第5話 傭兵王

「そこまでだ、盗賊よ。何を盗み出した?」


 寝間着姿にマントを羽織った男。

 この屋敷の主で、イシュア国内でも有数の豪商でもあるルドルフは凄みを利かせながら睨みつける。


「一人の奴隷を解放しに来たの……」


 懐から先ほど手に入れた小箱を出して見せるラプラタ。

 ルドルフの顔色が変わる。明らかに狼狽している顔だ。


「ッ……貴様、それがどれだけ大切なものか分かっているのか! それとも何者かの差し金か?」

「普通の奴隷売買では無さそうだけど、本人が嫌がっている以上、見捨ててはおけないわ。あの子は解放させてもらうよ」


 ルドルフの表情の変化を見逃すこと無く、ラプラタは小箱を落とさぬよう懐へ戻した。


「その小箱を置いていけば、見逃してやってもいいぞ」


 ルドルフがそう言うと長剣の男が前に出てその刀身を抜き、切っ先をラプラタへ向けた。


「イヤよ、いくら噂の傭兵クロードに脅されても譲れないわ」


 ラプラタも懐から銀色に光る棒を取り出し構える。

 その動きに合わせて、笛からかすかに心地よい風の音が鳴る。


 ――傭兵クロード。最近この辺りに流れてきた凄腕の傭兵と聞いた。どこかの国の元軍隊長とも元将軍とも噂されている、盗賊にとっては抑えておくべき危険人物よね……。


 暗闇の室内では確認出来なかったが、月明かりの下ではその容姿もはっきりと分かる。

 大柄な体にはち切れんばかりの隆々とした筋肉。余裕のある態度を見せながらも、眼光は鋭く警戒は怠らない。相当な場数を踏んでいるとラプラタは判断した。


「たしか、二つ名は傭兵王でしたっけ?」

「周りが勝手に呼ぶだけだ……。傭兵王と知った上でそれを返さぬつもりか?」

「盗賊の意地にかけても、一度盗んだものは返さない。まぁ、あなたと勝負しても、負ける気はしないけどね」

「そこまで言い切るとは、大した自信だな。たしか、白銀ラプラタと言ったか? この国に来てすぐに噂は耳にしたぞ。盗賊ギルドにも属さない凄腕の盗賊だとな」


 まさかこんな幼い少女だとは思わなかったが……と、思わずつぶやく。


「私も、こんな場所で噂の傭兵さんとかち合うとは思ってもいなかったわ」


 ラプラタの手元が光る。手にしていたのは銀色に光る笛だ。


「傭兵は報酬さえ貰えればどこにでもいく。ただし、俺の命が危うくなったら、依頼者を切り捨ててでも逃げ出すがな。金よりは命が惜しい」


 傭兵王はルドルフを一瞥する。

 ルドルフはその覇気に押され、無意識に一歩後ずさりをした。


「なら早くこの場から立ち去るべきよ……」


 不敵な笑みを浮かべるラプラタ。


「それは、どうかな?」


 クロードの長剣がわずかに動き、月明かりを反射する。

 ラプラタはいつ切り込まれても良いように、ゆっくりと身構える。


「魔法の杖か何かは知らないが、そんな棒切れでこの剣を受けられると思うか?」


 剣を握るその手に力がこもる。周りの警備兵たちは声も出ず、遠巻きに見守ることしか出来ない。


「ハッ!」


 クロードが声を発すると、素早く間合いを詰める。

 振り払った刀身が、少女をなで切りにしたように見えた。が、手応えが無い。


「盗人だけあって素早さは一級品だな」


 クロードの背後に回り込んだラプラタは、銀色に光る笛を振るうも長剣でやすやすと弾かれてしまう。


「ひ弱すぎるな」


 ラプラタは傭兵王の連撃を笛で丁寧に捌くが、力任せの一刀に体ごと弾き飛ばされてしまう。


「どうやら戦闘は得意では無いようだな?」


 追い打ちをかけるように長剣を振り下ろすクロード。


「なら、これはどうかしら?」


 ラプラタは太刀筋を見極めると、素早く身を寄せ、先ほどセッツを投げたときのように腕を取って投げようとした。

 その瞬間、天地が逆転した。

 ラプラタの体が宙を舞ったのだ。


「……!」


 空中で体をひねると、なんとか足から着地し、地面に激突をすることは避けたが、思わず片膝をついてしまう。


白銀ラプラタとやらも噂ほどでは無かったな」


 クロードは長剣の切っ先を少女に向けて言い放つ。


「剣術・体術ともに俺のほうが上だ。凄腕の盗賊と言うのも、運の良さと逃げ足の速さのおかげか?」


 ラプラタは膝のほこりを払いながら静かに立ち上がった。


「そうね、力だけではとても敵いそうに無いわ。だけど、これはどうかしら?」


 そう言うとラプラタは銀色の笛を横に構えた。


風の精霊ウブトゥよ! その爪で彼の者を引き裂け! 疾風ベンダバール!」


 一陣の風が白い刃となって傭兵王に向かって走る。

 クロードは風の刃を叩くように長剣を薙ぎ払うと衝撃で大きく砂煙が舞った。

 二人の戦いを見守っている兵たちから悲鳴に近い驚きの声が上がる。

 砂煙の中から傭兵王が飛び出し剣を振り下ろす。

 その剣筋を見切るとラプラタはひらりと舞い距離を取った。


 風の精霊魔法をもってしても傭兵王には僅かな切り傷しかついていない。

 ラプラタはその様子を見ると銀色に光る小笛を剣のように構えた。

 その動作に合わせて心地よい風の音が鳴る。

 クロードは、先ほどの戦いの最中も同じ音が響いていたことに気が付いた。


「何なんだ、その貧弱そうな武器は?」


 ラプラタは銀色の笛を横にして口を添える。息を吹き込むと軽やかな音が周囲に響いた。


「これは音の精霊から貰った精霊銀の笛」


 笛から口を離して答える。


「その笛がお前の名前の由来か……。それがどうした?」


 せせら笑い余裕を見せるクロードだが、対してラプラタの顔は恐ろしいほどに真剣な表情になっている。

 ラプラタは笛を剣のように見立てて流れるような動きで打ち込む。

 それを危なげなく長剣で受けるクロード。構わず打ち込み続けるラプラタ。

 同じことを繰り返すうちに傭兵王は妙なことに気が付く。

 ラプラタが一振りするごとに軽やかな笛の音が聞こえるのに対して、長剣で笛を受けたときに衝撃はあれども全く音が聞こえないのだ。

 通常であれば衝撃と共に金属音が鳴り響くはずなのに全く無音だ。

 逆に笛の音は今や一つの曲を奏でているかの如く鳴り響いていた。


 ――これは?。

 クロードは異変を感じて距離を取る。

 試しに剣を振っても、地面を蹴っても音が聞こえない。

 周囲を見ると、ルドルフや警備兵たちが宙を見たまま呆けたような表情をしている。


「やっと気が付いた?」


 無音の世界にラプラタの声が響く。


「一体、何が起こっている?」


 クロード自身の声は聴こえたが、次第に体が重く感じてきた。


「あなたと私以外の全員、夢と忘却の世界へ足を踏み入れているのよ」

「なんだと!」

「この笛は、音の精霊から貰った、この世にひとつしか無い笛なの。そして、この笛の音を聴いたものは眠りに落ちて、その前後の記憶は夢のように霧散するわ。あなたも同様にね」


 慌てて耳をふさぐクロード。


「無駄、この笛の音は精霊魔法よ。直接心に響くわ」


 クロードは眠りの魔法に対応するときと同じように、目をつぶり意識を集中させる。


聖音・夢想の調べエルスエニョ・ドゥルセ


 そう唱えると笛を吹き始めるラプラタ。

 周囲に軽やかな笛の音が満ちて兵士たちが次々と地面に崩れ落ちる。

 ラプラタが笛から口を離すと、月光の下に静けさだけが残った。

 ルドルフをはじめ警備兵たちは全員地面に突っ伏して寝息を立てていた。

 眠りから覚めたとき、今宵の出来事を覚えている者はいない。ラプラタ一人を除いて。


「さすが傭兵王ね。夢の世界に入っても立ち続けるなんて」


 ラプラタはただ一人立ち続けているクロードを見遣る。

 灰色のローブをかぶり直して顔を隠すと、ラプラタは壁の上に飛び乗った。


白銀ラプラタよ、どこにいく? まだ、俺は眠ってないぞ」


 声に驚き中庭を振り返るラプラタ。

 クロードはゆっくりとした動きながら少女の方へ向きを変える。


「無理をしないことね。眠らないように耐えるだけで精一杯なはずよ」


 ラプラタは驚きを隠さなかった。


「大丈夫だ。お前を捕らえるぐらいのことは出来る。といっても俺も無傷では済まなそうだがな……」


 クロードは剣を構え直す。


「たとえあなたが私を捕まえたとしても、他の方々は誰も今夜の出来事を覚えていないわ。この小箱が盗まれたこともね」


 フードの内側で微笑むと、懐に入っている小箱を確かめるように叩いた。


「クッ、傭兵は命が一番だ。深追いはしない」


 クロードは長剣を鞘に納めると、地面に腰を下ろした。


「おやすみなさい、良い夢を……」


 そう言い残すと少女は暗闇の街へと姿を消した。


 ――クソッ、また油断して負けた。もう同じ過ちはしないと誓ったのに……。


 クロードは庭に寝転がると目を閉じた。まぶたの裏に二人の顔が浮かぶ。


 ――性悪女とカエル野郎を思い出しちまった……。


 苛立ちがクロードの意識を覚醒させる。

 ふと目を開けると、視線の先に重なり合うように眠る男たちが見えた。


「あいつらをこのまま庭先に寝かせとく訳にはいかないか」

「お手伝いいたしますよ。傭兵王」


 優男がクロードを覗き込む。

 すぐ脇にロスが佇んでいた。


「お前、どうして?」

「私は普段から鞭の音に慣れているせいか、あの手の音には耐性があるようです」


 ロスはにこりと微笑むとクロードに手を差し伸べた。


 ――そんなものでアレが防げるのか……。


 クロードは訝しむが、おくびにも出さず立ち上がった。


「とりあえず皆さんを部屋まで運びましょう」


 ロスの背中を見つめる。傭兵王は男の腰に二本の大振りな短刀が隠されているのを見逃さなかった。


 ――こいつも何か隠していそうだな……。


 クロードは夜空を見上げると大きく息を吐いた。

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