エルフさんの魔法料理店

夜塊織夢

第1話 旅立ちの日



森川樹生もりかわ いつきは、生まれつき身体が弱かった。

子供の頃から入退院の繰り返しで、友だちも少ない。

部屋の中に閉じこもる生活が長く続き、楽しみと言えばゲームだけ。


ゲームの中でだけは、元気に走り回ることができる。

一緒に遊んでいた友人に、置いていかれる心配も要らない。

それでもアバターを女の子に変えて、現実を思いださずに済む工夫を凝らしていた。


男の子が活躍するゲームなんて、見たくもなかった。

どうしても現実の自分と比較してしまうから。


樹生いつきはゲーム内ではしゃぐ自分のキャラを見て、白けるのが大嫌いだった。


樹生がベッドで点滴を受けている今でさえ、同級生たちは教室で授業を受けたり、走り回って身体を鍛えたりしているのだろう。


夏休みの間に彼女ができた奴だって、何人か居るんじゃなかろうか…?

いや、きっと居るに違いなかった。


斯くして、毎日のように彼我の差は開いていく。

埋めようのないハンディキャップだ。


元気になってから追いかければ、きっと追いつけるなどと言う慰めは、嘘っぱちでしかない。

病弱な樹生いつきに、追いかける体力など無かった。


樹生の胸には、焦りと孤独だけがある。


いや…。

最近では失望と諦観の方が、強いかもしれない。


手に入らない望みは、無理をして抱えていても辛いだけだ。


SNSのアカウントは、悔しくなって削除してしまった。

話題についていけないのだから仕方がない。


クラスの友人たちも、やがて樹生いつきのことを忘れるだろう。



(なんで僕は、生きているの…?)


深い溜息と共に、生の意味を問うてみる。


樹生が何とか頑張っているのは、心配してくれる家族に泣きごとを言えないからだ。

家族に多大な手間と苦労を掛けさせておいて、不貞腐れていられるのは子供の時だけだ。

入院費だってバカにならない。


だから…。

どんなに絶望していても、そうした素振りを家族に見せることはできない。

『死にたい!』なんて、冗談でも口にできない。


(父さんや母さんにとっても、僕はハズレだよね)


それは疑いようもない確信だった。

樹生いつきだけであれば、とうに人生を投げだしているところだ。


(和樹兄さんが居るんだもん。僕なんて、作らなければ良かったのに…)


樹生の思考は、いつだって其処に行き着く。


せっかく合格した高校も、一学期を通っただけで病院に逆戻りとなった。

出席日数が足りなくなれば、二年生にはなれない。


「どうして僕ばかり、こんな目に遭うの…?」


問うても意味のないコトだった。


視線を上げれば、栄養点滴のパックが目に入る。

毎日のように、終わることのない点滴。


ホントに栄養点滴なのだろうか…。


(もう退院するコトはないかも知れない?)


樹生いつきの脳裏に、不吉な予感がよぎった。


(いけない。余計なことは考えるな!)


弱々しく頭を振って、ひんやりとした死の気配を追いやる。



「元気になったら、熱々のピザが食べたいなぁー」


思い浮かぶのは学食のカツカレー。

コシのないラーメンや、ふやけたミートソースパスタも懐かしい。

安い日替わりメニューだって、すごく美味しかった。

何より皆と並んで食べるのが楽しかった。



「また、学校へ行けるのかなぁ?」


復学できるとは、どうしても思えなかった。

我慢できずに涙があふれてきた。




目を閉じて、目を覚ます。

退屈な繰り返しの中で、時間は意味を無くした。

知らぬ間に季節が移り変わり、月日は飛び去っていく。


樹生いつきは、すっかり痩せ細っていた。

もう愛用のタブレットPCを手にしても、ゲームを起動する気力が起きない。


死を間近に控えて…。

樹生が意識を向けるのは、過去に食べた料理の記憶だった。


美味しいものが食べたいなぁー。

歯ごたえがあって、味のはっきりした美味しいご飯…。


母さんの作ってくれたビーフカレー。

炊き込みご飯に焼き魚。


「バターを落としたステーキなんか、最高だろうな…」


病院のベッドに横たわって思いだすのは、好物だった焼肉やシチュー。

タブレットPCで眺めるのは、写真がたくさん載った料理のサイト。

旅先でのグルメ紹介…。


暇に飽かして、幾つものレシピを暗記したこともあった。

料理人になれる訳でもないのに…。


「病気にさえ罹らなければなぁー!」


枕元には『I.M』とイニシャルが記された、キャンバス地のデイパック。

そのサイドポケットには、エルフの少年冒険者が鮮やかにプリントされていた。



「なにかを美味しいと感じたのは、いつのことだろう…?」


それはもう、何か月も昔の話に思えた。

今となっては、重湯さえ喉を通らなかった。


「もう一度、ちゃんとしたご飯が食べたいなぁー」


樹生は食べる喜びに飢えていた。


「もう一度、楽しいって気持ちを味わいたい」


そんな樹生の願いは、死ぬまで叶えられなかった。




その日…。

樹生は肺炎による高熱と意識混濁のなか、病室のベッドで横たわる惨めな自分の姿を見下ろしていた。

『ああっ、これが幽体離脱というモノか…?』などと呑気なことを考えながら、ユルユルほどけていく自我を意識した。


『なんだか、久しぶりにお腹が減ったよ…』


シナモンの香りが鼻腔に蘇る。

これはクッキーを食べたときの記憶だろうか…。

それともアップルパイ…?



樹生はいつ迄も終わらぬ点滴にじっと耐えながら、妄想を膨らませていた。

そうして甘い匂いがする宙に、ふわりと漂いだしたのだ。

不自由な肉体から抜けだして…。


昏睡状態だった。




『おや、誰だろう…?』


夕暮れどきになって…。

樹生いつきのもとに、ひっそりと死が訪れた。


病室の窓辺に揺れる黒い人影は朧で、それが誰なのかも判然としない。

ただ懐かしさだけが、樹生の心を満たした。


『やあ…。もう出かける時刻かい?』


昔から知っている友人のように親しげな素振りで、死は樹生を手招いた。


『ちょっと待ってね…。出かけるなら、大切なデイパックを持ってかなきゃ…』


それが最後に思った事だった。





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