『恋愛・大学生』彼の名前はレンタル彼氏

 山本やまもと和代かずよは真面目な性格だった。

 その真面目さは幼少期から二十歳に至るまで、親や先生のお墨付き。

 結果、同級生たちからは『優等生』という陰口を叩かれ続けていたものの、結局はそのスタンスを守り通した。

 そして、今では自他共に認める真面目で常識的な人間。バイト先でさえも変わらず、とにかく真面目を売りに生きて来た。

 だから、待ち合わせの際は約束より十五分は早く着く。

 普段であれば一番乗りのはずなのに、今回に限っては珍しく先を越されていた。


「早いね、和代」


 待っていた『彼』は少しだけ目を見張るも、すぐさま笑顔を浮かべて声をかけてきた。

 虚をくらったのは一瞬だけ。

 不意打ちを仕掛けたのは和代のほうなのに、早くも形勢逆転である。

  何故なら、いきなり呼び捨てにされて和代は戸惑っていた。


「……ごめん、待たせちゃった」


 とりあえず、生来の真面目さから謝るも意味はない。


「そんなことないよ。俺が楽しみで早く来ただけだ。ほら、まだ約束の時間まで十五分もある」

 

 わざわざ携帯の液晶画面まで見せて、彼――青井あおい龍斗りゅうとは否定する。


「それじゃ、少し早いけど行こっか?」


 龍斗は二つも年下の後輩。

 それなのに、微塵も緊張は感じられなかった。

 やはり、こういったことに慣れているのだろう。それは当たり前でわかっていたことなのに、和代は少しだけ残念に思う。

 それと同時に安心もした。

 矛盾しているかもしれないが、それが和代の本心であった。


「うんっ」


 だから素直に返事をして、龍斗に主導権を委ねる。

 高いお金を払っているのだ。楽しまなければ損である。


 たとえそれが嘘だとしても――三時間に限り、青井龍斗は山本和代の彼氏に相違なかった。




 小遣い稼ぎに始めたレンタル彼氏のアカウントに来たメールを見て、青井龍斗は目を見張った。

 流行っていると話題だったから個人で始めたものの、結果は半年でたったの二件。

 もはや、忘れてさえいたところに依頼のメール。

 しかも、相手の名前に見覚えがあった。


「……山本和代って先輩と同じ名前だよな?」


 山本という苗字は珍しくない。でも、和代という名前まで一致する確率はそうないだろう。

 更に言えば年齢も通っている大学も一緒。というか、最初のメールでここまで個人情報をさらけ出す真面目さからしても間違いない。


「なんで先輩が?」


 自分がレンタル彼氏をしていることは教えてある。見栄を張って、ウハウハだと嘘を吐いたことすら覚えている。

 そして、それを聞いた先輩が引いていたことも――でも、だったらどうして?


「……」


 龍斗は確認を取ろうかと思ったが止めた。

 絶対に先輩はわかっている。ここでの確認は臆病者でしかない。

 例えるなら、女に放っておいてと言われて本当に放っておくようなものだ。


 女の裏――本音を読み取れない男は大馬鹿である。理由は不明だが、先輩の目的はレンタル彼氏としての青井龍斗だ。

 そういう訳で龍斗は事務的なメールを返す。

 すなわち、値段と日程と時間の確認。

 一時間三千円で、飲食費はすべて女性持ち。


 果たして、返事はすぐに帰ってきた。

 相変わらず真面目な文面で、丁寧な文章だった。

 だから、龍斗も応えるように返す。当日のプランに指定があるかどうか。どのように呼ばれたいか。ボディタッチは有りか無しか、事細かに質問する。


「……何やってんだろ、俺」


 真面目で、少し世間知らずの先輩が相手なのだからいくらもで騙すことはできるはず。それこそ、ホテルにだって行けるかもしれない。

 だって、彼氏と彼女なのだから――そういうのを求めていたんでしょ? と、誘導するのは簡単だ。


 なのに、できなかった。

 だって、まだ先輩が好きだったから。


 青井龍斗が山本和代に告白して撃沈したのは、一週間前の出来事であった。

 振られた理由は至極単純で、既に付き合っている恋人がいるから。

 お気楽でチャラく振舞っていたものの、そこで押せるほど龍斗は強くなかった。

 結局、田舎から出て来た子供のまま。いわゆる大学デビューの少年では、振られた時点でおしまいである。


 髪を染めて、オシャレをしても内面はそう変わらない。

 事実、龍斗が好きになったのは黒髪で、あまり背が高くなくて、真面目そうな先輩だった。

 バイト先で優しくされたのが、きっかけである。

 ふざけていたら叱ってくれて、きちんとできたら褒めてくれる彼女が本当に大好きだった。


 だから、振られるとバイトも辞めた。

 というか、どんな風に顔を会わせていいかわからず、逃げ出してしまったのだ。

 もしかしたら、先輩はそのことを気に病んでいるのかもしれない。


「それはないか。だったら、俺の携帯に直接くるもんな」


 別に着信拒否もブロックもしていなかった。今でも未練がましく、先輩とのやり取りを読み返すことすらある。


「じゃぁ、どうして?」


 龍斗はそれが知りたくて、最後まで事務的にやり通した。

 また、当日もそのつもりでいた。見栄を張った以上、最高の『彼氏』を演じなければならないと、かつてない意気込みであった。

 その為、日程が決まった後は必死で勉強した。

 少女漫画を読み漁り、女子ウケするドラマや映画を見てキャラを作る。

 同様にデートプランも作成。更にはメンズエステや睫毛エクステなど。ネットで調べて、予算の許される限りのことを試した。


 そうして、当日。

 現れたのは本当に先輩で――それもオシャレで可愛くて、少しだけ見惚れてしまったけど、龍斗はどうにか体裁を整えることができたのだった。




「今日は一段と可愛いね」

 龍斗はそう言って、肩に乗っていた黒髪をすくった。そしてそのまま、毛先にそっと口づける。

 いきなりの行動に和代は面食らうも、

「うん。やっぱり、可愛い」

 彼は零すような笑みを浮かべて安心させてくれた。


 年下の可愛い男の子。

 和代にとって龍斗の印象はそういう後輩だった。

 けど、それは勝手な思い込みに過ぎない。

 事実、告白された際、可愛いとは微塵も思わなかった。年下の後輩相手に男を感じたし、少しだけ怖いとも思った。


 そして現在、『彼氏』となった龍斗は手馴れた男でしかなかった。


 当たり前のように肩を抱かれ、空いた左手も握られている。

 そこに安心感はない。

 年上の先輩の意地でどうにか冷静を振舞うも、心臓はバクバクだし手汗をかかないかどうか不安で一杯である。


「ごめん。俺緊張しちゃって、手汗凄いかも」

「……いや、私のほうこそ」


 もはや、和代は感心する気持ちでいた。

 レンタル彼氏なんて馬鹿にしていたのだが、これならお金を払うコがいるのもわからなくない。

 その後も幾度となく、龍斗は男ぶりを発揮してくれた。傍から見れば気障なのかもしれないが、間近だとそのように思う余裕すらない。

 とにかく近いし、褒めてくるのだ。

 

 そんことないって謙遜しても、

「えっ? うん、やっぱ可愛い」

 顔をぐっと近づけて至近距離から賛辞を浴びせてくる。


 ありがとうと返しても、

「和代に感謝されると、俺もすっごく嬉しい」

 無邪気な笑みをぐっと近づけてくる。


 はっきり言ってこれは駄目である。

 正直、身が持たない。

 今の恋人とは付き合って一年経つも、既に彼から褒められた回数を超えている気がする。

 食事だってこちらの意見を優先してくれるし、服を選ぶ際も一緒に選んでくれる。

 龍斗と付き合えば毎日が楽しくなるかもしれない。

 嘘とわかっていても、そんな風に思わせてくれるほど、彼とのデートは幸せだった。




 龍斗はデート中、ひたすら頭を回転させていた。

 油断すると、すぐににやけ面になってしまうからだ。

 先輩とのデートは幸せである。

 たとえ嘘でもこの光景を見れて良かったと思った。


 だから、褒めるのに抵抗はない。ただ、正直になればいいだけだ。

 今の自分は彼氏なのだから、これまで言いたかった大好きの気持ちをかき集めるだけで事足りる。


 それでも、終わりが近づくにつれて寂しくも感じた。

 この光景が当たり前の男に――彼女の隣を歩く男に、猛烈な嫉妬を抱いてしまう。


 誰にも渡したくない。

 このまま、ずっといたいと……。


 でも、それは許されない。今日の自分は本物じゃないから。嘘ではないけど、本物でもないんだ。

 本当の自分がもっと情けなくて、格好悪いことを知っている。

 今日のようなデートを毎日やれと言われたって、絶対に無理である。


 けど、もし先輩がそれを望んでくれるのなら――俺は頑張れる。

 無理でもやり通して見せる。


 それなのに……

「今日はありがとう。本当に楽しかったよ」

 先輩は当然のように財布からお金を出した。


「……いえ。こちらこそ」


 龍斗は泣きそうな顔でそれを受け取る。

 一万円を受け取ってお釣りの千円を返そうとするも、


「いいよ。取っておいて」

 先輩はそう言って、

「ねぇ、お金を渡したらもう私たちは恋人じゃなくなるんだよね?」

 見慣れた笑みを浮かべた。

 

 ちょっとだけ偉そうで、だけど許せてしまう可愛らしい表情。


「……いえ。駅までは彼氏として見送ります」


 龍斗は逃げた。

 もし、いつもの先輩と後輩に戻ったら――謝られてしまうんじゃないかと思って、言わせなかった。

 だって、先輩は悪くない。悪いのは彼氏がいると知っていながら告白して、振られたことを理由にバイトを辞めた俺だ。


「そう……」

 

 困ったように笑ってから、先輩は歩き出した。

 龍斗は隣を歩くも、もう手すら握れなくなっていた。


  そうして、改札前。

 意を決して、龍斗はずっと疑問に思っていた質問をした。


「……?」


 あなたが望むなら今日を本物にできる。

 お金のやり取りなんていらない。

 あなたの隣を歩けるのなら――あなたの為になら、俺はなんだってできる。


 そういった、想いの全てを詰め込んだ言葉だった。


 伝わったのか、先輩は小さく首を振る。悲しそうに、それでも涙は見せないで龍斗の質問に答える。


「うん。――


 意味はわからない。

 けど、先輩の顔を見たら龍斗は何も言えなくなった。

 今でも大好きだから――これ以上引き留めて、彼女を泣かせたいとは思わなかった。

 そうして、龍斗は彼女の背中を見送る。


「……駄目だな俺は。やっぱり、漫画のようにはいかないじゃないか」


 泣かせてやるべきだったかもしれないと、今更ながらに後悔する。

 まさか女に放っておいてと言われて、放っておく大馬鹿を自分がやらかすとは思ってもいなかった。




 電車の中で和代は何度も何度も、本当の彼氏とのやり取りを読み返していた。

 何故なら、山本和代は真面目な性格なのだ。

 だから間違っても、浮気や二股などしたりはしない。彼氏に落ち度や不満がないのに、別の男になびいてはいけない。

 それをしてしまったら、

 自分が馬鹿にして、見下していた同級生たちと同じになってしまう。


 親や先生のいう通り、真面目に生きて来た自分を間違いにしない為にも――


「ごめんね、龍斗くん。本当にごめんなさい……」


 和代はそっと、龍斗の連絡先を書き換えた。

 一週間、何度も頑張ったけど消すことができなかったのに……書き換えるのは簡単だった。

 もう、彼女の携帯に後輩だった青井龍斗はいない。


 そこに残ったのは『レンタル彼氏』という、業態名だけだった。

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