7.

「ニャンちゃん、寒いでしょ?」


 ダッフルコートのボタンをいくつか外し、目を細めて震える子猫を胸元へ招き入れる。最初はじっとしていたが、ノエルのぬくもりを分け与えられた子猫は、もぞもぞと元気に動き始めた。


「きょうからは、わたしがお母さんよ。さあ、一緒におうちへ帰りましょうね」


 ノエルは子猫に優しく語りかける。

 それに応えるように、胸元で小さく鳴き声が聞こえた。


 自分の足跡を踏み直しながら来た道を戻っていると、吹き荒さぶ雪は灰雪へと変わり、辺りにはノエルが雪を踏む足音と吐息だけが微かに響く。

 胸元の子猫は眠っているのか静かなままで、時折動いてはノエルの衣服に爪を引っけている。吹雪も収まり、寒さは子猫を抱いているおかげで、手足と頬っぺた以外は気にならなくなっていた。


 ──ふと、ノエルは異変に気づく。


 何かがおかしい……


 立ち止まり、天を仰ぐ。

 が、漆黒の闇からは、ひとひらの真っ白な雪が落ちてくるばかりで、とても穏やかな雰囲気だ。

 まわりを見ても、街並みは確かに雪で深く埋もれてはいるが、あれだけの雪が降ったのだから当然のことであった。

 それでも、何かがおかしいとノエルは感じる。

 ふたたび歩き始めた時に、その理由がようやくわかった。


 音が聞こえないのだ。


 一歩足を踏み込む。

 何も聞こえない。


 また一歩足を踏み込む。

 やはり、何も聞こえない。


 さっきまで聞こえていた雪を踏む音や自分の吐く息でさえ、何も聞こえなくなっていたのだ。おかしいと感じていたのは、無音の世界になっていたからであった。


 そして、ノエルが答えを見つけた瞬間、急に耳鳴りがした。


 胸元の子猫に話しかけるが、自分の声もやはり聞こえず、子猫はじっとしたまま動かない。ただ、耳鳴りだけが続いている。ノエルは無性に怖くなったが、泣き出しそうになるのを我慢して堪えた。


 顔を上げて歩き始めようとしたその時、耳鳴りを切り裂くような轟音が聞こえたかと思えば、突然の猛吹雪がノエルを襲う。


「きゃああああああ?!」


 次から次へと顔や身体に雪が飛礫つぶてとなって降りそそぎ、強風でフードもめくれて濡羽色ぬればいろのふたつ結びが宙を泳ぐ。

 強風と雪に押されながらも、何とか前へ進むが視界は白く、道標となっていた足跡も雪で埋まり、今はただ、ひたすら歩くことでしか凍てつく寒さと雪から逃れる術はなかった。


 自然の猛威にさらされながら、ノエルはいろんなことを考えていた。


 豆乳生姜鍋……隣のお姉さん……キルト柄エプロン……豆乳が無い……買い出しに行く……母親は帰らない……子猫を見つける……猛吹雪にあう……


 この短時間で、実に様々な出来事が起きていた。激しく降りしきる雪の空の下でノエルは心細かったが、ひとりぼっちではない。


「早く帰りましょうね、ニャンちゃん」


 そう笑顔でつぶやきながら、ノエルは胸元の子猫をコート越しに優しく撫でた。


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