『ギャグ・老爺と犬』 田辺さんはかく語りき

 田辺たなべさん(72歳)には日課があった。

 毎朝公園へ赴き、若者の青春を見守るという傍迷惑な趣味が。


「ふぅ……」

 

 老爺が定位置のベンチに付くと、高校生と思しき男子が犬の散歩にやってきた。


たかしめ、相変わらず早いな」

 田辺さんはこの少年を勝手に孝と呼び親しんでいた。

「早い男は嫌われると知らんのか。のう、ポリデント」

 一方、犬は白い毛並みからポリデント。


「現在時刻は6時30分。彼女が来るにはもう少しかかるぞ。ワシ調べでは38分から42分の間だからな」

 

 まるでストーカーだが、田辺さんにそのような悪意はない。


「まったく、そわそわしてみっともな……!」

 

 その時、遠くから犬の鳴き声。

 ポリデントも応えて、公園内に遠吠えが響き渡る。


「なん……だと? 記録にない速さ。まさか、脈ありか?」

 

 田辺さんが驚愕しながら目を向けた先には、黒い犬を連れた女性――孝の想い人がいた。


「それとも、孝を弄んでいるのか? いや、いくらアムラーとはいえそれはあるまい」

 

 長い茶髪から、これまた勝手に名付けていた。ちなみに連れている犬はふさふさの毛並みからアデランス。

 田辺さんのネーミングセンスと知識は壊滅的だった。


「それとも、オタクに優しいギャルは存在するというのか?」

 

 それでいて、無駄な知識を積んでいるのが酷い。

 しかし、そんな間違った知識を得てしまったのには悲しい理由があった。

 田辺さんは昨年、息子を事故で亡くしている。長年喧嘩しており、ついに仲直りできないままの離別だった。

 そのことを酷く後悔した田辺さんは、今更遅いと思いつつも息子を理解しようと努めた。

 そうして、遺品であるスマートフォンとPCから息子を知っていく毎日。そこには自作の小説を始め、お気に入りの漫画や動画など息子の大好きが沢山残されており――田辺さんは日に日に間違ったアップデートをしていく次第であった。


「犬はいいな」

 

 そつない会話をしているアムラーと、傍から見れば恥ずかしいほど緊張している孝。

 その足元ではアデランスとポリデントが体臭を嗅ぎ合っている。


「だが、犬は馬鹿じゃない。あやつらは常に飼い主の気持ちを察している。ほら、みろ。距離を取り始めたぞ」

 

 気づけば、アデランスとポリデントは自由だった。荒い息を繰り返しながら、飼い主の手綱から逃れている。


「犬でさえ、恋のキューピッドか。ならワシも人肌脱がねばなるまいか」

 田辺さんはそう呟くも、

「――いや、違う!」

 秒で意見を翻す。

 

 老爺とは思えぬ機敏な動きで犬たちの後を追い――


「こいつら飼い主をほっぽって交尾してやがる! 所詮は犬畜生か! 卑しい! 実に卑しくてうらやまけしからんぞ!」

 

 田辺さんは年甲斐もなく喚きだす。


「しかもポリデント! おまえがメスだったのか?」

 

 当然飼い主たちも気づいて、駆け付けてくる。


「さすが孝。何においても早すぎる男。犬に先を越されるなど、人間としての尊厳にかかわるか」

 そう解説する田辺さんの胸倉を、


「てめーさっきから何言ってんだ! あぁ!」

 少年は掴み上げた。


「えっ? た、孝! な、何をする!?」

「おれは孝じゃねぇ!」

「なにぃぃ!? アムラー、孝を止めてくれ!」

 

 女性は理解に苦しむ顔をして、犬たちを引き離していた。まさかそれが自分を示す呼称だとは思ってもいないのだろう。


「ポリデント! 主人の暴挙を止めるのだ!」

「だれがポリデントだ! 人の犬にまで変な名前をつけてんじゃねぇ!」

 

 そうして、騒がしくなった公園に警察官がやって来る。誰かが通報したのだろう。


「また、あなたですが田辺さん」

 と思いきや、田辺さんが常習犯だった。


「おぉ、孝!」

 この老爺は誰でも孝と呼び親しむことから、度々トラブルを起こしていた。


「いいですか田辺さん、私もこの少年も孝さんじゃありません。孝さん――息子さんはもう亡くなったのですから」

 その発言を聞くなり、


「えっ?」

 少年も大人しくなる。きっと優しい性格なのだろう。


「……あの、俺は別にそんな迷惑をかけられたわけじゃないですから」

 少年は田辺さんを庇う発言をした。

 

 一方、女性のほうはトラブルはごめんだと早々に去っていた。


「……孝」

 田辺さんがそう呼ぶのを否定せず、


「行くぞ、パンパース」

 少年は白い犬と共に去っていく。


「――孝!」

 堪らず、田辺さんは呼び止めた。


「……」

 少年は答えず、足を止めて振り返る。


「ポリデントのほうがマシじゃないか?」

「うっせぇクソじじい!」

 

 果たして、駆け戻って来た少年の飛び蹴りは不発に終わる。


「はい、ちょっとごめんね」

 傍にいた警察官に取り押さえられ、


「これ孝、落ち着かんか」

「だから俺は孝じゃねぇ!」

 田辺さんと少年は仲良く交番まで連れて行かれるのであった。


「まったく、きみが1番お利巧さんだねパンパース」

 交番の前で警察官がそう言うと、


「わんっ!」

 白い犬はおもむろにトイレを始めたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る