第3話 世界で一番優しい剥製【2/2】


 景は部屋を出てすぐに、中庭での異常に気が付いた。


「篝!?」


 篝が中庭にいたのだ。それだけなら、おかしなことではないのだが、その対面で羽月が膝をついていて、篝が翼を抱いていた。


 景は窓を開け、中庭へと出る。


「大丈夫ですか? 羽月さん」


 手前にいた羽月へと駆け寄る。羽月は両手を口元に当て震えていた。


「つ、翼が……」


 力を振り絞るように、篝を指差す。


「なに? 人を指差さないでよ」


 篝は翼を左腕で抱え込み、右手に持った細長い鉄の棒――展示ピンを翼の首筋へと向けていた。

 

「な、何やってんだよ篝!」


「景が鍵を持ってくるのを待ってたのよ。見張りを追っ払っておかないと面倒でしょ?」


「見張り?」


「剥製の倉庫は中庭にあるからね」


 シゲが中庭に入ってきた。左腕に本を抱いている。


「ボクと目日田くんと羽月くんは、日替わりで倉庫番をしてるんだ。一番非力な羽月くんが倉庫番をする今日を篝くんは狙ったんだね」


 こんな状況でもシゲの声は平穏そのものだった。篝は小さく笑う。


「まぁね。一番の理由はこの子を人質にとれるってことだけど」


 篝が左腕の翼を見る。翼は疲れているのか、状況が把握できていないのか、おとなしくしている。

 

「篝、やめなよ。こんなことしても、篝のお父さんとお母さんは喜ばないよ」


「さぁ? どうかしらね。あの両親はむしろ喜びそうだけど、悲しむならそっちのほうがあたしには都合がいいわ。だって、あたしは両親に復讐したいんだもの」


 篝がピンの後ろを地面に下ろした。景は一歩二歩と篝に近寄る。


「な、何を言ってるんだよ。篝はお礼がしたいんだろ? そう言ってたじゃないか」


「そうよ。中途半端に童中と関わりを持たされて苦労させられてるお礼と、殺されて剥製にされたお礼。何がいいと思う? やっぱり動き出したときに辱められるとかがいいわよね。よく見える場所に貼り付けにするとか、いっそのこと、動き始めてもなにもできないように、バラバラにしちゃうとか――」


「やめてよ! なんでそんな怖いこと言うんだよ。おかしいよ。僕の知ってる篝はそんなこと言わない!」


「知らないわよ! 景こそ、あたしの味方をしてくれると思ったのに、結局そっちの味方をするのね。シゲを連れてきてるし」


 篝が一歩距離をとる。景は足を止めた。


「僕は篝の味方だよ。だからこんなことはやめて欲しいんだ。また誤解されるじゃないか」


「誤解なんてないわ。あたしはもともとこういう人間なんだから」


「まぁまぁ、二人とも落ち着いて」


 シゲが景と篝の間に立った。篝はまた一歩、後ろに下がる。


「なによ。近づかないで」


「あーごめんごめん。これ以上は近づかないよ」


 シゲは篝ににやけ顔を向けたあと、景にその顔を向ける。


「景くん。このケンカは君が悪いよ。ちゃんと謝らなくちゃ」


「な、何を言ってるんですか? そんなこと言ってないで篝をとめないと」


 シゲは人差し指を立てて横に振った。


「ダメだよ。ちゃんと篝くんを信用してあげないと。君は言ってたじゃないか。『篝は過ぎたイタズラはするけど、人殺しは絶対にしない』だっけ? あれは嘘だったのかな?」


「嘘じゃない! 篝は人殺しなんて絶対にしない!」


 景が叫ぶと、シゲはゆっくりうなずいた。


「ならさ。篝くんが人質をとってても、意味はないんじゃないかな」


「それは……そうかもしれないけど、でも!」


「ほら。そうやって不安になるのは景くんが篝くんを信用していない証拠だよ。君が篝くんを信用していれば、翼くんは安全だって確信を持てるはずだからね」


 シゲは道を開けた。


「ほら、仲直りしなよ」


「や、やめて! 翼を危ない目にあわせないで……!」


 羽月が千鳥足で景へと詰め寄ったが、シゲがその体を受け止める。


「羽月くんも落ち着いて。不安かもしれないけどさ。ほら、これ」


 シゲは左腕に抱いていた本を開いて、羽月に渡した。そして景へとにやけ顔で笑いかける。

 

「羽月くんは任せて」


 景はうなずいた。そして篝へと歩き始める。


「僕は篝を信じるよ。篝は人を傷つけたり絶対にしない」


「な、なに勝手に盛り上がってるの。もし、万が一にもあたしが人を殺せなくたって、今のあたしたちは――この子は剥製なのよ? 剥製を壊すぐらい、あたしだって……」


 景は止まらない。

 

「剥製だって、篝は傷つけられないよ。剥製でも僕たちは生きているし、篝がぬいぐるみを壊すのだって想像できないから」


「そんなこと……ない!」


 篝は翼を地面に押し倒し、ピンを逆手に持った。


「翼ぁ!」


「おっと……」


 本を投げ捨て、走り出しそうになった羽月を、シゲが抱きとめるように押さえた。


「カタログを見ただろう? 篝くんは――」


「あんな本! 翼が……! 翼が!」



 羽月はシゲを押しのけようとするが、シゲはそれを軽々抑える。


「あーあ、あんまり長く持ちそうにないから、なるべく早く頼むよ」


 シゲは景たちを振り返ったが、景も篝もそれを見ていなかった。篝はピンを握る手に震えるほど力を込めたが、振り下ろされることはない。景はそれをすぐそばで、静かに見守る。


 翼はそんな状況でも泣き出すことはなかった。篝をじっと見つめ、震える篝の手にそっと手を重ねる。

 

「な、なによ……」


「……」


 翼は何も言わない。ただ、篝の目を見つめ続けた。


「なんなのよ! もう……なんで……」


 篝の声は震えていた。景が肩に手を置く。


「篝が悪いことできないって、たぶんわかってるんだよ。だから篝を怖がらないし、無理をしてる篝を心配してるんだ」


「無理なんて……」


 篝の手からピンが落ち、地面に刺さる。


「ごめん……ごめんね……」


 篝は頭を翼の胸に押し付ける。翼は両手で篝の頭をなでた。


「うん……ありがとう」


「見つけた」


 篝のすぐそばで、ピンがそっと抜かれる。


「す、掬……!」


 景は思わずその名前を呼んだ。掬はピンの先を蹴って土を落とすと、スカートの中にしまう。


 黙って去ってくれと景は心から願ったが、その願いは届かない。掬は景の手を握った。


「景。一緒に寝るの」


「え、えぇ……!」


 景が戸惑っていると、篝が翼を抱いて立ち上がった。掬に翼を押し付ける。


「はい掬。抱っこ」


「抱っこ」


 掬は復唱し、翼を抱きかかえた。翼と掬の無垢な目が合う。二人はじっと、無言で見つめ合った。翼の目に怯えの色はない。


「ちょっと、全然怖がらないじゃない。何が『悪いことできないってわかってる』よ。嘘ついてるんじゃないわよ」

 篝が景の足首のあたりを蹴った。


「そ、それは……掬も実は人を殺したことない、とか?」


「夢見てんのじゃないわよ」


 より高い位置に蹴りが入る。痛くはないのだが、景は反射的に体を逃がした。


「翼! な、何で……!」


 羽月の今日一番の悲鳴が響く。羽月はすでにシゲの手から逃れていたが、翼に近寄ろうとしない。

 

「掬が怖いのね。こんなにかわいいのに」


 篝は見せつけるように掬の頭をなでた。掬はこそばゆそうな顔をして、景はそれにほんの少しときめく。


 羽月は震える手で掬を指差した。


「見た目なんて関係ないさ! そいつは悪魔じゃないか!」


「見た目で怖がってるくせに、何言ってんのよ」


 篝は掬を抱き寄せる。


「掬は悪魔なんかじゃない。たまたま生まれた家が悪くて、髪の色が変だったから悪魔的なことをさせられてただけで、本当はただのかわいい女の子なんだから」


 景はその言葉で気が付いた。


「それがお父さんとお母さんに復讐しようとした理由なんだね」


「そ、そんなの関係ないわよ」


 篝が首を横に振ると、掬が篝の手から離れた。まっすぐと羽月に向かって歩いていく。


「な、なに……?」


 羽月は掬が近づいてくるのに合わせて、少しずつ距離をとった。


「まって」


 掬が小さな声を振り絞っても、羽月は距離を保ち続ける。


「待ってください!」


 景も声を上げる。


「掬を怖がらないであげてください。掬は絶対になにもしません。あまり意味はないかもしれないけど、僕が保証します。翼ちゃんが怖がってないんだから、お母さんの羽月さんも頑張ってみてください。お願いします」


 景は深く頭を下げた。掬はそれをちらりと見ると、真似してぺこりとお辞儀をする。


「そ、そんなの……」


 羽月は震えて動かない。

 

 掬は頭を上げて歩き始めた。羽月は一歩だけ下がったが、そこで踏みとどまる。


「お、母親は強しだねぇ」


 シゲがのんきな声を出す。羽月は震えながらシゲを見た。


「う、うるさいよ……。翼を……返してもらえるなら、これぐらい。それに、今なら髪の色なんて……」


 景はそれを聞いて、掬の頭を見た。


「そうか。暗くて色がわかりづらいから……」


 頭の中で強く否定すれば宍色に見えなくなる……かもしれない。子供だましでしかないが、羽月はそれに全力を注いだ。下がりそうになる体を抑え込み、掬がすぐ前に来るのを待つ。


「返す」


 掬は抱いている翼を少し前に出した。羽月も手を伸ばさなければ届かない距離だ。


「い、意地が悪いねぇ……それとも、わたしを試そうっていうのかい?」


 掬は顔を傾けた。羽月は目を閉じ、大きく息を吐き出す。


「いいさ。あんたにそのつもりがなくても、わたしはそのつもりで挑ませてもらうよ」


 羽月は震える手を握りしめて震えを抑え、ゆっくりと両腕を翼へと伸ばし始めた。抑えた震えはすぐに元通りになったが、腕は確実に翼へと向かっている。


 翼が羽月の手に触れた。それに引き寄せられるように、羽月の手は翼の両脇に差し込まれて翼の体重を支える。自然と掬の手から翼は離れ、羽月の胸元へと抱き寄せられた。


「翼ぁ……わたし、頑張ったよ……」


 羽月は力いっぱい翼を抱きしめる。翼も羽月のシャツを力いっぱい握りしめた。


「いやぁ、これで一件落着だね」


 シゲが他人事のように手を叩く。


「シゲさんが篝を信じろって言ってくれたからです。シゲさんは篝が悪い人間じゃないって知ってたんですね」


「ん? ああ、カタログに書いてあったんだよ。えっと……どこいったかな? さっき羽月くんが投げちゃったんだけど……あれかな」


 シゲが皆から少し離れ、イスの足元に落ちている本を拾った。


「それは、さっきシゲさんの部屋にあった本ですか?」


「そうだよ。童中の剥製カタログ。これにね……」


 シゲはページをペラペラとめくりながら景のもとへと歩み寄る。


「あったあった。ほら、このページだよ」


 シゲは本を開いて景に渡した。


「なんですか? 暗くて……」


 景は本を動かして自分の影から外した。左のページに手のひらサイズの写真が貼られている。


「篝……?」


 棺桶で寝ている無機質な写真だったが、見間違えるはずがない。


「なによ? あたしがどうかしたの?」


 篝が横から覗き込んでくる。


「なにこれ? なんであたしの写真が載ってるの? 撮った覚えもないし」


 それに答えたのはシゲだった。


「童中の剥製カタログだよ。カタログといっても、売り物のリストではないみたいだけどね。人間カタログって感じかな」


「趣味が悪いわね。童中らしいっていえば童中らしいけど。何か書いてある?」


 写真の横に文字が連なっている。大きめの文字で、月明かりでもなんとか読めそうだった。


「えっと……『幸か不幸か童中の色を持たなかったわが娘。この子の境遇を私は悲しまなければならないのに、私は喜んだ。篝は童中を離れて普通の娘として生活する。虫も殺せないような、童中では生活できないほど優しい子に育ち、私はうれしく思う。童中との完全な別離をさせてやれなかったのは父として最大の不徳であっただろう。童中の運命を背負うべきでない娘を巻き込むことになってしまったのだから。どうか妹を見守ってやってほしい』」


「ね? 優しい子だって書いてあるでしょ?」


 シゲがいつも通りのにやけた顔を見せるが、景と篝はカタログから目を離さなかった。


「な、なんなのよ。これ」


「童中の運命……?」


「あ、見て」


 篝が見開きの左側のページを指差す。そこには篝のと似た、掬の写真があった。


「掬のページよ」


「本当だ……『幸か不幸か童中の色を持って生まれたわが娘。この子の境遇を私は喜ばなければならないのに、私は悲しんだ。掬は童中の娘として、童中の運命を背負って生活する。愛しい人をすすんで剥製にするような童中らしい娘に育ち、私は悲しく思う。童中の運命から逃れられなくしてしまったのが父として最大の不徳であっただろう。純粋でかわいらしい娘が童中の運命を背負うことになってしまったのだから。どうか姉と仲良くやってほしい』」


 景の手に力が入る。


「どうして……! わかっていたなら、どうして掬も普通の女の子として育ててあげなかったんだよ!」


 景はカタログを篝に押し付け、シゲにつめ寄った。


「シゲさん。鍵を貸してください。僕、聞いてきます」


「まぁま、落ち着いて。倉庫にある剥製はみんな動いてないから、行っても何も聞けないよ。あと、さっきも言ったと思うけど、倉庫の鍵はないんだ。入ることはできない」


「待って。それは変よ。倉庫に入れないなら、どうやってあたしたちを外に出したっていうの? 少なくとも、誰か一人が倉庫を開ける方法を知ってるはずよ」


 篝も景の横に並ぶ。シゲはにやけ顔を、人差し指でかいた。


「うーん……どうやったら開くかはボクも知ってるけど、入ることはできないんだよ」


「どうしてですか? そんなに開けるのが難しいんですか?」


「外から開けるってなると、とんち問題みたいになるね。倉庫は内側からじゃないと開かないようになってるんだ。つまり出ることはできるけど入れないのさ」


 シゲは自分の説明に満足してうなずいた。だが篝は大きく首を横に振る。


「そんなはずないわ。倉庫は前から閉まってたのに、きのう景を外に出したじゃない。外から入れないなら、そんなことできないはずよ」


「いやいや、景くんはボクが外に出したんじゃなくて、自分で外に出てきたんだよ。景くんだけじゃなくて、ここにいるみんなそうだよ。ボクが倉庫に入れたところで、ボクには誰が目覚めそうなのかわからないしね。倉庫番も、誰かが倉庫に入らないようにしてるんじゃなくて、倉庫から誰かが出てきてもわかるようにするためなんだ」


「でも、僕が気が付いたのはベッドの上でしたよ。倉庫から出た覚えはありません」


「みんなそうなんだよ。みんな倉庫から出てきてすぐに倒れて、記憶があるのは次に目が覚めたときからなんだ」


 シゲはモノリス型のオブジェに視線を送る。


「新しく誰か出てくれば嘘じゃないって証明できるんだけど、いつになるかわからないね。ま、焦ることでもないだろうし、ゆっくり待てばいいんじゃないかな。そのときに入口も開くから、中に入りたいなら入ればいいよ」


「入ればいいって、近くにあたしか景がいなかったらどうするの? 出てきたけど閉めちゃいました――とか、いくらでも言いようはあるんだから」


 引き下がらない篝に、シゲは変わらぬにやけ顔で答えた。


「じゃあ篝くんと景くんが倉庫番をするっていうのはどうかな? そうすれば誰か出てきても最初にわかるのは二人になるし、入口が外から開かないかどうかを思う存分調べられるよ」


「そうね……」


 篝はあごに手を当て、少し考えるようにした。


「一回やってみてから決めるわ。いい暇つぶしになりそうだったらやってみる」


「いいよ。代わりたくなったら言ってくれれば代わるし、倉庫番だからってずっと倉庫の前にいる必要はないからね。一日ずっと放ったらかし……とかにしなければいいよ。誰かが出てくるなんて、そんなにあることじゃないから」


「それも一回やってみてから決めるわ。ね、景?」


「え? あ、うん」


 景は半ば反射的に答える。そして少し考え、やはり首を縦にふった。


「そうだね。やっぱり倉庫の中は気になるし、やるなら二人のほうがいいよ。とりあえず、今夜はどっちが倉庫番をやる?」


「は? 何言ってるの? 一人じゃ退屈でしょ。今日も明日も二人でやるのよ」


 篝の鋭い眼光に晒され、景は篝の機嫌が急激に悪くなるのを感じた。


「で、でも、どこかで寝ないといけないから、やっぱり分担してやったほうが……」


「それなら大丈夫」


 答えたのはシゲだった。


「ボクたちは寝なくても大丈夫なんだ。まぁ、ずっと起きっぱなしだと目日田くんが――」


「人間らしくない」


 羽月が篝の横に立っていた。


「そう言うだろうさ。日が落ちたら寝るって決まりを考えたのも目日田だし。目日田ぐらいしか決まりを守ってるやつなんていないけどさ」


「童中の人間の近くにいていいわけ? また大事な子供がさらわれても知らないわよ」


 篝が横目で羽月を威嚇すると、羽月は一度目を合わせてから目をそらした。


「そんなことよりも、わたしに何か言うことがあるんじゃないのかい」


「なに? 翼に少し怖い思いさせちゃったかなーとは思ってるけど、あんたに言いたいことなんて何もないわよ」


「ああ、そうかい。あんたと掬に少し同情したわたしが間違ってたよ」


 羽月は篝と一瞬だけ顔を見合わせて、目をそらしてから懐かし気に笑った。


「景、終わった?」


 掬が景の手を握る。二人挟んだ先に立っていた羽月が大きく飛びのいた。


「こ、怖いものは怖い。それはどうしようもないことだろ?」


 誰かが何か言ったわけではないのに、羽月はみんなにむかって言い訳した。


※ ※ ※


 騒がしかった中庭も、三人だけになってしまうと静かなものだった。


「じゃあ、倉庫の入口を調べてみる?」


 そう言った景の隣に、掬がぴったりとくっついていた。


「って! どうして掬がいるのよ。掬は倉庫番しなくていいんだから、さっさと寝なさいよ。いつも夜はいい子して寝てるでしょ」


 篝が掬の手を引くと、掬はその手を振り払い、景の左腕を抱いた。


「景と寝るの」


「だ・か・ら! 景はあたしと倉庫番するから寝ないの。一人で寝なさい」


 篝が声を張っていさめるが、掬も負けずと頬を膨らます。


「景が寝るまで一緒にいるの」


「あっそ。勝手にしなさい。あたしたちはこれやるから」


 篝はショートパンツのポケットから、水色の折り畳み式携帯ゲーム機を取り出した。


「景。これ返すから、対戦しましょ」


「え? あ、うん」


 景がゲーム機を受け取ると、篝はもう一方のポケットからピンクの同じゲーム機を取り出し、掬に見せつけるように少し高めに持った。


「ゲーム持ってない掬はできないわね。かわいそー」


「むぅ……」


 掬はより一層頬を膨らませた。そして景の腕を離し、暗い屋敷の中へと駆けていった。景はその背中を見送ったあと、篝へと振り返る。


「ちょっと意地悪しすぎだよ。別に掬がいてもよかったんじゃないの?」


「なに? あたしと二人きりじゃ不服なの?」


 景はゲーム機を投げつけられる未来が見えた気がして、急いで首を横に振った。


「そう。ならいいのよ。とりあえず座って、対戦しましょ」


「うん……じゃないよ。倉庫が開くかどうか調べるんじゃないの?」


 景の声を無視して篝は手近な椅子に座る。


「倉庫の入口なんていつだって調べられるんだから、今度でいいの」


「ゲームだっていつでもできるじゃないか」


「そ。だからどっちを優先してもあたしの勝手でしょ」


 篝はゲーム機を開き、操作し始めた。


「もう......わかったよ」


 景はため息をついてから、篝と同じテーブルの椅子に座った。ゲーム機を開いてセーブデータを読み込むと、ゲーム内で最も都会の町でスタートする。うろ覚えだが、景の記憶通りだ。仲間の状態も確認すると、景がストーリーを進めるのに使っていたパーティーそのままだった。


「データはあまりいじってないんだね」


「当たり前でしょ。自分の育てるのだって大変なんだから、人のなんてやってられないわよ。まぁ、あとちょっとでやりそうになるぐらい暇だったけど……」


 篝はぶつぶつと言いながら操作を続けた。

 

「オッケー。準備できた。景は大丈夫?」


「僕はこのパーティーしかないから、準備もなにもないよ」


「うん。知ってた」


 景のゲーム機と篝のゲーム機が無線でつながる。二人のやっているゲームは数百いるモンスターの中から好きなモンスターを仲間にして戦うRPGで、多彩な戦略をとれるという理由で対戦が盛んなゲームだ。


 パーティーの六匹がお互いのゲーム機に公開される。対戦を始める前に、相手の六匹を見てから対戦に出す三匹を選ぶのだ。


「うわ……」


 景は篝のパーティーを見て変な声を出す。女の子は可愛らしい見た目のモンスターを選ぶものだと、景は思っていた。だが篝のパーティーにはそういった容姿のモンスターはおらず、ドラゴンや火のお化けや筋肉質な体のモンスターなど、禍々しい姿のモンスターばかりが並んでいる。

 

「強いモンスターばっかりじゃないか」

 ほとんどのモンスターが景の持たないレアなモンスターで、このゲームをかじった者なら一度は聞いたことのある有名な強力モンスターばかりだ。


「時間はたっぷりあったんだもの。これぐらいそろうわよ。景のは典型的な旅パーティーね」


 最初にもらえるモンスターとその弱点を補うモンスター。そして便利な技を覚えるモンスターと万能モンスターで景のパーティーは構成されている。


「バランスは悪くないだろ」


「ある程度はね。でも旅パーティーと対戦パーティーの違いを思い知るといいわ。さ、始めるわよ」


 モンスターを三匹ずつ選んで対戦が始まる。景がとった最初の一手は万能モンスターでの様子見だった。


「まぁ、そうなるわよね」


 篝は読んでいたような態度だったが、篝の出したモンスターは景のモンスターの弱点をつけるようなモンスターではなかった。逆に景のモンスターは篝の弱点をつけそうな技を覚えている。

 

(このままいける!)


 一対一で戦いは進み、モンスターの交代は一ターンを費やすが自由にできる。だが今の景にモンスターを交代する理由は見当らない。


「景の考えることなんて、だいたいわかってるけどね」


 お互いにモンスターの行動を決定し、ターンが始まる。先に行動したのは篝のモンスターだった。篝のモンスターの攻撃は景のモンスターに対して相性は普通の攻撃だ。だが、その攻撃は景のモンスターの体力をすべて奪った。


「え……?」


「耐久調整してないモンスターなんて、相性普通でも確定で一発よ」


 その後、その一匹のモンスターが景のモンスター全てを先制攻撃一回で仕留め、景は何もせずに一匹のモンスターに負けてしまった。


「うわ、糞ゲー」


「掬になんかかまけて、ちゃんとゲームやってないからそうなるのよ」


「何にしろ、さすがに篝のパーティーは大人気ないと思うけど」


「あたしのせいにしないでよ。もう一回やるわよ」


「もう一回って……僕には他に育ってるモンスターはいないんだけど」


 パーティーから外しているモンスターを確認するが、レベルも技もいまいちなモンスターばかりだ。ただしストーリーを進めながら一生懸命捕まえていたので、数だけはそろっている。


「景……」


 呼んだのは篝ではなかった。


「なによ。戻ってきたの?」


 篝が目を上げた先には掬がいた。掬は体を景にこすりつけるようにして、景と同じ椅子に無理やり座る。


「な、なんだよ。そうだ。掬がモンスターを選んでよ。三体」


 景は体を少しずらして椅子に掬のスペースをつくった。掬は大判の本をテーブルに置くと、景のゲーム機の画面を覗き見る。


「これと、これとこれ」


 掬がモンスターを選ぶのはあっという間だった。一匹ヘドロのようなグニャグニャのモンスターが混じっていたが、残りの二匹は見た目で選んだとすぐにわかる、ぬいぐるみのようなモンスターだ。


「うん。やっぱり女の子はそうでないと」


「は? うっさいわね。それあたしに言ってるでしょ?」


 景はそれには答えず、掬の選んだ三匹をパーティーに入れた。


「よし。じゃあやろうか」


「悪いけど、手加減しないからね」


 景はヘドロのようなモンスターを最初に出した。篝の一番手は筋肉質のモンスターだ。


 交代してもやられるだけなので、景は攻撃を選ぶ。


「そもそも景のモンスターは速さが足りないのよ。また一体で全部抜いてやるわ」


 余裕を見せる篝をよそに、景のモンスターが先に行動した。


「「え?」」


 景と篝の声が重なる。景のろくに育てていないモンスターが、篝の強モンスターよりも速いはずがないのだ。


 だが、その数字をひっくり返す数少ない方法があった。


「なにかアイテムでも持ってたのかな?」


 景のモンスターは確率で先制攻撃ができるアイテムを持っていて、それがたまたま発動したのだ。それだけでもラッキーだったのだが、その攻撃はクリティカルヒットし、篝のモンスターの体力をほとんど持っていった。


「な、なんなのよ。腹立つわね。でも耐え切れないでしょ」


 篝の宣言通り、景のモンスターは一撃で沈んだ。だが篝のモンスターの体力はあとわずか。景が次に出したモンスターは、攻撃力が低い代わりに絶対に先制攻撃できる技を覚えている。

 

(倒せる……)


 一体倒したところで次のモンスターが出てくるだけなのだが、掬の選んだ弱モンスターたちなら一体撃破を目標にしても罰は当たらないだろう。


「よし、いくよ」


 景は迷わず先制できる技を選んだ。だが、篝の行動が先だった。


「え? 交代?」


 篝はモンスターを交代したのだ。出てきたドラゴンが代わりに攻撃を受ける。


 体力がわずかのモンスターを温存するのは効率的な戦略ではないが、景は納得した。


「そっか。篝はモンスターがやられるのが、かわいそうで嫌なんだね。だから強いモンスターをそろえて、負けないようにしてるんだ。やっぱり篝は優しいね」


「な、なんのこと? あたしはただ、力の差を見せつけようとしただけよ」


 篝はゲーム機で顔を隠し、景のモンスター二匹を一撃で沈めた。


「勝った? 勝った?」


 掬が戦いの終わったゲーム機を覗き込む。


「いや、負けちゃったよ」


 景がそう答えると、掬は唇を尖らせた。景は掬の頬を引っ張って唇をもとに戻す。


「そんな顔しないでよ。掬のおかげで善戦できたし、篝のいいところも見れたから」


「あたしとゲームやってんだから、あたしと話しなさいよ。そっちで仲良くされるとすっごい腹立つんだけど」


『若いのう。変に焼きもちを焼くぐらいなら、ちっとは素直に――』


 篝がゲーム機を叩きつけるように閉じた。


「うっさいネッジイ! いきなり出てくんな!」


 何事かと景が目を皿にしていると、テーブルの上で景のゲーム機が揺れた。


『篝ちゃんは乱暴じゃのう。お、君が新入りじゃな』


 景のゲーム機に劇画タッチの老人が映る。ツルツルの頭に長いひげのその姿は、まるで仙人のようだった。


「あれ? バグった?」


 景が電源ボタンに手を伸ばすと、ゲーム機はその体を震わしてテーブルを細やかに叩いた。


『バグじゃないわい!』


 抗議するゲーム機の画面を、掬が自分へと向ける。


「ネッジイなんか変」


『おっと。掬ちゃんの前でこの姿は刺激的すぎるのう。オプションを変えんと』


 景のゲーム機に見覚えのないウインドウが表示され、見知らぬオプションを開き、表示の部分を勝手に操作し始めた。チェックが『劇画』から『デフォルメ』に移動すると、一瞬ディレイが入り、ウインドウが閉じる。


『これでいいじゃろ』


 老人の姿は二頭身の、ハゲと長いひげをより強調した姿に変わった。掬はこくこくと首を縦に振る。


「……え? なにこれ?」


 景は画面の老人をつついた。


『やめんか。くすぐったいじゃろう』


 ゲーム機が震え、老人が景の指をよけるように画面の端へと動く。


「ネッジイ」


 掬が老人に指を押し付け、ドラッグして画面の中央へと戻す。


「ネットのじいちゃん。略してネッジイ。あたしもよくわからないけど、ネットワーク上にいるAIみたいなものよ」


 篝はそう言いながら、静かに景のゲーム機を閉じた。


「さ、これで静かになったわね」


「ネッジイ寝ちゃったの?」


 スリープ状態に入ったゲーム機を、掬は覗き込む。


「あ、思い出した。ネッジイって羽月さんが朝、新聞とりにいってるって言ってた人だ」


「朝にウェブニュースを受信しようとしてしばらくフリーズするから、そのことね。もうニュースを発信する人も、ニュースになることをする人もいないのにね」


「やっぱり、ボクたち以外の人はもういないの?」


「さあね。確かめる方法がないからわからないわ。でも人を剥製にするみたいな、気の狂ったことをしてるのはここだけでしょうね」


 景は自分の手のひらを眺め、握る。

 

「自分が剥製だって忘れそうだよ。こうやって篝とゲームしたり、話したりしてると、まだ普段の生活が続いてるみたいだ」


「ひと月ぐらい、あたしとゲームしたり話したりしてなかったくせに」


 篝は景の後ろを歩いて抜けて、掬の頭をなでた。掬は景の好きなこそばゆそうな顔を見せたあと、景の左手を両手で握る。


「景も」


 掬は景の手を自分の頭の上に乗せた。


「なんだか恥ずかしいや」


 景はそう言いながらも抵抗はせず、そのまま掬の頭をさする。掬は満足げな笑顔を浮かべながら、机の上に置いた本を開いた。


「それはシゲさんの持っていたカタログ?」


 景が聞くと、掬はこくこくとうなずいた。ページをパラパラとめくって、掬はあるページを指差した。


「景」


「なに?」


 景が覗き込むと、掬の指先に景の顔があった。


「僕のページ?」


 掬はまたうなずく。


「掬が書いたの」


 掬は本を景の前へと動かした。写真の横に、丁寧に書かれたとうかがえる癖の少ない濃い線の文字が並んでいる。


「自分のページを読むのって、なんだか変な気分だね」


 景ははにかみながら本を動かして、自分の影からはずした。


「えっと……『掬の大好きな人。たくさんお話してたくさん遊びました。景は掬を大事にしてくれると言っていたので――』」


「ちょっと!」


 篝が机を叩いた。


「あんた、掬に何言ってんのよ! 掬はあたしの妹なんだから、絶対に渡さないからね!」


 篝が掬を抱きしめる。


「ぼ、僕はそんなこと言った覚えは……」


 景が慌てて取り繕うと、掬が頬を膨らませた。


「いや、もちろん僕は掬を大事にするよ」


「だからあげないって言ってるでしょ!」


 篝が本をとって、それで景の頭を叩く。


 閉じられたゲーム機の中で、ネッジイがあきれ顔をひっそりと画面に映した。


※ ※ ※


 寝ぼけという休息の余韻をわずかに残しながら、目日田は早朝の食堂へと向かった。食堂の入口の少し手前で止まると、大きく息を吸って頭から怠惰を吹き飛ばす。


「よし」


 腹に力を入れ、足を踏み出した。


「やぁ、みんな! おはよう!」


 力のこもった挨拶が食堂に響く。


「おはようございます」


 一番に応えたのは景だった。


「うん。おはよう」


 シゲもそれに続く。景とシゲの間に、黒いベールをかぶった人影があった。


「おや、新入りがいるではないか。二日続けてとは珍しいこともあるものだな」


 目日田はベールの人影へと近寄る。


「目日田だ。よろしく」


 目日田が握手を求めて右手を差し出すと、人影は振り向いて無垢な瞳を目日田に向けた。そして目日田の手を握る。


「……おや?」


 目日田は人影の袖にフリルがついているのに気が付いた。袖だけではない。人影はフリフリの黒いドレスを身にまとっている。


「ま、まさか……」


 目日田は左手を震わせながらベールへと伸ばし、少し持ち上げた。わずかに宍色の髪が――


「うぉぉぉっと!」


 目日田が髪の色を認識する前に、体は大きく後ろに飛びのいていた。


「ど、ど、童中のっ!」


 慌てふためく目日田に、人影は首を傾げた。


「掬だよ?」


「ほら、ちゃんと髪を隠して」


 景が立ち上がって髪をベールの中にしまった。


「すみません。大丈夫ですか? 驚かせちゃいましたよね」


「い、いや。取り乱してすまない。髪が隠れていたので油断した」


 目日田は深く息を吐いて背筋を伸ばす。


「なぜ髪を隠しているのだね」


「翼がくれたの」


 掬はベールを両手で押さえる。


「羽月さんが作ってくれたみたいなんです。掬の髪が見えなければ、少しは掬が怖くなくなるんじゃないかってことだと思うんですけど、目日田さんはどうですか?」


「自分は……いや、認めよう。確かに自分は髪に恐怖を抱いていたし、髪が隠れて幾分か楽になった。だが、羽月さんはどうしてこんなことを――」


「ああ、ちゃんとつけてるね」


 羽月が翼を抱いて食堂に入ってきた。目日田の後ろを通って、掬と距離を維持したまま目を合わす。


「わたしの前ではそれをとるんじゃないよ」


 掬はこくこくとうなずく。これに黙っていなかったのは目日田だった。


「なぜこんなことを? 羽月さんは童中と距離をとろうと言っていたではないか」


「そんなこと言ってたかい? ま、過去は過去だよ。ちょっと昔を思い出しちまってね。逃げてばっかってわけにもいかないだろ?」


 羽月はテーブルを回り込んで景たちの反対側に座った。


「なんか無視されてる気がするけど、あたしもいるからね」


 景の後ろから篝が顔を見せる。シゲが目日田ににやけた顔で笑いかける。


「すごく賑やかになって、楽しいよね」


 朝食の時間が終わるまで、目日田は唖然と立ち尽くしていた。


※ ※ ※


 夜通しでゲームをする。友人の家に泊まってそうしたときには心躍ったものだ。毎日できればと、何度も願った。


 それがいま、叶っている。


「ふぁ……」


 景は大きなあくびをした。手には折り畳み式のゲーム機を握っている。それと無線でつながっているピンクのゲーム機を握る篝が、つり上がった目を景に向ける。


「眠たくないのにあくびが出るってことは、退屈ってことよね? あたしとゲームするのがそんなに退屈?」


 景は大きく開いた口を急いで閉じ、首を横に振った。


「そ、そんなことないよ。ただ、眠くならないっていっても、寝ないで朝を迎えるとなんだかあくびが出ちゃうというか……」


 景は言い切らなかった。三日も連続で同じゲームをしていれば退屈にもなる。一方的に負け続けていればなおさらだ。だがそれを伝える勇気が景にはなかった。


 しかし嘘を言ったつもりもない。白んできた空を見上げると、体の芯が気怠く感じた。このまま明るくなっても、朝になったという感覚はやってこない。睡眠というリセット無しでは翌日を迎えられないのだ。


「なに黄昏てんのよ。明るくなる前にもう一戦やるわよ」


「篝はよく飽きないよね。っていうか、入口を調べなくていいの? もう三日になるのに全然調べてないじゃん」


 景はモノリス型のオブジェを見上げる。この三日間、ほとんどの時間を中庭で過ごしているが、中から人が出てくることはなかった。


 篝がゲーム内で対戦申込みをする。


「調べたってどうせ入口は開けられないわ。シゲが嘘をついているとは思えないもの」


「そうだけど、シゲさんが見落としてることもあるかもしれないよ」


「そうね。でも急いでるわけじゃないんだから、今度でいいでしょ? 今日はなぜか掬がいないんだから、ゆっくりゲームするチャンスよ」


 景は自分のイスに触れた。いつもは一緒に座っている掬の姿がない。


「本当に……どこに行っちゃったんだろう」


 景は顔を落とす。篝は座ったまま、景のすねをつま先で蹴った。


「あたしがゲームしてあげてるんだから、掬がいないぐらいでうじうじするのやめなさいよね。どうせ掬がいても、ただいるだけなんだから変わらないでしょ」


「掬はいるだけでかわいいから、いるだけでいいんだ――」


 景の口から自然と言葉が出た瞬間、鋭いげんこつが景の頭を襲った。


「なによ! あたしはいるだけじゃかわいくないっていうの!?」


 篝がこぶしを握って立ち上がっていた。景は痛むわけでもない頭をさすりながら、首を横に振る。


「そんなことないけどさ。やっぱり掬には劣るよ」


 篝は手を強く握りしめたあと、勢いよくイスに座った。


「痛くないからって、はっきり言うじゃない。まぁ、否定はしないけど。あの子のかわいさは世界一だもの」


 篝が机を叩くように右手を置いた。


「でもね。掬がかわいいのはあたしのためなんだから! 景のためじゃないんだからね!」


「なにそれ。意味わからないよ」


 景はゲーム機に目を戻し、『対戦を受けますか?』の下に表示された『はい』に指を伸ばす。だがそれを老人の顔が邪魔した。


「わっ!」

 景は思わずゲーム機を投げた。テーブルで跳ねたゲーム機の画面には、劇画タッチの老人が映っている。


『人が映るなり投げるとは、失礼な奴じゃのう』


「ネ、ネッジイ!? ごめん。いきなりだったからびっくりしちゃって」


 景はゲーム機を拾い上げた。


「あとその見た目もびっくりするからやめたほうがいいと思うな。この前の、二頭身のかわいいやつの方がいいよ」


 ネッジイは長いひげをなでる。


『そうかのう。カッコいいと思うんじゃが、男子の景にも受け入れてもらえんか』


「たしかにそっちのほうがカッコいいけど、ネッジイにカッコよさは求めてないかな」


 景は苦笑いを浮かべる。篝が景のゲーム機に手を伸ばし、自分に画面が見えるように傾けた。


「それで、何の用よ? 意味もなく出てきたんなら、画面叩き割るから」


「これ、僕のゲーム機なんだけど……」


「だから何?」


 ささやかに主張する景を、篝は吊り上がった目で制した。


『そうピリピリするでない。掬ちゃんのことが気になっているのじゃろう?』


「あたしは別に。どうせまた、掃除機みたいな変なものに興味持ってかれてるんでしょ?」


『ほう。さすが篝ちゃんじゃのう。じゃが今日は様子が違うぞ』


 画面でオプションが勝手に開き、表示の部分を操作し始める。そして以前見たように

『劇画』から『デフォルメ』に変更した。ディレイの後に二頭身のネッジイが表示される。


 景はゲーム機に顔を近づけた。


「ネッジイは掬が何をしてるか知ってるの?」


『当然じゃ。ワシはこの屋敷の防犯システムにアクセスできるからの。どこに誰がいるのかは常に把握しておる。カメラのある場所なら何をしてるのかまでわかるぞい』


「じゃあ掬はカメラのある場所に――」


 景の頬がつねり上げられた。


「なんで掬を探そうとしてるのよ! どうせ朝食のときに会うんだから、それでいいでしょ!」


 篝が立ち上がって景の頬をつまんでいる。景は苦笑いを浮かべて、篝の手を振り払った。


「聞くだけ。聞くだけだから。せっかくネッジイが来たんだし、少しぐらい話をしようよ」


『そうじゃそうじゃ。年寄りの話は聞いておくもんじゃぞ』


 景のゲーム機の中でネッジイがうなずく。篝は深くため息をつき、自分のゲーム機を閉じた。


「あたしたちが死んだ後に作られたくせに、生意気いってんじゃないわよ。で、掬の何がいつもと違うの? たいした話じゃなかったら、わかってるわよね?」


 篝がこぶしを握ると、ネッジイがゲーム機ごと身震いした。景はさりげなくゲーム機を篝から遠ざけ、あることに気づく。


「あれ? もしかして篝は、ネッジイが逃げられないようにゲーム機を閉じたの?」


「そうよ。電源も落としたから、もうこっちには来れないわ。景は閉じるんじゃないわよ」


「はは……」


 もう笑うしかなかった。景はゲーム機の運命を握っている二頭身の老人に目を向ける。


「謝るなら今のうちなんじゃないかな」


『安心するのじゃ。ワシは話術に自信がある』


(大事なのは話術じゃないんだけど……)


 そう思う景を尻目に、ネッジイはスピーカーを震わせた。


『とは言ったものの、掬ちゃんがいる場所はさして珍しい場所ではないのじゃ。掬ちゃんは展望塔の上におる』


「展望塔って、掬が僕の部屋を見るのに使ってたっていう、あの場所?」


 ネッジイがうなずく。


『そうじゃ。景の坊主が来るまでは頻繁に行っていた場所じゃな』


「余計なことは言わなくていいのよ。叩き割るわよ」


 篝がゲーム機をつかむ。ネッジイは小さくなりながら首を横に振った。


『ま、待つのじゃ! ここからが大事なところじゃ! 聞かないと後悔するぞい!』


「ならさっさと言いなさいよ」


『わ、わかっとる。とりあえず手を離すのじゃ』


 ネッジイがゲーム機を振動させる。だが篝は手を離さない。


「自信があるんでしょ? ならそのまま話せばいいじゃない。掬は何をしてたの?」


『ぐ……仕方ないのう。掬ちゃんは空を見上げておったよ。塔の上で月明かりに照らされながら、静かに空を見上げておった。それはそれはきれいじゃった』


 ネッジイは目を閉じて、その光景を思い出すようにした。景も同様に目を閉じ、漆黒のドレスとベールを身にまとった掬が月明かりに照らされる様子を想像する。それはとても神秘的で美しく、景が直接見ていたら間違いなく見とれていただろう。


 景は心の奥底が痺れるような感動を覚えた。だがそれが『たいした話』かといえば、そうではない。


(さよなら。僕のゲーム機)


 景は覚悟を決めた。閉じた目をゆっくりと開く。


「……あれ?」


 ゲーム機が奪われることも、叩き落されることもなかった。篝は吊り上がった目を大きく開き、ネッジイへと向けている。


「……どうして? どうしてあの子が空なんて見てるのよ?」


 篝の手は震えていた。


「どうしたの? 篝?」


 景が篝の顔を覗き込む。篝は景と目を合わせたあと、目をそらした。


「な、なんでもないわよ。ただ、どうして空を見てたのか気になっただけ」


「そう? 月が綺麗だったから、それで見てたんじゃないかな」


 景は白み始めた空を見上げた。中庭を照らしていた月はもう見えず、空を埋め尽くしていた星も海の方角から消え始めていて、まばらになっている。


「あれ……」


 景は目を細めた。空が突然明るくなったのだ。


(日が上った……? いや、変だ。こんな急に明るくなるなんて。それに――)


 高い。太陽に似たその光はほぼ真上にあった。夜明けに太陽がある位置じゃない。


 光は空を下っていく。景は似たような光景を見たことがあった。


「ロケット?」


 ロケット打ち上げの中継。強い光を放ちながら空を走る姿はそれによく似ていた。違うところといえば、上下が完全に逆だというところだ。


「落ちて……きてる?」


 景は光を目で追った。だが光は速く、あっという間に屋敷の陰へと入る。


「見えなくなっちゃった。何だったんだろ――」


 轟音とともに世界が揺れた。景はバランスを崩して尻餅をつく。


「いたた……。本当に何だったんだろ。篝? 大丈夫?」


 特に痛みもしない腰をさすりながら、篝に目を向ける。篝は自分の肩を抱いて膝をついていた。ゲーム機は地面に転がっている。


「あー、僕のゲーム機、壊れてないといいけど。ねぇ篝。聞いてる?」


 景は立ち上がって篝の肩に触れた。


「篝……?」


 景は異常に気づいた。篝がひどく震えていたのだ。


「どうしたの篝? 大丈夫?」


 景は篝の前に回り込み、顔を覗き込んだ。篝の顔はこわばり、目の焦点が合っていない。


「同じ……あのときと同じだわ……」


「なに? どうしたの? あのときって、なに? ねぇ! 篝!」


 景が声を張ると、篝は目を少し上げた。


「また、人がたくさん死ぬ」

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