第9話 豚飼いの悩み



エミリオは恵みの森でブタを放牧する農夫だ。

野菜や芋、豆などの作物を育てるほかに、ブタとニワトリを飼育していた。


そのブタが病気に罹っていると知ったのは、つい先日のことだった。


エミリオは親の代から続くならわしに従い、森の魔女に助力を求めた。

家族が病気になっても、家畜が病気になっても、エミリオの一家が頼りとするのは恵みの森に棲む魔女さまだった。


だが森の魔女はエミリオのブタを診ると、申し訳なさそうに首を振った。


「タチの悪い病じゃ。あたしの手にゃ負えん!」

「少しばかりの蓄えならあるんだ。高価な魔法薬でも構わない。どうにかしてもらえねぇか…?」

「薬など効かんよ。それより…。あいつとあいつは、別の場所に移した方が良い。他のブタに病気がうつる」


「そんなぁー。せっかく、ここまで肥えさせたのに…。クソったれが!」


エミリオは丸々と肥えたブタを指差して、口汚く罵った。


木の柵で囲われた中に、二十頭ほどのブタが鳴き声を上げていた。

森の魔女が隔離するように指示したブタは、特に肥え太った数頭だった。


病気のブタは売ることが出来ない。

ブタが患う病気は、人に感染するモノも多い。

こっそり病気のブタを潰して肉にするのは、禁忌である。

『そんな真似は死んでもしない!』と言うのが、豚飼いの矜恃だった。


だが誇りを守れば、エミリオの家族が飢えてしまう。

自分だけであれば意地を張れるエミリオも、愛する家族が絡むとなれば途端に顔色を失う。

養うべき妻子にひもじい思いをさせるのは、言葉にできぬほど情けなく、辛いコトなのだ。


エミリオの嫁は、秋口に出産を控えていた。

育ち盛りの幼い息子たちにも、たくさん食べさせてやりたい。

それなのに家計を支えてくれるはずのブタが、病気になってしまった。


予定外の減収を計算して、エミリオは項垂れた。


「エミリオや…。そんなに落ち込むんじゃないよ。オマエ迄、病気になっちまうよ。なにも打つ手がないとは、言うとらん!」

「………だったら、魔女さま。なんぞ、上手い方法でもあるんですかい?」


「そうじゃな…。あたしの犬も、同じ病に罹って苦しんでおった」


森の魔女は、横に付き従う大きな黒い犬の頭を撫でた。


「森に点在するケガレのせいじゃ!」


春先に吹き抜けた風が、悪い瘴気を恵みの森に運んできた。

そのせいで、森の一部に穢れが生じてしまった。


穢れに気づかず、木の実や草を口にした小動物が病に侵され、これを捕食した肉食獣も命を落とした。


大地に滲みた穢れは、魔女の使い魔である黒い犬まで苦しめたのだ。

並大抵の病毒ではなかった。


おそらくは…。

エミリオのブタも、穢れた芋などを掘り起こして食べたのだろう。


「てっきり助からぬものと、嘆いておったが…。村の広場に出かけたかと思ったら、すっかり元気になって戻ってきよった…。なぁ、ロルフ」


魔女に話しかけられた黒い犬が、嬉しそうに尻尾を振った。


「この病を治せる者が、メジエール村におるんじゃよ!」

「はあ…?」


エミリオは半信半疑で黒い犬を見つめた。

とても病気を患っていたとは思えない、毛づやの良さだ。

赤い目の輝きには生気が漲り、黒い鼻先もしっとりと濡れている。


何処から見ても健康な犬だった。


「精霊の樹を知っとるかい?」

「ええっ。勿論ですとも。村の広場に、一晩で生えた巨木ですよね。メジエール村を上げての、大騒ぎになりましたからね。オレも、見に行きましたよ」


エミリオが頷いた。


「だったら精霊の子は…?」

「たしか…。メルと名付けられた、女の子ですよね」

「その子に頼んでみな…。ブタを助けてくださいって…」


「ええーっ?」


それだけ言い残すと、年老いた魔女は黒い犬を伴って、恵みの森へと帰っていった。



取り残されたエミリオは、『酔いどれ亭』に引き取られた女児の姿を思い浮かべ、力なく天を仰いだ。


家計を支える大切なブタたちが死にそうなのに、エミリオの窮地を嘲笑うかの如く、空は晴れ渡っていた。

上空を白い雲が、のんびりと流れていく。


(ちっ…。嫌味なほど清々しい青空じゃないか!)


エミリオの心だけが、どんよりと曇っていた。


「精霊の子かぁー。あんな、ちっこい娘っこに…。いったい何ができるって言うんだヨ…?」


エミリオにとって不思議な力が使えるのは、森の魔女さまだけだった。

それは修練と知恵によってたどり着く、究極の高みである。

だから、子供の魔女なんて存在しない。


「精霊の子ってのは、特別なんだろうか…?」


エミリオは腕組みをして、ウームと唸った。


だけど…。

エミリオが頭を悩ませるまでもなく、やるべきことは決まっていた。


普段から、『酔いどれ亭』とは取引がある。

鶏卵でも土産に持って行けば、話くらい聞いてもらえるだろう。


「とにかく、フレッドのやつに相談してみよう!」


そう結論すると…。

エミリオは病気のブタを隔離すべく、囲いの中に入っていった。




「それで…。うちのメルと豚の病気に、どんな関係があるんだ?」


『酔いどれ亭』の客席で茶を啜りながら、フレッドが訊ねた。


昼下がりの客が来ない時間帯だ。

夜の仕込みには未だ早い。


エミリオも『酔いどれ亭』の事情を知っていて、この時間に訪れた。


「いや…。オレだって、よく分からないんだよ。森の魔女さまに言われて来たんだ。メルちゃんが、魔女さまの犬を治療したんだとさ」

「魔女さまの犬をねぇー?」


フレッドはエミリオが土産に持って来た鶏卵を手に取り、困惑の表情を浮かべた。


『世迷言を聞かせに来たのか…?』と嫌な顔を見せるには、籠に積み上がった鶏卵の数が多すぎた。


卵は貴重品だ。

けっして安い品ではない。

エミリオの真剣さが、痛いほど伝わってくる。


しかし、言っているコトが理解できない。

何故にメルなのか…?


メルは獣医でもなければ、薬師でもない。

まだまだママゴト遊びが似合う、いとけない女児である。


それなのに魔女さまの犬を治療したとか聞かされても、『おまえは何の話をしている…?』と問い返さずにはいられない。


「アビーなら治癒魔法を使える。アビーの間違いじゃないのか?」

「それならオレも納得できるんだけど、魔女さまは確かにメルちゃんの名を出したんだ」

「フーッ。信じられんな」

「信じられない気持ちは、オレも同じだよ。だけど、魔女さまに言われたんだ!」


「そこだよなぁー」


メジエール村の住人たちにとって、恵みの森に棲む魔女さまは特別だった。

とても尊い存在なのだ。

なんなら村長よりも、ずっと偉い。


魔女さまの言葉であれば、信じなければならない。

だからフレッドも、エミリオの発言を無視する訳にいかなかった。


「おい、アビー。メルは何をしてる?」

「あらっ。さっきまで店のまえで、洗浄の魔法ピュリファイを練習してましたよ」

「店のまえには居ない。どこかに行ったようだな…。済まないが、用事があるから連れてきてくれないか?」


「わかりました。ちょっと探してきますね」


アビーはエミリオに会釈してから、店の外にでた。





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