第3話 宿屋にて

 イシュア王国の北部の町・サンタローサ。

 北方に広がる砂漠地帯の玄関口でもある自由都市ロアンヌへと続く街道沿いの町で、行商人の集団や旅人も多く通過するイシュア王国北部最大の町である。


 そのサンタローサの町の外れにあるレンガ造りの平屋の建物。軒先には、宿屋と刻まれた木製の看板が風に揺れている。建物と同じく年季が入っており、今にも風に負けて落ちそうだった。

 ここはキャロルが常宿にしている宿屋の一室。キャロルは部屋の前に置いてあった水の入った木桶を抱えて中に入る。窓がひとつだけの狭い部屋の中にはベッドの他、机と椅子があるだけだった。歩くごとに床が小さな悲鳴を上げる。お世辞にも高級とは言えない部屋だ。


「まぁ、こっち来て座りなよ」


 椅子の背もたれを乱雑に叩き、部屋の入り口立ったままの少年を座らせた。

 キャロルは少年に顔と手足を洗わせると手早く傷の手当を施していく。さいわい傷は深いものではなく、歩くのにも支障は無さそうだった。

 手枷は鍵がないと外せなかったが、いまのところ擦り傷などもなかったので取り敢えずそのままにしておいた。

 キャロルが勢いよくベッドに腰かけると、細かいほこりが部屋の中に舞い上がる。


「それで、泣き虫坊っちゃんは自己紹介ぐらい出来るのかな?」


 改めて少年の顔つきを見るとまだ幼さが残り、体つきも華奢でこれから成長期を迎えるであろうと思われた。


「……僕はレビン。レビン・オルシエール・ヴァーデンベルグと言います」


 少しうつむきながらも少年は礼儀正しく自己紹介をした。


「オルシエール? まさか、あのガルギア連邦の!?」


 キャロルは少年の意外な言葉に驚きの声を上げた。


「はい、ご存じですか?」


 少年は見知らぬ土地で知り合いにあったかのように顔を明るくした。

 キャロルが驚くのも無理は無かった。

 オルシエールと言えば、隣国ガルギア連邦を形成する六都市のひとつである鉄都・オルシエールのことであり、その都市の公爵家こそが名門オルシエール家であった。


 ――たしか、大規模な鉱山を管理していて、ドワーフ族を従えるなど、ガルギア連邦の中でもかなり有力な貴族だったハズ……。

 キャロルは早くも値踏みをしながらレビンの姿を見る。

 ――私の目に狂いはなかったネ。お金の気配をヒシヒシと感じるよ……。

 少年の上衣は薄汚れてはいるものの、やはり平民ではまず着ることの出来ない上質で高級なものに見えた。顔つきは端正で、言葉遣いからも育ちの良さがにじみ出ている。貴族出身というのもあながち嘘では無いだろう。


「へぇ。じゃあ、どうして貴族様があんな所で男たちに追われていたんだ?」


 キャロルはまだレビンの話を鵜呑みにせず、質問を続けた。

 恐る恐るキャロルの顔を見つめるレビン。その表情は捨てられた子猫のように怯えている。

 ――まぁ、実際に路地裏で怯えていたんだけどね……。

 キャロルは少年の様子を見て相好を崩した。

 レビンは一度深呼吸をすると、ゆっくりと話し始めた。


「オルシエール家はガルギア連邦の中でも特に、練兵と武器の増産に力を入れているのはご存じですか?」


最近のガルギア連邦内にはキナ臭い噂が漂っている。鉄都の公爵が連邦を支配して、はるか東方のエイセッス王国のような軍事国家にしようと画策していると言う噂だった。


「まぁね。ガルギア国内を移動したことがあれば、大体の奴は知っているでしょ。領地内だけじゃなく門都や政都でもオルシエール家の紋章を付けた戦士を多く見かけるからね。あいつらの検問はしつこいから嫌いなんだよ」


 もううんざりと言わんばかりにキャロルは肩をすくめる。


「領内の男子は十四歳になると全員徴兵されて、数年間は軍で生活します。貴族の子どもたちも同じですが、オルシエール家では十四歳の誕生日に単身で所有している鉱山へおもむき、爵位継承者の証としてドワーフ鋼と呼ばれる鉱石を持ち帰る儀式があります。ですが……」


 そこまで言うとレビンは大きく息をついた。


「坑内で大規模な落石に巻き込まれ川に落ちてしまいました。かろうじて岸にたどりつき、命は助かりましたが、期限までにドワーフ鋼を持ち帰る事はできませんでした」


 少年は肩を落とす。


「それで? そのドワーフ鋼とやらを持ち帰るのに失敗したらどうなんだ?」


 キャロルは何となく答えを察していたが、あえて質問してみた。少年の顔は今にも泣き出しそうに見える。


「……我が家訓は厳格で、嫡子としての立場を剥奪され追放されます……。大体、他国や国外の商家などに養子として出される事が多いようです。現当主の父はしきたりに厳しく、僕を許してくれませんでした……。僕はロアンヌの商家へ引き取られる事になりましたが、到着した日の晩にその家が夜盗に襲われて捕まり、そのまま手枷をされてこの町へ……」


 自由都市ロアンヌは盗賊都市と呼ばれるほど治安が悪い。市内の大半が貧民街であり、奴隷商人や人身売買組織も身を隠さず生活している。キャロル自身もロアンヌの出身であり、誘拐や強盗・殺人を日常的に目撃することがあった。昨日まで一緒に遊んでいた友人が次の日にはいなくなることも珍しい話では無い。

 そんな環境下で旅芸人の一座に買われたのは幸運でしか無かった。


「なるほどね。早い話がお前はオルシエール家から追放されただけじゃなく、この町の商人ルドルフに奴隷として売られて、挙句の果てに屋敷から逃げ出した訳だ?」

「そう……なります……」


 レビンはうつむき肩を震わした。握りしめた拳の上は熱いもので濡れている。

 ――なんて運の悪い奴だ。この分じゃオルシエール家に届けても金は貰えなさそうだな。ルドルフの屋敷に引き渡して金銭を請求するのもいいが、昼間の男たちに従うみたいで癪にさわるし……。

 キャロルはひとしきり思案すると、ベッドから立ち上がった。


「とにかく、わたしに出来るのは、今夜一晩この部屋で匿ってやることだけだ。この町での仕事も終わったし、明日になればここを出ていく身だからな」


 いつの間にか、レビンの顔は涙でぐしゃぐしゃになっている。


「とにかく今日はこの部屋で休みな! 明日になれば状況も変わっているかも知れないだろ。夕食になるものを買ってくるから、絶対にこの部屋から出るなよ!」


 レビンをベッドに座らせてぶっきらぼうに言うと、キャロルは夕飯を買いにいくために部屋を出て扉を閉めた。

 部屋の中からはすすり泣く声が聞こえて来る。

 キャロルは頭をかくと面倒くさそうにため息をついた。


 この地域では奴隷の売買が正式な商売として認められていた。奴隷には身分を示す手枷がはめられ、所有者を証明する証文が発行される。主人は証文が有る限り奴隷の所有者として権利を主張できるし、奴隷は手枷がある限りまっとうな生活を送ることは出来ない。手枷の鍵が壊せないのは先ほど確認済みだった。

 ――おそらく証文と手枷の鍵はルドルフの屋敷だろうな。昼間の様子だと、この町にいたらいずれは見つかって連れ戻される可能性は高い……となればやるしかないか。


 キャロルは大きくため息をつくと、取り敢えず二人分の夕食を調達しに街へ出かけて行った。

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