第1章 二人の出会い

第1話 踊り子の少女

「――ハァ、ハァ、ハァ」


 真っ暗な街角の中、石畳に擦れるような足音を響かせながら走る小さな影。

 細い路地への入り口を曲がった瞬間、足がもつれてゴミ山へと飛び込んでしまう。

 したたかに打ち付けた膝を押さえるその手には、服従の証である金属製の手枷がはめられていた。

 薄汚れた衣服は走っている時に引っ掛けたのか、あちこちが裂けてしまっている。足の裏も皮がすり切れて血が滲んでいた。

 汗で乱れた金髪に血の気の引いた表情。

 

 少年だ。


「クッ。ハァ……」


 荒い息を吐きつつ、少年は仰向けに転がる。

 上を向いたその顔つきは埃にまみれていたが、少女と見紛うかのような美少年だった。狭い路地裏の中、見上げた屋根と屋根の間から星空が見える。


「どうして僕がこんなことに……」


 少年は何かを掴むように手枷の付いた両手を夜空へ向かって伸ばすと、そのまま意識が薄れていった……。



 ******



 東の空が赤く染まり始め、朝陽を受けたレンガ造りの壁が黄金色に輝きだす。

 早朝のひやりと澄んだ空気をまとう街角に、少しずつ活気が戻ってきた。

 町の中心にある石畳で覆われた小さな広場にも、露天商が軒を並べ始める。

 行き交う人々は足を止めて商品を眺め、何やら店主達と話し込む。


 サンタローサの町は春祭りの真っただ中だった。


 街には普段から広場にいる露天商に加え、多くの行商人や旅芸人が集まり持ち寄った特産品や己の芸を披露していた。

 その中で、広場の一角に幾重もの人垣ができていた。

 弦楽器と太鼓の音に合わせて、黒髪の少女が舞っている。


 キャロル。


 観客からはそう呼ばれていた。

 年のころは十五・六歳ぐらいだろうか。汗が滲むその表情はすでに大人びている。

 首の後でまとめた黒髪と日に焼けた褐色の肌、長身ですらりと伸びた手足。白を基調とした麻で織られた衣装からは腰回りや太腿の柔肌があらわになっている。

 両腕に通した複数の腕輪が乾いた音を立てる。いわゆる旅の踊り子といった風体だ。しかし、踊り子にありがちな派手さは無く、むしろ神殿で舞う巫女のような清らかな雰囲気を漂わせている。


 彼女が舞台に立ち、銀の小笛をそっと唇に当てて吹き始めると柔らかな音色が高らかに響き渡った。

 キャロルは春の祭りにふさわしい、春の訪れを告げる三女神の舞を披露した。


 美と愛の女神ミリエル。

 法と裁きの女神クリシス。

 戦神乙女カルザミーナ。


 妖艶さと情熱を体現するミリエルの舞。流れるような美しさを見せるクリシスの剣舞。そして民衆の中でも人気が高い半人半神カルザミーナの冒険譚を演じる。


 一挙手一投足、指の先端から観客への視線まで意識されたキャロルの舞はこの日も多くの人を魅了した。広場にいる物売りの少年すら手を止めてその舞を見つめる。彼を含めた観衆は呼吸をすることも忘れたかのように釘付けになっていた。


 静かにキャロルの舞が終わると、わずかな静寂ののちに大きな拍手と歓声が沸き上がった。それとともに大量の硬貨が投げこまれる。

 観衆に満面の笑顔を見せながら何度も深々とお辞儀をすると、手早く硬貨を拾い集める。キャロルが投げ銭用の布袋を持って観衆の方へ近づくと、さらに多くの硬貨が集まった。


 キャロルの手にずっしりと硬貨の重さが伝わる。

(踊っている時も幸せだけど、お金の重さを感じる時が最高に幸せ……)

 キャロルは顔を伏せながら、かすかに口角を上げる。

 このお金こそがキャロルのような旅芸人の命綱だった。国中が平和であり、演奏と踊りを見聞きしてくれる人々がいてこそ、彼らの存在意義があった。


 ******


「キャロルお姉ちゃん! 今日も見に来ちゃったよ!」


 金髪のおさげ髪に、まん丸な可愛らしい青い瞳をした花売りの少女が、その目を輝かせながらキャロルに話しかけてきた。

 キャロルは商売道具であり相棒でもある精霊銀の小笛を腰に差すと少女に近寄った。


「ローナ! まったく、しょうがないなぁ。ホント、毎日来てくれて嬉しいけど、あまり遊んでいると親方にどやされるぞ?」


 口は悪いがその眼差しは優しい。

 キャロルはローナの頭の上に手を乗せると優しく髪をなでた。

 嬉しそうな表情を見せた幼女は銀の小笛を見つめて不思議そうな顔をする。


「ねえねえ、お姉ちゃんがその笛を吹いていないときにも、キレイな音が聞こえていたのはどうしてなの?」

「ん? これかい? この笛には不思議な魔法がかかっているから、振っただけでも音が鳴るように出来ているんだよ」


 そう言って踊り子が銀の小笛を振るうと軽やかな音が鳴り響いた。

 キャロルは基本的に一人で各地を回っているが、町や会場によっては今回のように演奏家を雇うこともある。だが、この笛を使えば伴奏から踊りまで一人でまかなうことも可能だった。

 太鼓のような獣の皮を張った箱を片手に抱えた男が声をかける。


「キャロルさん、そろそろ片付けて撤収しましょう」


 あぁ、と顔を上げたキャロル。その視界には少し場違いな男たちが見えた。

 二人組の男たちは革鎧を身に着け、誰かを探すように広場に入ってきた。

 小柄でガッチリした体形の男と長身の男の二人連れだ。


 強引に人混みの中をかき分け進む二人組。明らかに祭りに参加している人々とは挙動が違っていた。

 買い物を楽しんでいた男性が小柄な男に突き飛ばされて転んでしまうが、二人組は見向きもしない。


「おい、ロス! いたか?」


 小太りの男が息も絶え絶えに長身の男に話しかけた。


「いいえ、姿は見えませんね」


 長身の男はさほど息を切らさずに答えた。


「くそぅ、あのガキどこにいきやがった!」


 キャロルがその声に気が付いて顔を向けると、二人の男が人込みを縫いながら近づいて来るのが見えた。


「ローナ! 危ない!」


 後から迫る二人組に気が付かない花売りの少女を抱きかかえて避けたキャロルだったが、その拍子に持っていた布袋を落としてしまい硬貨が音を立てて石畳に散らばる。


「あっ! わたしの硬貨がっ!」


 キャロルは手をつきながら立ち上がると二人組の背中を睨んだ。


「ちょっと! あんたら、危ないじゃないの!」

「あぁ、すみません!」


 キャロルの怒声に、後ろを走っていた長身の男が振り返りながら答えた。


「まったく何なのよ! あいつらは……。怪我しなかった? 大丈夫?」


 キャロルは硬貨が散らばった方向をしっかり視界に収めながらローナの花かごを拾ってあげる。

 受け取った花かごを大事そうに抱えながらローナは小さくお辞儀をした。


「私は大丈夫だよ。お姉ちゃんが庇ってくれたから……」


 演奏家の男が硬貨を拾いながらキャロルに近づく。


「キャロルさんは怪我していませんか?」

「あぁ、わたしも大丈夫だよ。あーもう、あっちの方までお金が散らばっちゃったじゃない……」


 キャロルはそう言うと、周りに落ちた硬貨を拾いながら細い路地の入り口に近づいた。

 路地裏に置かれたゴミ箱に当って止まった硬貨を拾おうと腰を屈めるキャロル。

 他にも硬貨が落ちていないか路地の奥に視線を送ると、暗がりに置かれたゴミ箱の陰に座り込む人影が見えた。


 それは小柄な少年だった。

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