8.

 どれほど歩いただろう。

 吹雪の向こう側の景色は、家屋や電線、街路樹などが雪に浸食され尽くしてしまい、すべてが白一色に染まっていた。


 同じ場所をぐるぐるめぐるような感覚。

 この時ノエルは、体力だけでなく心も疲弊して弱りきっていた。


 やがて、前のめりで歩いていた小さな身体は力尽きてしまい、ついに倒れる。それでも両肘を着き、胸元の子猫だけは何とか守った。


 ノエルは立ち上がろうとするも、四つん這いでじっと目を閉じて吹雪に耐えることしかできず、メルトン生地の赤いダッフルコートは、みるみるうちに雪に覆われていった。

 寒さと疲労でノエルの意識が朦朧としていると、胸元の子猫がミャアミャアと元気よく鳴き出して暴れだす。


 薄目を開けて行き先を見つめる。

 遥か彼方に、金色の光がふたつ見えた。


 その光はまるで何かの生き物の眼光のようでもあり、こちらをずっと照らしている。子猫は興奮しているのか、出せと言わんばかりにコートの内側をき続けた。


「ニャンちゃん、どうしたの? 中から出たいの?」


 胸元で暴れる子猫を気づかいながら、寒さで紅く染まってしまった頬を上げる。ほんの一瞬だけ光が強くなったような気がした。

 そして、こちらへ着いて来いと言わんばかりに、金色の光はフワフワと揺れながら遠退いていった。


 ノエルが住むタワーマンションは、この辺りでも抜きん出ている高さで、本来ならばすぐに見つけて辿たどり着けるはずだった。けれども、猛吹雪が視界を塞ぎ、それがかなわずにいた。

 ノエルは何とか立ち上り、前へと進む。今はただ、遠くに輝く金色の光の後を追うことしか心のよりどころはなかった。

 雪と強風の寒さに体力を奪われてノエルが意識を失いかけるたび、胸元の子猫はまるで『頑張れ!』と声をかけるようにして、元気いっぱいに鳴き続けて励ましてくれた。


「ニャンちゃん……ありがとう」


 子猫に向けて笑顔をつくった途端、とうとう力尽きてしまい両膝を着く。


 ノエルは最後の気力を振り絞り、かじかみ震える手でダッフルコートの胸ボタンを外すと、子猫を両手で取り出して雪道に置いた。


「ニャンちゃん、ごめんね。わたし、もうダメみたい……」


 その言葉を最後にノエルは前へ倒れ、子猫に向かって笑顔で「バイバイ」と力なく囁いた。


 まぶたを閉じた幼い顔が──


 赤いメルトン生地のダッフルコートが──


 みるみるうちに銀色に埋もれ、景色と同化してゆく。


 子猫は鳴き続けるが、ノエルの目は開かない。

 前足で小鼻を何度か叩いてみても、ノエルが動くことはなかった。


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