4.

 マンションの集合玄関機オートロックを抜けると、外界は銀世界だった。


「うわぁ……すごい……」


 雪が降っているだけではない。

 そこはまさに、雪の世界だった。


 道路や住宅、電線や木々の細部に至るまで、視界に入る全てにおびただしい雪が積もっており、いびつな形の大きなかたまりへと姿を変えていたのである。

 また、ところどころに見える覆われきれていない部分が、まるで獣に食い散らかされた肉のようにも思えてノエルの恐怖心を掻き立てた。


 降りしきる雪の中で目にするそれらは幻想的でもあったが、ある種の〝異次元空間〟に迷い込んだ怪異とも感じられ、幼い少女ノエルは、この異常気象を──異常事態を深く考えないようにして、思考を豆乳の買い出しだけに集中させることにした。


「……急がなきゃ!」


 いつものスーパーへ向かう途中、雪は風にのって強さを増し、とうとう吹雪いてきてしまう。

 スーパーへ行くのはあきらめて、近くのコンビニへ向かうことにする。

 風はさらに激しくなり、歩一歩進むのがやっとだ。


「無理だよ、もー!」


 ずっと赤い傘を進行方向に向けてさしていたが、風と雪の重みで何度もバランスを崩しかけて転びそうになる。

 傘をずらして辺りを見れば、通学で慣れているはずの道は雪に覆われ景色が変わり、いったい今はどこを歩いているのか、ノエルにはもうわからなくなってしまっていた。


  薄目を開けて、何とか前へ進む。


 いつもは最寄りのコンビニまで5分とかからない距離が、歩き始めてから20分が過ぎようとしていた。

 すると、突風のような衝撃波が突如巻き起こり、赤い傘が天高く舞い上がる。


「きゃーっ!」


 足もとをすくわれる格好で盛大に転んだノエルは、鈍色にびいろの空から激しく降りそそぐ雪に埋もれるまえに、ゆっくりと半身を起こしてから立ち上がった。


 もう、豆乳が無くてもいいんじゃないか──


 ノエルの心が折れかけると、ダッフルコートのポケットの中で母親からの着信音が鳴り響く。利き手のミトンを取ってからスマートフォンの画面を手早く開き、通話アプリを起動させる。

 そこには、大雪の影響で交通機関が麻痺して動けず、今夜は帰れそうにないとのメッセージが書き込まれていて、文末には悲しそうな顔と両手を合わせた絵文字が添えられていた。


 ──引き返して生姜鍋にしよう。


 ノエルが画面を閉じてスマートフォンをポケットにしまったその時、どこかで赤ん坊の泣き声が聞こえたような気がした。

 周囲を見まわすが、何人かの大人たちが積雪や吹雪と格闘しているだけで、赤ん坊の姿はどこにも見えない。

 飛ばされてしまった傘の代わりに赤いメルトン生地のフードを被るろうとすると、今度は気のせいではなく、確かに赤ん坊の泣き声がはっきりとノエルの耳に届いて聞こえた。


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