『恋愛・高校生』紅茶が美味しくなるまでの時間

 1か月ぶりに自分で淹れた紅茶を飲んでみて、近江おうみおとは思う。

 ――やっぱり好きだったのは紅茶ではなく、先輩だったのだと。

 場所は部室で道具も茶葉も淹れ方も同じなのに、その味は違って感じた。


「はぁ……」

 

 それでも飲めなくはない。というか、普通に美味しくはある。

 なので部室に白河しらかわ由衣ゆいがやって来ると、

「飲む?」

 普通に勧めた。


「……」

 由衣は差し出されたポットをじーと見つめたまま、動かない。


「どした?」

 音が水を向けると、


「いや、辞めたと思ってた人が部室にいて驚いてる」

 由衣は固まっていた理由を話した。

「しかも、真面目に活動してるし」

 

 ここは高校の紅茶クラブで、部員は2年生の2人だけ。

 ちなみに同好会でないのは1カ月前まで3年生が4人もいた為だった。


「悪いな、おまえさんの楽園だったのに」


「別に」

 由衣はそう言って、ピンク色のカップを手に正面に座った。


「確かロイヤルアルバート社のレディ・カーライルだっけ?」

「正解。よく憶えてたね」

「まぁな」

 

 先輩が1番好きなカップだったからとは言えず、音は誤魔化した。

 そんな少年の気持ちなど露知らず、由衣はカップに紅茶を注いでいた。


「うん、美味しい」

「そうか?」

「うん、美味しいよ」

 

 音は再び口を付けてみるも、

「……でも、先輩が淹れたほうが美味しかった」

 評価は変わらなかった。

「なぁ、白河も淹れてくれよ」


「え? 今から?」

 たっぷりと入ったポットを指さして、由衣は確かめる。


「そう、今から」


「まぁ、いいけど……」

 渋々といった具合に、由衣は立ち上がった。

 

 意外に素直だな、と音は驚きながらも観察に励む。

 まず電気ケトルでお湯を沸かす。

 その間に使う茶葉、ポット、カップをチョイス。選ばれたのはキームン。世界3大銘茶の中では知名度が最も低い中国の紅茶だった。

 もっとも、それはヴィクトリア女王に献上された紅茶で、今でも女王のお茶会で振舞われる高貴な逸品。

 もちろん、部室にあるのはそれとは比べものにならないほどの安物であるが。

 

 と、ここでメヌエットのメロディ。電気ケトルがお湯が沸いたことを教えてくれたので、ポットに注いで温める。

 しっかりと温まったら、お湯を別のポットとカップに移し、茶葉を入れる。

 キャディスプーンで1杯約4g、お湯を100倍の400㏄。

 お湯は高い位置から注いで空気を含ませて――とまぁ、自分が淹れるのと大差なかった。

 ただ、お湯を注いだ後――彼女は逆砂時計に手を伸ばした。


「……」

 

 それは砂が上から下ではなく、下から上にのぼっていくもの。

 音が先輩にあげたものだった。

 だけど、先輩はそれを部へのプレゼントだと勘違いしたのか……こうして置いてきぼりをくらっていたようだ。


「……」

 由衣はにらめっこをするように、その時計を見ている。

 

 先輩とは違う。先輩は本当に楽しそうに、幸せそうに見ていた。

 ――だって、紅茶が美味しくなる為の時間だもん。

 そう笑って、砂が上りきるのを見つめていた。

 

 もっとも、逆砂時計は結構アバウトで正確に計れはしない。

 だから音は――というか先輩以外――デジタルのキッチンタイマーを使っていた。

 だけど、由衣はデジタルを使わなかった。見つめ続け――前髪が目にかかったのか、慣れた仕草で流す。

 そうして大きな瞳を見開いて、じーと時計とにらめっこ。


「笑えばいいのに」

 音がそう言うも、


「うるさい」

 由衣は素っ気なかった。

 

 そんな態度だからクラスメイトにも怖がられるんだぞ、と忠告したくなるが止めておいた。

 そもそも、怖がっているのは阿呆な男子だけだったからだ。

 実際、音はそう思っていない。先輩たちと話す由衣の顔を知っていたからだろう。素直に笑い、困り、時に拗ねる少女の顔を1年以上見てきた。


「できた」


 気づけば5分。

 蒸らし終えた紅茶を茶こしに通し――別のポットに移してから、由衣は持ってきた。

 音が一息にカップの紅茶を流し込むなり、


「同じカップで飲むの?」

 由衣は嫌そうに訊いた。


「……わかりました。ちゃんと代えます」

 

 由衣が用意してくれたのは白磁に青い薔薇が描かれたカップ。


「えーと、これはなんだっけ?」


「エインズレイのエリザベスローズ。ちなみに、私が1番好きなカップ」

 嫌味っぽく付け足された言葉はスルーして、音は紅茶をすする。 


「美味しい。けど……」

「先輩とは違う?」


「あぁ、違う」

 先輩の淹れた紅茶のほうが美味しかったと、音は明言する。


「そうかな? そんな変わんないと思うけど」

 その判定が気に食わないのか、由衣は拗ねたように唇を尖らせた。


「なら、やっぱり……」

 そのらしくない仕草を見て、音は確信する。

「俺は先輩のことが好きだったんだな」

 

 由衣は驚いたように目を見開くも一瞬。

「――え? 今更? 自覚なかったの?」

 すぐにそんな台詞を吐いた。


「えっ? 傍から見るとあからさまだった?」

「うん。というか、皆知っていたと思う」

「マジ! 皆って、佳奈先輩も?」

「うん、知ってたと思う」

 

 今更ながら、音は恥ずかしくなる。

「そっか……」

 同時に辛い事実に気づいて落ち込む。

「俺……脈無しだったんだ」

 置いていかれたプレゼントを見て、察する。


「まぁ、たぶん」

 悪いと思ってか、由衣は小さな声で肯定した。

 

 それからしばらく沈黙。


「ねぇ、部活辞めるの?」

 根負けしてか、由衣がそんな質問をした。


「さぁ、どうするかな」

 そう言いながら気づく。

「でも、俺が辞めたら白河が1人ぼっちになっちゃうもんな」


「……は?」

「はって、事実だろ?」

「いや、先輩が辞めてから1ヶ月も放置していた後に言われると釈然としない」


「……男の子の気持ちをわかってやってください」

 茶化すように音は愚痴る。

「いや、実は昨日――街で先輩が男の人と歩いているのを見かけてさ」


「彼氏?」


「さぁ?」

 わからないけど、とても仲がよさそうだった。少なくとも、後輩として話しかけにいくことができないほどであった。

「だから、確かめたくなったんだよ」

 そんな2人を見て、何かが刺さったような気がしたから。

「でも、わかってたんだろうな本当は……」

 だから、部室に行かなかった。

 行けば思い知らされるから――先輩はいないのだと。

 もう会おうと思わないと、えない。

 話しかけにいかないと会話もできない。

 当たり前のことだけど認めたくなかった。知りたくなかった。

「ほんのちょっとの勇気でいけるのに。まだ同じ学校にいるんだから、会おうと思えば会えるのに……」


「……」


「そのちょっとの勇気すら、でないんだよな……俺」

 それを好きじゃないからと、言い訳にしていた。ヘタレな自分を認めたくなかった。部活動という用意された場がないと、自分は好きな人に話しかけることすらできないなんて――認めたくなかった。

「格好悪いよね、俺」


「……うん。それを今更、私に聞かせるのは格好悪い」

「あちゃー、痛いとこつくね」

「それぐらい許して。だって1ケ月……独りで、待ってたんだし」

 

 意地悪なのか本音なのか、わからない笑みを由衣は浮かべる。


「ずっと私はここで独り、紅茶を飲んでいた。先輩の味に近づけたくて、毎日毎日……飲んでいた」

 

 確かめるように、由衣はカップに口を付ける。


「うん、美味しい。絶対に負けてない」

 そして、急に自画自賛しだした。

「近江の紅茶、美味しいよ」

 と思ったら違った。

「ねぇ、もう1回チャンスを貰っていい?」


「チャンスって……?」

「私の紅茶を飲んで」

「それくらいなら、別にいいけど?」

「――本当? ちゃんと、わかってる?」


「……なぁ、また今度じゃダメかな?」

 彼女の真意に気づくなり、音は日和って逃げようとする。


「駄目。だって、近江はすぐ逃げるもん」

 返す言葉もなかった。

「勇気がなくて格好悪くて……すぐ逃げるもん」

 繰り返されるも、何も言い返せない。

「だから、今がいい」

 

 由衣は立ち上がって、もう1度紅茶の準備をする。

 その仕草を先ほどとはまったく違う気持ちで、音は見ていた。


「ねぇ、ちょっとだけズルしていい?」

 

 お湯が沸くまでの時間、由衣がそんなことを言いだした。


「……別にいいけど」

 

 照れくさくて、音はぶっきらぼうに返す。というより、ズルの意味がわかっていなかった。

 高い茶葉を使うのか? 程度の認識だったので、思いっきり不意を衝かれる羽目となる。


「ちょっとこれ持ってて」

 

 渡されたのは部室で1番高価なティーカップ。確かウエッジウッドのプシュケ。そう、ギリシア神話のキューピッドとプシュケの物語を構想に作られたシリーズで……


「――んっ」

 

 果たして、気づけば由衣の顔が間近にあった。

 音は反射的に避けそうになるも、手に持っているティーカップとソーサーがカチャカチャと音を立てるものだから、身動きひとつ取れなかった。


「……」


 その時間はどれくらいだっただろうか?

 メヌエットのメロディが流れると、何事もなかったかのように由衣はティーカップを奪い取り、紅茶の準備に戻っていった。

 だけど、今度はもう悠長に眺めていられない。

 音は唇に手を当てながら、どうすべきかを考える。盗み見るように目を向けると、由衣は早くも逆砂時計をひっくり返していた。


「ふっふ~ん」

 

 音の気持ちとは裏腹に、ご機嫌の様子。

 先ほどとは打って変わった表情で、下から上へと昇って行く砂時計を幸せそうに眺めている。


「……」


 紅茶が美味しくなるまでの時間。

 困惑する少年を傍らに、少女はずっと鼻歌に興じていた。

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