…………不倫か音禰。いい度胸じゃねぇか」
「え、不倫? 誰と──真陽留?!」
最初は分からなかったらしく首を傾げたが、ここには明人以外に男性は真陽留しか居ないと気づいたらしく、すぐに否定した。
「違う違う!! というか、真陽留も奥さんいるから!!」
「ダブル不倫か。これは終わってんなぁ。俺が入る隙はないということか」
「違うってば!!」
必死に否定するも、明人は不機嫌そうに顔を逸らし腕を組むばかりだ。
音禰は何とか言い訳を並べているが、どれも明人の耳には届いていない。
その様子を見ている真陽留が呆れたようにジィっと彼を見上げ、ため息をつく。
「男の嫉妬は見苦しいぞ」
「…………嫉妬じゃねぇ」
「いや、思いっきり嫉妬だろうが。安心しろって、僕は奥さん一筋だからな」
「たりめぇーだわ」
そんな会話を聞いていた音禰と真恵は顔を見合せ、ふふっと笑った。
「ところで、相思さんは何しにここに? いつもと違う服まで着て」
「これは無理やり想安に着せられたんだよ。たくっ、めんどくせぇな」
「え、想安が?」
真恵がキョトンとしていると、明人かいきなり音禰の右手を握り、立ち上がらせた。
「え、ちょ、相思?!」
「んじゃ、俺のもんは返させてもらうぞ」
明人がそう言い残し、二人はパステールを後にした。その姿を残された二人は、手を振り見送った。
「素直じゃねぇな」
「みたいだねぇ。ところで、今日はお母さんお店にいるのにあんなことしてよかったの?」
「見られていなければセーフセーフ」
そんな会話をしていると、背後に何かを感じたのか、真恵は後ろを振り向いた。すると、先程より顔を真っ青にして口をパクパクとさせている。それを見た真陽留はキョトンとしており、同じく後ろを振り向いた。
「ん? どうしっ──」
そこには、般若の面を被った真陽留の奥さんが、腕を組みながら立っていた──
「…………終わった」
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