2000~6000字短編
『恋愛・中学生』彼女が泣き止むまでの時間
そして、何も悪いことをしていなくても悪者にされる人もいる。
さしずめ僕は三番目である。いつもそうだ。気づけば責められ、してもいない罪に対して謝罪を余儀なくされている。
だけど、僕は他者に頭を下げるのがそう苦ではなかった。
そういった性分だからか、すぐに謝罪を求めてくる人が嫌いだった。
たぶん、真に謝ったことがないからだろう。
頭を下げ、詫びたところで――あんなモノにはなんの価値もない。少なくとも、僕が今までしてきた謝罪はそうだ。
それでも、みんな満足してくれた。
口先の言葉と上辺の行いだけで、クラスメイトはおろか教師や大人たちも納得していた。
だから、心の底から悪いと思ったあの日――僕は謝ることができなかったんだ。
八月の登校日。
連日、猛暑猛暑とうるさい割には心地よいほど涼しい日だった。
その所為か、運動場には沢山の生徒がいた。部活動に励んでいるのか、威勢の良い声が聞こえてくる。
もっとも、帰宅部の僕には関係ない。
ただ、現在は親戚が家にいるので帰りたくなかった。しかもゲームがあるという理由から、僕の部屋は従姉妹たち――総勢七名に占領されていた。
加え、三人の伯母と母親。
正直、同じ空間にいるだけでも荷が重い。
結果、学校で時間を潰す羽目となる。
なんというか、学校内でぼっちなのは構わないけどプライベートまでそう思われるのは嫌だったんだ。
捻くれた性格と微妙なプライドが成せる技である。
僕は自分の教室で時間を潰し――クラスメイトが来ると、他所の誰もいない教室へと移る。
そこで平然と知らない人の席に座って――繰り返し。
ぶっちゃけ、盗難とかあったらいの一番に疑われる行動である。
そして案の定、僕は悪者にされてしまった。
けど、この件に関していえば僕にも非があった。
だって、教室で泣いている彼女に話しかけることができなかった……。
人がいる時点でその場から去るべきだったのに、僕はそうしなかった。らしくもなく聞き耳をたて、そこにいてしまった。
そんな真似をしたのは、僕なりに気を遣った結果だ。
泣いていたのが見知った相手だったから――可愛くて強くて、人気者の本田さんなら、泣いている姿を誰にも見られたくないと思ったんだ。
だから、他の人が来たら邪魔をするつもりで僕は廊下に立っていた。そこでずっと、嗚咽をこらえるようにすすり泣く彼女の声を聞いていた。
今になって思うと、この泣き声の所為だったかもしれない。
耳障りな泣き方でも、喚くような叫びでもない。
聞き慣れた泣き方とは微塵も一致しない――ただただ、哀しい音色。
泣いている。
だけど、それを否定しようと精一杯我慢している。
でも堪えきれず、彼女から漏れ出した響きはとてもとても哀しくて……
気づけば僕は呑まれてしまい、
「……誰?」
覗き見――というか、聞き耳を立てていたことがバレてしまった。
「いや、その……」
もしかすると、ここで逃げていればよかったのかもしれない。
本田さんはまだ教室にいて、廊下に立っているのが誰かまではわかっていなかったのだから。
「……誤解、なんだ」
なのに、僕は馬鹿正直に顔を出してしまった。
「……小川」
僕の顔を見るなり、本田さんは名前を呼んだ。
知っていてくれた事実に嬉しく思う間もなく、
「誤解? じゃぁ、なんであんたは涙ぐんでんの?」
本田さんは手厳しい言葉をくれた。
「いや、それは、その……」
「ほんと最低」
本田さんは涙目で繰り返す。
「最低だよ、小川」
返す言葉もありません、と冗談のように言えたらまだよかったかもしれない。
もしくは、いつものように謝るべきだった。
気まずさを誤魔化すように笑って、口先だけの謝罪をして逃げればよかった。
「……」
なのに、この時はなんの言葉も出てこなかったんだ。
目を真っ赤にして、頬を涙で濡らした本田さんがあまりにも奇麗で……完全に気後れしていた。
まだ、切れ長の瞳からは涙が溢れている。その目と噛み締めた唇が赤いからか、頬がピンク色に見えてとても色っぽい。
正直、同級生とはいえこんな女のコになんて話しかけたらいいんだ?
――と、ヘタレにも逡巡していると最悪な展開。
「そんなとこで突っ立ってなにしてんの小川?」
恐れていたクラスメイトの登場である。
つまり、僕は当初の目的すら果たせなかったわけだ。
「や、別に……」
「教室に誰かいるの?」
山下さんは僕の態度から判断したのか覗き込み、
「本田さん、なんで泣いてるの?」
泣いている彼女を見つけた。
「……覗かれた」
そして、本田さんは端的に事情を説明。
「いや、ちょっと……」
待ってその言い方は誤解を……
「きゃーー!」
「まね……く」
時すでに遅し。
僕の言葉をかき消すほどの声量。どうして、関係のないきみがそんな悲鳴をあげるの?
「どうした? 何があった?」
果たして、その甲高い声に引かれて先生やら生徒やらが集まって来る。
そんな中、
「小川が本田さんの着替えを覗いていたんです!」
山下さんはぶちまけた。
まるで犯行現場を見たように言ってるけど違うよね? きみが来た時には本田さんと僕は会話をしていたわけだし。
というか、そもそも本田さんは着替えなんてしていないんですけど?
「ちが……」
頭の中ではいくつもの言葉が浮かぶも、出てくるのは意味をなさない声だけ。
そうして僕――小川
本田さんが何も語らなかったからだ。ただ覗かれたと口にしたきり……彼女は押し黙っていた。
周囲を野次馬や教師に囲まれる中、瞳を伏せて唇を強く噛み締めたまま。
その姿を見て、僕は心の底から悪いと思った。
だから、僕も何も言わなかった。なんの弁明もせず、ただ彼女の言い分を肯定した。
幸いにも、登校日ということで集まった生徒は少ない。
また本田さんが大事にしないでと言った為、僕は口頭注意のみで解放された。
もっとも、先生たちは彼女の不自然さに気づいていたのかもしれない。
事実、本田さんの担任が来て、他の先生方に耳打ちするなり僕を糾弾する流れは止まった。
そこからは喚く山下さんを嗜めてばかりで、僕や本田さんに対してはスルーされていた。
「今更か……」
結局、僕はいつも気づくのが遅い。
学校の帰り道で気づいたって、どうしようもないじゃないか。今からまた学校に戻って先生に訊くのか?
それとも、本田さんに話しかけるのか?
「無理だよな」
そう、無理なんだ。
どうせ今頃、山下さんは友達に言いふらしている。先生や本田さんが止めてくれと頼んだって関係ない。
僕は同級生の着替えを覗いた変態として扱われ、先生たちは日和見主義の役立たずと詰られるんだ。
まぁ、夏休み明けまでその話題が持つかどうかは疑問だけど。
僕にとってはともかくとして、夏休みは有意義で楽しい時間なのだから。
「お帰りなさい」
帰路に着き、リビングに顔を出すなり母親と三人の伯母さんの声。
「おかえり」
続いて、甲高い声の合唱。
幼稚園から小学生、中学生から高校生の従姉妹たち――総勢七名が出迎えてくれた。
「……ただいま」
親戚とはいえ、この女子率はキツイ。特に何人かは、年に数回しか逢わないわけだし。
「素麺だけど食べる?」
母がそう言い、目線をテーブルに向けると大皿に入った素麺。具材がほとんど残っていない所からして、既にみんなは食べ終わったのだろう。
「いやいい。外で食べてくる」
母だけならともかく、伯母や従姉妹たちの食べ残しは抵抗があった。更にはお腹が空いていたこともあり、素麺にはひかれなかった。
「じゃぁ、ついでに買い物お願い」
母は咎めることなく、お使いを頼む。どうやら息子の気持ちを少しは汲んでくれているようだ。
「って多くない?」
が、人使いは荒く注文の品は多かった。
「あ、私も行く」
「なら、わたしも」
僕がぼやくなり、
「いいでしょ?」
高校生二年生の莉子姉にそう言われると、断われるわけなかった。中学二年生の茉莉姉は何も言わず。単純にチビ共の相手が嫌なんだろう。
そうして、僕ら三人はオシャレなカフェにいた。
どうやら莉子姉と茉莉姉はこの店のパフェが食べたかったようだ。
カツサンドを頬張る僕を尻目に、二人はデザートを楽しんでいる。
傍から見れば従姉妹なんてわからないから、僕は気分が良かった。誰か同級生が目撃してくれれば良いのに――と思うも、そう上手くいかない。
「あ……」
よりにもよって、現れたのは本田さんだった。
母親らしき人と一緒に入ってきて、僕に気づくなりそっぽを向いた。
「同級生?」
莉子姉が気づき、
「もしかして
茉莉姉が茶化してくる。
「違うって」
僕は否定する。
「ただ、ちょっと……」
「え? なになに?」
「やっぱ好きなんじゃない?」
何故か莉子姉まで乗り気になって、身を乗り出してくる。
「ほら、喋っちゃいな」
「お姉さんたちが聞いてあげるから」
二人は半笑いで好奇心しか感じられなかった。
「実は……」
だけど、それが逆に心地よかった。
僕のしたことを笑い飛ばして貰えないかと、ついつい話をしてしまう。
「うわ、さいてー」
「ひくわー」
しかし案に相違して、二人は引いていた。
「え? そんなに?」
「うん。それなら着替えを覗かれたほうがマシ」
「マジでそれ。独りで泣いてるとこを覗かれるなんてマジ無理」
「そんなに?」
僕は信じられないで確認するも、
「うん」
「マジで」
ふたりは容赦なかった。
「ちなみに、覗いたのが僕じゃなくてイケメンだったら?」
ふと思い訊いてみると、
「そりゃ慰めてもらう」
「甘えるに決まってんじゃん」
見事な手のひら返し。
「……二人に相談した僕が馬鹿だった」
「いやまぁ、それは置いといて。実際、流石のしたこと最低だよ?」
「うんマジ無理」
「そんなこと言われたって……」
リアルなトーンで繰り返されると、さすがに堪えた。
「彼女からすれば気味が悪いし」
「なんか弱みを握られた感じ?」
「えっ? なんで?」
「だって、流石は覗きの罪を被ったわけでしょ?」
「彼女からすればなんで? ってなるじゃん」
「流石が優しいってわかってんならともかくさ」
「知らなかったら恐怖でしかない」
「……え? マジで?」
二人の言葉が信じられなかった。
「最初から流石を悪者にするつもりならともかく、彼女は反射的に泣いていたことを誤魔化そうとしただけでしょ?」
「冷静になると恐怖でしかないって。これをネタにゆすられるんじゃないかってね。まぁ、そこまでいかなくても負い目に感じるって話」
「僕はそんな卑怯じゃない」
「実際、さっき流石に気づいた時なんか申し訳なさそうな感じだったし」
「確かに敵意はなかった」
「それ、本当?」
僕はこっそり、本田さんを見る。
けど、後ろ姿しか見えない。
ここからではお母さんと思しき人しか……と、その人は物凄く真剣な顔をしていた。なんていうか、とても申し訳なさそうな顔だ。
「あ!」
――と、本田さんが突然立ち上がった。
「待ちなさい亜紀!」
母親の制止も無視して、本田さんはらしくない対応。お店の迷惑も考えず走って出て行ってしまった。
それを僕たちは見ていた。
そして何を思ったか、
「流石、追いかけなさい!」
「GO! 流石」
莉子姉と茉莉姉が命令を下す。
「え……? 冗談だよね?」
「馬鹿。また同じ失敗する気?」
「たぶん、また独りで泣くよあのコ」
「……それは」
想像に難くなかった。
「流石は卑怯じゃないんでしょ?」
「また覗いただけで終わる気?」
冗談かと思いきや、二人の声はマジだった。
今まで見たことない表情で僕に発破をかける。
「カッコつけるのは男の子の特権!」
「そゆこと。カッコつけに行きなさい!」
そこまで言われたら、行かないわけにはいかない。
「つか、早く行かないと家で蒸し返すよ?」
「今日の晩御飯が楽しみだね?」
というか、その脅しに屈して僕は駆け出した。
本田さんが何処に向かったかはわからない。
だから、走る方向は賭けだった。
そして、この賭けに勝ったのなら――その時は運命とでも思って、覚悟を決めよう。
逆に違ったら諦める。
――お願いだから違ってくれ、と僕は後ろ向きな気持ちで走る。
やはり夏。走ると暑い。
諦めるか? いや、もう少し――せめて、あと五分は走ろう。
果たして、僕の頑張りは実ってしまう。
夏休みの公園。
さぞかし子供で溢れていると思いきや、彼女しかいなかった。やれ熱中症やら不審者やらと、ニュースが騒ぎ立てた結果かもしれない。
本田さんは迷子の女のコのように、ブランコに座って泣いていた。
僕はゆっくりと近づき、彼女の前に立つ。
「……」
「……」
そうして無言のまま、向き合う。
それでも、かける言葉は見当たらない。特に家庭の事情らしいとわかった今、僕にかけられる言葉はなかった。
だけど、逃げなかった。
莉子姉と茉莉姉が言っていたことを思い出し、せめてその誤解だけは解かなければと、必死になって言葉を探す。
「……んで」
だけど、僕よりも先に彼女が発した。
「なんで、否定しなかったの?」
「え?」
「さっき学校で……着替えを覗いたって山下さんが騒いだ時」
「あぁ、あれは……」
奇しくも、彼女のほうから水を向けてくれた。
「誰にも知られたくないって思ったから。独りで泣いていたなんて……僕の知ってる本田さんなら、絶対に嫌だろうと思ってつい」
「……馬鹿じゃない? そんな理由で小川は変態扱いだよ?」
「僕の従姉妹曰く、女の子の涙を覗くのは着替えを覗くより最低なことらしいから」
あの二人のおかげで僕は笑って言えた。
「だから、むしろ助かったよ」
「……馬鹿」
本田さんは小さく呟く。
「私の知っている小川なら、絶対にそんなことしないっての」
それを聞いて、僕は嬉しく思う。
しかし、本田さんにそう思われていることが不思議だった。何か接点でもあったっけ? 訊いてみたい気がするけど、今はよしておこう。
「ねぇ、小川」
本田さんは僕の顔を見て言った。
「私、少しだけ泣く……」
「…………うん」
「だから、傍にいて」
「……うん」
「独りで……隠れて泣くのはもう、やだ」
「うん」
僕は本田さんが座っているブランコの鎖に手を伸ばす。強く握りしめ、鎖が鳴き声をあげる。
「わかった」
悔しいけど、今の僕では彼女を抱きしめるなんて無理だった。
自分の分際を弁えて、ただ彼女の泣き顔を隠すよう突っ立ったまま。
「何もできないけど、傍にいる」
僕がそう告げると、本田さんは宣言通り泣き出した。
学校で覗いたのとは違う、素直な泣き方だった。
そんな彼女を僕はとても愛しく思う。その身体を抱きしめ、頭を撫でてあげたい。際限なく甘やかしてやりたいと。
だから、彼女が泣き止んだら好きだって伝えよう。
好きだって伝えてから、きちんと抱きしめよう。
たとえ拒絶されても……好きだってことは伝えよう。
だけど、それまでは泣かせてあげよう。
彼女が泣き止むまでの時間。
額に汗を流しながら、僕は必死でカッコいい告白の言葉を考えるのだった。
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