第2話 精霊の子



メジエール村は長閑のどかな農村だった。

村の周囲には実り豊かな麦畑が広がり、南に見渡す限りの牧草地帯を擁する。

それだけでなく、村の北には鬱蒼と茂る恵みの森が控えていた。

恵みの森から流れでるタルブ川は水量水質ともに文句なく、メジエール村に暮らす者たちの生活を力強く支えてくれた。


村人たちは妖精や精霊を信じ、大地に供物を捧げ、恵みの森に感謝の言葉を贈る。

大らかな村人たちは異質なるものや不思議を嫌悪しなかったので、都から追われた異端者たちが少しずつメジエール村で暮らすようになった。

主にマチアス聖智教会が認めようとしない魔術を研究する魔法使いたちとか、怪しげな調薬や占いを生業とする魔女たちである。


そして、それら異端者たちの智慧が、さらにメジエール村を住みやすい土地に変えていった。



ある日のコト、村の広場で奇妙な出来事が起きた。


昨夜まで更地であったはずの広場に、一夜にして見上げるような樹が生えてしまったのだ。

その樹は精霊の樹と呼ばれ、恵みの森に深く分け入らなければ目にするコトも叶わない神聖なモノだった。



広場の一角に店をかまえる酒場のオヤジは、毎朝の掃除をしようと眠い目を擦りながら外にでると、精霊の樹を見上げて腰を抜かした。


「ぬぉぉおぉぉーっ!なんじゃ、コレは…?」


更に樹の枝に引っ掛かった背嚢デイパックから、顔を覗かせた小さな子供に気づいて、目を丸くした。


「うわぁー。大変だぁー。子供が枝に引っ掛かっとるぞ!」


メジエール村には子供を捨てなければいけないような貧しい家庭が無かったし、村人たちはお互いの事情を知り尽くしていた。

どう考えても、その子供が村の子である可能性は無かった。


しかもアリガタイ精霊樹にぶらさがっている子供だ、アリガタイに決まっている。


酒場のオヤジが大いに騒ぎ立てたので、早朝のメジエール村は喧噪に包まれ、速やかに子供の救助作業が行われるコトとなった。


おかしな背嚢に詰められて顔だけ覗かせた子供を眺め、『うーん?』と首を傾げた村人たちは、『多分この子は、精霊さまからの贈り物に違いない…』と言うところで、取り敢えずの合意に至った。


何しろ昨日までは存在しなかった精霊の樹に、括りつけられていた子供である。

村人たちからすれば、精霊からの贈り物で間違いなかった。

少しばかり耳が大きくて尖っているし…。


金色の髪に、琥珀色の瞳を持つ、森の精霊さまから授かった子だ。


救出された子供は驚くほど可愛らしいだけでなく、騒々しく泣き叫んだりせず、大人たちの相談する様子を興味深げに見ながらニパァーと笑っている。

背嚢から引きずりだすと、幼い女の子であることが直ぐに分かった。

ハダカだったので、それは誰の目にも明らかだった。


「まあ、おとなしい子だ…」

「おとなしいどころの騒ぎじゃねぇ。あんな樹から吊り下げられたら、普通の子なら火がついたように泣きわめくぞ…!」

「あーっ。精霊さまの加護とか、あるんと違うか?」


村人たちが自分たちの子供と比較して、特別な子に違いないと思い込んだのも致し方ないコトであった。


その後は、子供の取り合いである。


「誰がなんと言おうが譲らん。この子はウチで育てる!」


酒場のオヤジは大きな声で断言した。


「えーっ。ちと強引でないか?!」

「オヤジよぉー。したっけ酒場に来たら、オラにも抱かせてくれや。なぁ…?」

「困ったら、いつでもアタシが引き取るよ…」

「交代で育てるのはどうだろう?」


「いいや、ウチで育てる!」


結局は第一発見者であることを強固に主張する酒場のオヤジが、背嚢に詰まっていた子供の養育権を勝ち取った。

酒場を経営する夫婦に子供が居なかったことも、この争奪戦に大きく影響を及ぼした。

はっきり言えばオヤジの粘り勝ちで、残り半分は村人たちの譲歩だった。


「言葉が分からねぇみたいだが、名前はどうするよ?」

「そうだよ、名無しは子供が可哀想だよぉー」

「村に因んだ名前が良くねぇか?」


「んーっ。そんじゃ、メルってどうよ…?」


子供の名前はメジエール村の頭とお尻を取って、メルに決まった。



己の意思とは関係なく、変わり果てた姿でメジエール村に放置された樹生は、その日からメルと呼ばれるようになった。


メルはまだ、村人たちの口にする言葉が分からなかった。



(ここはどこですかぁー?僕はどうなってしまったわけ…?どうされてしまうのでしょうか…?)


見知らぬ彫りの深い顔立ちの人々に囲まれ、メルは愛想笑いを浮かべるしかなかった。


(でけぇー。皆さん揃って西欧人ですかぁー。てか、病院はどこ…?僕は、なんでここに居るの…?どうしてハダカなの…?てかてか、僕の身体だけどぉ…。なんか違くないですか…?僕のアソコは、どうしちゃったのぉ?おーい、どなたか…。日本語を…。日本語が分かるヒト、いませんかぁー?)


頭には次々と台詞が浮かぶモノの、一言も喋ることが出来ない。

相手に通じるからこそ言葉であり、通じなければ赤ん坊のダァーダァーと変わらなかった。

メルは引きつった愛想笑いを浮かべたまま、大切なデイパックをつかんで立ち尽くす。


(いやぁー。もう、ホント勘弁してください。翻訳プリーズ!)


娯楽として異世界転生を知っていても、実際に自分がその立場に置かれるとなれば、もう顔を引きつらせて涙目である。


(ねぇねぇ、僕のチ○コどこよぉー?おトイレは、どこですかぁー?)


まさにメルは、絶賛混乱中であった。



激しい焦燥感と恐怖で漏らしそうなメルに気づきもせず、村人たちはワイワイと楽しげに騒ぎながら、ありがたい精霊の樹を『メルの樹』と名付けた。





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