第8話 タリサ襲来
小さなタリサは、雑貨屋の末娘だった。
九歳になる兄と八歳の姉がいて、タリサは今年で六歳になった。
『妹あつかいなんて、もうコリゴリよ!』と言うのが、タリサの口癖だった。
因みにメルのワンピースは、タリサのおさがりだ。
小さくて着れなくなったワンピースがメルに譲られたことをタリサは聞かされていなかった。
なんならメルの存在でさえ小耳に挟んだ程度で、記憶に残っていない。
幼い子供と言うモノは、対象を目のまえにして漸く理解に至る。
だからタリサは、村の広場に精霊の樹が生えたコトしか知らなかった。
そもそもタリサが住む雑貨屋は、メジエール村の中央広場から少し離れていたし、遊びたければ兄や姉の玩具を借りれば良かった。
近所の大工さんは、タリサがねだれば積み木でも木馬でも、片手間で作ってくれる。
雑貨屋のまえから離れなくても、タリサは退屈せずに済んでいた。
それにメジエール村の中央広場には、見知らぬ大人たちが
タリサは意志が強そうに見えて、実のところ怖がりである。
そんなタリサが広場に関心を示したのは、精霊の樹に関心を惹かれたからだ。
一夜にしてドーンと生えた精霊の樹を近くで見てみたかった。
なんなら、ガシッと抱きついてみたい。
実に子供らしい思い付きであった。
そして、この思い付きが、タリサとメルを引き合わせる切っ掛けとなった。
タリサは末っ子らしく、甘えるのが得意だった。
それだけに、通せる我儘とダメなモノの見分けがつけられた。
仕事で忙しい両親に、中央広場まで連れて行ってくれとは頼めない。
これは通そうとしても上手くいかない我儘である。
それはタリサにもよく分かっていた。
だったら、兄か姉にねだるのみ。
「トッドお兄ちゃん。あたしを広場に連れてって…」
「タリサは六歳になったんだろ。中央広場くらい、ひとりで行けるよな!」
トッドはナイフで廃材を削りながら、冷たくあしらった。
玩具の木剣を作るのに忙しいらしく、視線を合わせてもくれなかった。
「アレサお姉ちゃん…」
「タリサ、ごめん…。わたし、友だちのお茶会に招かれてるの!」
姉のアレサに頼もうとしたら、お人形を抱いて逃げていった。
所詮、兄だの姉だのと言うモノは、肝心なところで役に立たない。
それでもって、タリサを妹あつかいする。
「お兄ちゃんも、お姉ちゃんも要らない!」
タリサはプーッと頬を膨らませた。
こうした事情があって、タリサは単独でメジエール村の中央広場を目指すことになった。
道順は頭に入っていたけれど、はっきり言って不安だ。
ひとりポッチは怖い。
それでも精霊の樹をガシッと抱きしめてみたかった。
女児の一念、岩をも通す。
黙々と歩き続けたタリサは、ついに広場へ足を踏み入れた。
その時…。
メルは精霊の樹の根元に敷布を広げて、午後の休息を楽しんでいた。
人形とぬいぐるみを横に侍らし、メジエール村の中央広場に棲みついたミケ猫を抱いて、のんびりとお茶を啜っていた。
テーブル代わりの小さな木箱には、お茶請けのツマミが置いてある。
今日は炒り豆でなく、漬かりすぎて酸っぱくなったキャベツだ。
アビーが作った
メルは酸っぱすぎるピクルスを口に入れて、キューッと悶えるのが好きだった。
暴力的な酸味にドキドキしながら、キャベツを口に含む。
ちびっ子の味覚には凶暴すぎる酸っぱさが、メルを襲う。
「んっ!ん、んーっ!!」
しばし、涙ぐんで身悶えする。
それから、ズズズーッとお茶を啜る。
「うはぁーっ。すっぱ!」
精霊の樹を背景にして、敷布に座る女児が一名。
その周囲には、テーブルに見立てられた木箱と人形たち。
一見して独りママゴトの如く見えるが、メル的に言えば敷布の内側は国家安全保障局だった。
人形は国家安全保障局のドール長官で、ぬいぐるみはラビット副長官だ。
メルとミケの役どころは、レジェンドな敏腕工作員である。
アクション映画で主役を張れるレベルなのだ。
それが何でお茶をしているのか?と言えば、全ては世を欺くための偽装だった。
メルたちは危険なウイルスを撒き散らす、悪いテロリストが居ないか広場を監視していたのだ。
そこに赤毛の女児が現れ…。
ズンズンと国家安全保障局に近づいてきて、ギロリとメルを睨みつけた。
メルと違って本物の女児だった。
他人の
(うわぁー。ナニ、この子?)
初めてメルが目にしたタリサは、もの凄い目つきで睨んでいた。
タリサの眼力が凄すぎて気まずくなったメルは、ススッと視線を逸らした。
(めっちゃ睨んでるんですけど…。怒ってる?怒ってるのかな?僕がナニかしたんでしょうか?)
メルは見知らぬ女児に睨まれるような、覚えがなかった。
「あんた、それ。あたしの服だよね!」
「はぁー?」
タリサはメルのワンピースを指差して、言い放った。
「あたしの服を着てるってコトは、あんたが妹だってコトになるのよ」
「ええーっ?」
「あんたはちっさいから、むつかしくて分からないかも知れないけどぉー。そういうオキテなの…。あたしが姉で、あんたは妹。わかったぁー?」
「……はぁ?」
ちっとも分からなかった。
「あたし、タリサ。あんたは…?」
「メル…」
「メルかぁー。覚えやすくて、よい名前ね」
そう言いながら、タリサは靴を脱いでメルの敷布に上がり込んだ。
「あんただけお茶を飲んで、お客さまにはないの…?」
「まって…。取ってくゆ」
タリサに圧倒されたメルは、ミケを置いて立ち上がると『酔いどれ亭』に駆け込んだ。
国家安全保障局が設立されて以来の、緊急事態だった。
お茶を用意したメルが急いで戻ると、タリサが身悶えしていた。
メルに断りもなく、ピクルスを口にしたようだ。
「……なっ、なにコレ?死ぬほど…。スッパイんですけどぉ!」
「………死ぬろ?」
「死なないわよ。勝手に、あたしをコロさないでよ」
「おまいさん。おちゃ、飲め…」
メルは咳込むタリサのまえに、そっとティーカップを差しだした。
ティーポットに残っていた、ぬるめのお茶だ。
「ありがとぉー。おいしい…。生き返るわぁー」
「どーいたまして」
「それを言うなら…。『どぉーいたしまして…』でしょ!」
「いたまして…?」
敷布に座りながら、メルもキャベツを口に入れた。
「あんた。よく、そんなの食べるね。平気なの…?クチ、すっぱくないの…?」
「むぎぃーっ!」
「くっ、苦しんでるじゃん。あんた、バカじゃないの!!」
「んん、んーっ!」
目を丸くして身悶えるメルを見て、タリサは固まった。
タリサの説明によると、メルのワンピースには何やら長い来歴があった。
お尻の擦り切れたワンピースは、歴史ある幼児服だった。
「だからぁー。さいしょに…。カジヤさんのシンセキが、まだ小さかったカジヤのお姉さんに、プレゼントしたワンピースなの…。おかねもちのオジサンが、王都で買ってくれたワンピースだから、キジもしっかりしていてシタテも良いのヨ」
いまは嫁いだ鍛冶屋の娘さんが、かつて親戚から贈られた品らしい。
『いったい何年まえの話なの…?』と、メルは遠い目になった。
その幼児服が村中をクルクルと回って、やがてタリサの姉に譲られ、次いでタリサにさげ渡され、メルのもとにたどり着いた訳だ。
なんとも丈夫で、長持ちなワンピースだった。
しかもメジエール村の女たちを姉妹、姉妹…と、あちらこちらで結び付けている。
「それでね…。この村では、おさがりをもらった子は、くれた子の妹や弟になるのが決まりなの…。わかったぁー?」
「……はい!」
つまりはタリサがメルの姉貴分で、メルがタリサの妹分だった。
ナニが何なのか、メルにもすっきりと理解できた。
「メルは、お姉ちゃんとか妹が居る…?」
「ない」
「じゃあ、お兄ちゃんや弟は…?」
「居ない」
「それはコドクねェー。わかるわぁー。その、さびしいキモチ…。あんた、耳がヘンテコだから、トモダチ出来ないんでしょ」
「はぁ…?」
子供特有の素直さで、タリサはメルの耳を指差してヘンテコと言い切った。
余計なお世話だった。
メルはタリサの発言を不穏当だと思ったけれど、『僕の耳と友だちは関係ないよ!』と反論するだけの会話力が無かった。
「そうだ。あしたから、あたしが遊びに来てあげる!ほらっ、あたし…。あんたの、お姉ちゃんだからね」
「…ほぇ?!」
それは是非とも、やめてもらいたかった。
やめてもらいたかったけれど、うまい具合に断るだけの会話力がメルには無かった。
だから口を半開きにして、黙り込んだ。
まことに遺憾である。
タリサは精霊の樹に抱きつくという当初の目的を忘れ、嫌がるメルをガシッと抱きしめてから帰っていった。
再会を誓って…。
リアル女児、恐るべしデアル。
翌日、タリサの襲撃に怯えながら日課をこなしていたメルは、日暮れ時を迎えるとホッと安堵の息を吐いた。
(暗くなったら、もう遊びに来れないよね…)
所詮、こどもは子供なのだ。
勢いで約束しても、一晩すれば忘れてしまう。
(僕の買い被りだったよ)
前世の記憶を思い起こせば…。
最初は病室まで見舞いに来てくれた友だちも、二週間と経たずに
退院してから恨みがましく
子供なんてモノは、どんなに約束したって直ぐ忘れてしまうのだ。
そのことをうっかり失念していた自分が、忌々しかった。
(あーっ。バカらしい!これじゃ、タリサが来るのを期待してたみたいじゃん)
実のところメルは、タリサにあげようと思って棒付きキャンディーを用意していたのだ。
花丸ポイントを五pt消費して…。
(自分で食べよう…。そんでもって、スッパリと忘れよう!)
メルはタリサとの約束を忘れることにした。
ついでにタリサのことも、忘れてしまおうと思った。
だが…。
それは甘い考えだった。
実に甘々だった。
タリサは自分の妹分を欲していた。
そしてタリサより小さな女児と言えば、近所にメルしか居なかったのだ。
残りは男児か、オシメを着けた赤ん坊だった。
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