第2話 路地裏にて
――わたしより少し年下かな……。
キャロルは暗闇に目を凝らし、路地裏の物陰にうずくまる少年を見た。
少年は癖のある金髪で顔は埃にまみれているが、なかなか端正な顔立ちの美形に見えた。好事家にとっては堪らないのだろうが、生憎とキャロルにそんな趣味は無い。
踊り子の少女にとっては異性よりもお金の方がはるかに大事だった。
暗がりで怯えているようにみえる少年の身なりは汚れているものの、生地や仕立ては良さそうだった。ただ、少年の手には奴隷の金属製の手枷が見える。
奴隷。穢れし者として扱われ、僅かな金銭のみで人足や小間使いとして売買されていた。イシュア王国内でも契約を司る女神クリシスの御名において正式に取引が認められていた。
普段は奴隷に見向きもしないキャロルであったが、少年の風体からどことなく漂うお金の匂いを感じた。
「あんた、こんな所でどうしたのさ? どっからか逃げてきたのか?」
そう言いながら、少年に近づこうとしたキャロルの背を何者かがいきなり弾き飛ばした。
布袋から溢れた硬貨が派手な音を立てて路地裏に散らばっていった。
******
小柄な男が激しく肩を上下に揺らす。あまり走り慣れていない様子で顔が真っ赤に上気している。
「ハァ、ハァ。やっと見つけたぜ、このガキが! 手間取らせやがって!」
薄暗い路地裏に怒鳴り声が響く。その怒声に驚いてネズミ達が奥の方へと走りっていく。
「貴方はルドルフ様に奴隷として買われたのです。おとなしく屋敷へと戻った方がいいですよ」
そう言いながら、長身の男が少年へ手を差し伸べる。
裏路地へ現れたのは、先ほど広場でキャロル達とぶつかりそうになった二人組の男達だった。
一人は背は低いものの筋肉質で太い手足と厚い胸板が特徴的だ。髭もはやし、ドワーフ族と間違えられてもおかしくはない風体だった。
もう一人はひょろりとした長身で腰に鞭を巻き留めている。小柄な男とは対象的に気弱で優しげな表情をしていた。二人とも安物の衣服の上に傭兵が好んで使う革鎧を身に着けただけの軽装だった。
「いやだっ! 戻りたく無いよぉ……」
少年は泣きじゃくりながら、長身の男の手を払った。
「てめぇ! 人が下手に出りゃあ、いい気になりやがって!」
気の荒い小柄な男が少年の頬を平手打ちすると、弾き飛ばされた少年は勢いよくゴミ箱にもたれかかった。
「セッツさん、止めて下さい。顔に傷跡が残ったらルドルフ様に何を言われるか……」
「うるせぇ、ロス! お前は黙っていればいいんだ!」
「しかしですね、セッツさん……。そうやって短気を起こすから前の依頼者からも……」
ロスと呼ばれた長身の男は、小柄な男・セッツの後ろから両肩に手を置き、なだめるように言い聞かす。
セッツは首を回してロスの顔を見上げると、軽く舌打ちをした。
「あぁん? ちょっと顔かせや」
セッツはロスの鎧の首元を握り引き寄せた。
指先の力だけでロスの踵が浮き上がる。筋肉質な体型ではあるが、見た目以上に力があるようだ。
二人の男の顔が近寄る。
「なぁ相棒。最近、俺のことなめてねぇか?」
――ねぇ――
「いえいえ。そんなことは……」
ロスは苦笑いをしながら両手を上げ首を左右に振る。
――ねぇ? ねぇ、聞てる?――
「ふーん、なら良いんだけどよう……」
セッツはロスのことを睨みながらも手を離した。
「ねぇ! ちょっとあんた達! 人を無視して話を進めないでよ!」
二人が怒声に気が付いて後ろを振り向くと、キャロルが怒りに肩を震わせながら立っている。
その手には拾い集めた硬貨の詰まった布袋が握られていた。
いつの間にか少年もキャロルの後ろへと逃げて座り込んでいる。
「あんた達ねぇ、何回わたしの大切なお金をブチ撒ければ気がすむのよ!!」
キャロルの瞳に怒気が燃えさかる。
一瞬、気圧されたセッツだったが、気を取り直すとキャロルの細い肩に手を乗せて言った。
「お嬢ちゃん、俺たちは後ろのガキに用があんだ。ちょっと、どいてくんねぇかな!」
「嫌よ」
キャロルはそう言うと、肩に乗っているセッツの手首を掴み、関節を極めながら軽くひねった。
刹那、セッツの体が宙を舞い、受け身も取れずに背中から路地裏に叩きつけられた。
「ッ、ウグッ…」
背中をしたたかに打ち付けたセッツは呼吸がうまく出来ずに立ち上がれない。
「あんたも、こうなりたい?」
キャロルはロスに向かってニッコリと微笑んだ。
「へぇ、ミリエル格闘術ですか? なかなかの腕前ですね」
ロスは先程までの弱々しい表情を消しさり、鋭い視線を送る。その手にはいつの間にか鞭が握られていた。
裏路地の入口には騒ぎを聞きつけた野次馬たちが集まり始め、様子をうかがっている。
ロスは倒れているセッツとキャロルを交互に見比べると、鞭を収め少年に向かって静かに口を開いた。
「レビンさん覚えておくことです。ルドルフ様は貴方のことを決して諦めませんよ」
そう言うとロスは動けないままの相棒を軽々と背負い、広場の人込みの中に姿を消した。
******
「ふー、まったく人騒がせな連中だったな」
路地裏に散らばった硬貨を全て拾い集めたキャロルは、大きなため息をついた。
広場に戻ろうとしたキャロルの裾を誰かが引っ張った。
散らばったお金を拾い集めることに集中しキャロルはすっかり忘れていたが、先ほどの少年がまだ路地裏から離れずにいたのだ。
「あっ、ありがとうございます……」
涙を浮かべた少年はキャロルの衣装を右手で掴みながら、消え入りそうな声でお礼を述べた。
キャロルはレビンと呼ばれていた少年を見下ろしながら言い放った。
「その手を放してもらえる? あたしはメソメソしている男が大嫌いなの」
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