第4話 屋敷への潜入

 時は真夜中を刻もうとしていた……。

 街を覆う闇の中に、ひときわ大きな屋敷が浮かび上がっている。

 サンタローサの大商人・ルドルフの邸宅兼倉庫だ。


 屋敷の門前や敷地内には多くのかがり火がたかれ、何人も通さぬように警備の傭兵が随所に立ち、警戒の目を光らせていた。その中には昼間の広場に来ていた二人組の男たちの姿もあった。

 しかし、光があれば闇があるように、建物と人の視野にもわずかな暗闇と死角が出来る。その死角を縫うように移動する黒い影がひとつあった。


 灰色のローブに身を包んだ影は、屋敷の主が日中に執務を行っている部屋の近くまで来ると物陰に息を潜めた。

 部屋の扉の前には二人の警備兵が油断すること無く立ちはだかっている。


 ――二人か……、よしっ……。


 影は懐から金属製の棒のようなものを取り出すと、ゆっくりと斜めに振り下ろした。

 風の音のような小さく高い音が一瞬だけ鳴る。

 風が、いや空気自体が固まったように無音の世界になった。

 二人の警備兵もまるで時間が止まったかのように立ち尽くしている。

 懐へ不思議な棒を戻すと、灰色のローブを纏った影は音も無く二人の間をすり抜け、扉を開けて堂々と真正面から部屋の中に忍び込んだ。

 扉が音も無く締まると、程なく警備兵たちは、まるで何事も無かったかのようにあたりを見回し警備を続けた。自分たちが意識を失っていたことすら気が付いていないようだ。


 影が部屋の中を見回すと、豪華な来客用の長椅子とその奥に大きな執務机が目に入った。華やかな調度品もあるが、商人の執務室らしく質素で実用的な作りとなっていた。見せびらかすように華美でないあたり、商人としては優れた才覚を持った人材なのであろう。


 影は金目のものには目もくれず、真っ直ぐに書類の入っている棚へ向かった。

 棚の引き出しにはガルギア連邦との武具買入契約書、イシュア国内の農作物売買実績、盗賊都市ロアンヌへの通行手形や北の砂漠を超えたベルーム公国の入国許可証まである。

 奴隷の売買実績や使用人の名前が書かれた書類の束に目を通し終わるも、目的のものは見つからない。


 ――奴隷でも無いのか? だとしたら奴の個人的な買い取りか……。


 執務机の鍵がかかった引き出しを手際よく開けると、中から小さな小箱が出てきた。影にはその表面に描かれた紋章に見覚えがあった。

 ――オルシエール家の紋章――

 小箱の中には、小さな鍵とこの館の主ルドルフの名がレビン・オルシエール・ヴァーデンベルグの身元引受人であると記載された書類が折り畳まれて入っていた。

 その内容を見て、影の主は思わず声を漏らす。


「これは? 奴隷契約や買取では無い、正式な身元引受人としての書類だ……。どういうこと?」


 刹那。

 背後から猛烈な殺気を感じ、影は爆ぜるように前方へ飛んだ。

 ブンッと、先ほどまでいた場所の空気が歪んで見える程の勢いで長剣が振られた。

 黒い影は危うく切っ先を避けると、長剣の主と対峙した。


「これをかわすか……。並の盗人では無さそうだな」


 長剣の主は少し楽しそうにつぶやいた。


 ――この人かなり強い……。まともにやり合ったらまずそうだ。


 男はかなりの大柄で体格も良い。普通の戦士では扱いづらいであろう、両手剣を苦も無く振るった。なによりも背筋が凍り付くほどの威圧感を発している。


「あなたの相手をするつもりは無いよ……」


 影はそうつぶやくと、小箱を懐に入れ、入ってきた扉に全力でぶつかり外の廊下へと飛び出した。



 ******



 背後から突然の衝撃を受けた警備兵たちは、もんどり打って庭へと転げ落ちる。

 状況の把握出来ない警備兵たちを置き去りにして、盗賊は身にまとった灰色のローブをはためかせながら廊下を駆け抜ける。

 屋敷内は異常を察知してか、ざわめき声が聞こえ始めた。


 ――クッ、早く脱出しないと。


 中庭を駆けると、そのままの勢いで外壁を飛び越えようとした。

 だが、視界の片隅から何かが飛んで来るのが見え、慌てて身をひるがえす。

 盗賊が足をかけようとした目の前の壁面に、激しい音を立てて鉄製のメイスが突き刺さる。


「ちくしょう! 避けやがったか!」

「ふぅ、壁の補償代を請求されるかも知れませんね……」


 声のする方を見やると中庭に二人の男たちが現れた。

 一人は老け顔の強面で、背は低いが筋肉質で髭さえあればドワーフ族のようにも見える。

 もう一人の男は長身で細身、柔和な顔つきの優男といった感じだが、その右手には鞭状のものが握られている。

 昼間の二人組だ。


「おいロス、手を出すなよ。こいつは俺の獲物だ」


 低身長の男は、拳に鉄鋲が付いた手甲を嵌めた両拳をひらひらさせながらローブ姿の盗賊に近づいていく。


「はいはい、セッツさん。後ろで見守っていますよ」


 ロスと呼ばれた長身の男は、半ばあきれ顔で肩をすくめた。


「ドワーフのおじさんには用は無いから、簡単に終わらせてもらうわ」


 盗賊がそうつぶやくと、セッツはみるみるうちに顔を紅潮させた。


「てめえ……。俺ぁ、こんななりだが、ドワーフって言われんのが一番許せねぇんだよ!!」


 セッツは怒りに任せて二発三発と拳を振るう。おおよそ武術とは言えない自己流であろうが、剛腕と言って良いほどの速さである。しかし、灰衣の影はひらりひらりと身をかわし、拳を避ける。


「ちょこまかと逃げやがって!」


 セッツは壁に突き刺さっていた鉄槌を引き抜くと、力任せに薙ぎ払った。

 ふわりと宙を舞い、鉄槌を避ける盗賊。

 勢い余ったセッツは再び壁を破壊する。


「クソッ……」


 セッツは鉄槌を上段に構えると、狙いをつけて力任せに振り下ろした。

 盗賊は素早く間合いを詰めると、振り下ろす鉄槌の勢いを殺さずにセッツの手首を極めながら、体勢を入れ替えて空中へ放り投げた。

 セッツと鉄槌が宙を舞うと、そのままの勢いで壁に叩きつけられて崩れ落ちる。

 瓦礫に埋もれた怪力男は起き上がる気配も無さそうだった。


「ふぅ、やっとおとなしくなったか……。あなたはかかってこないの?」


 残るロスの方を振り返った瞬間、視界がはじけて顔を覆っていたフードが切り裂かれた。

 破れたフードの隙間から、はらりと垂れる黒い長髪。

 鋭いまなざしと美しい顔つきがあらわになる。その娘・キャロルの右頬には赤い線が一筋ついていた。


「その身のこなしと体格から想像はつきましたが、やはり昼間の踊り子さんですね……」


 ロスは鞭を構えなおすと冷静に問いただした。


「名前をお聞きしましょうか?」


 無言を貫く少女へロスは質問を重ねる。


 ――しくじったな、こいつの方が厄介だったか?


白銀ラプラタ……」


 少女は頬の血を拭うと、邪魔にならないように長髪をまとめ上げる。


「この衣装、一応精霊の加護を受けているのよ。こんな簡単に切られる代物じゃないわ」


 ラプラタの口元が少し緩んだように見えた。


「ラプラタ? 白銀ラプラタですか? 最近聞くようになった盗賊の名ですね。非殺の義賊とも聞きますが?」


 右、左とロスの鞭が走る。

 空気を切り裂く音よりも速く、鞭の先端が少女を襲う。

 ひらりと身をかわすラプラタ。


「いくら速くても、正面ならば躱せないものでは無いわね」

「流石ですね」


 ロスも楽しげにつぶやいた。


「おっと。もう少し遊びたいところですが、邪魔が入ったみたいですね……」


 二人が屋敷の廊下へ視線を移すと、長めのマントを羽織った寝間着姿の男と共に、先ほど室内で対峙した長剣の男が姿を現した。他にも大勢の警備兵たちが集まり始めている。

 ロスは鞭を腰に納め、気絶しているセッツの具合を確かめると、他の兵たちの間に姿を消した。


「そこまでだ、盗賊よ。何を盗み出した?」


 中心にいる壮年の男が歩み出てラプラタに向かって声をかけた。

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