第25話
駅前のスーパーマーケットで世界のカレーフェスティバルなる試食イベントが行われていた。人ごみの中手渡されたネパールカレーは日本人の僕にとっても食べやすく美味しいと思えるものだった。日本には驚くほどカレーの種類が存在する。企業は勤勉でターゲットに合わせ、新しいカレーを創造していく。僕がカレーの材料として思い浮かべる物はジャガイモと人参と玉ねぎと肉で、真ん中バースデーでスージーとファン・カルロスが食べたカレーに入れたものだ。箱にも大体この材料を使った料理方法が載っているし、記憶の中にあるカレーの定番の材料とも一致している。定番の味でも斬新な味でも味の解釈こそ多種多様だがカレーは日本人の国民食であることに違いない。
そして、カレー程正解を問うのが的外れな食べ物はないとも思う。インドで食べたカレーは緑色で辛くてドロドロした物を右手をうまく使って食べなければいけなかった。香辛料の匂いが充満した部屋から逃げることもできず、このカレーを混ぜたボソボソしたライスを指先の圧力で手軽に包み、抵抗なく手首をひねり、零れない様に口に運ぶだけ。彼らの食べ方はまるで湖畔で水を飲む野鳥の様に優雅で自然そのもの。指の隙間からボロボロと零れるライスを食べる僕はさながらドッグフードを散らかしながら食べる犬の様だった。スペインで貧困移民が食べていた物は裏通りで売られている黄色く染まった鶏肉の丸焼きとジャスミンライスで、味はものすごくよかった。ココナッツミルクが入ったタイのスープカレーはどれも食べ易かったが、特に北の地方で2種類の麺を入れて食べるカウソイは僕と姉さんの心を奪った。道路沿いに立ち並んだ雨を防ぐ屋根だけの区切りのない敷地、プラスチックのテーブルとイス、決して衛生的とは言えない環境でも水だけ気を付ければ、お腹を壊さずに美味しいものが食べられる。ホンジュラスのスーパーマーケットでは中国産のレトルトルーが日本語表示で売られていたし、藤岡がアメリカのベトナム料理屋で頼んだレモングラスと鶏肉の炒め物はカレー粉で味が整えられていた。カレーみたいなものだよと誘われたアメリカのエチオピア料理屋のドロワットは香辛料と豆を煮込んだ食べ物でインジェラに包んで食す。国・文化・宗教で材料、調理方法、食べ方がまるで違う不思議な食べ物。これほど広義と狭義の両方の定義が、じゃあ、これは?と首をかしげたくなるものはない。それでも、カレー思想が違うことは漫画やアニメを見た人の間で解釈違いが起こるようなもので、宗教的見解の違いが生死を分け、自由と人権が絶対的な価値観だと信じた人達が平気で無人ドローンを送り荒野を作り出せる事とは一線を画す。カレーにまつわる歴史は美味しい話だけではないが、僕が享受しているカレーは平和で多様性に溢れている。
今日はカレーの気分じゃない。人ごみから逃げるように家に帰り、水を飲んで一息ついてるところで携帯の着信が鳴った。
“You look great!”
“Thanks, I wanted to change my mind a bit. I was so caught up with Michael these days. I couldn’t eat, couldn’t sleep, nothing worked out well…oh, don’t take me wrong. Michael is doing great and Ricardo is helping me a lot too. It’s just me having hard time parenting. My family told me to take it easy too…haha…”
“I am glad that you are having a great time with your family.”
“Well…how about you? What’s new? How’s doing with Mr. F? you guys are still working together, right?”
スージーに木村真一の事を話したら、サマーキャンプで子供達の世話をした三回目のボランティア活動が役に立ったじゃないと,せっかく美容院で整えられた髪型を振り乱して大笑いされた。子供に常識は通じない、子供は悪魔のようだと自身のボランティア経験を散々語った後、ちなみに、マイケルは天使のようだといってのけた。優れた技量で話題を変えられる社交上手だとは前から思っていたが、変わり身の早さまで身につけて最強じゃないか。笑い涙を拭きとりながら今度は真剣に、寄り添えばいい、理解しようとすることが大切だ、私がススムにした様にね!と言って、また画面の向こうで笑い転げた。普段は包容力のある大人を装い、笑いは免疫力を上げるからと健康志向に余念がないスージーだが、一度タガが外れるとバタバタと机を叩きながら笑い狂う。稀に起こるハリケーンは地下に籠って動かずにやり過ごすしかない。無謀にも自然災害を止めようものなら、不幸がわが身に降りかかる。ファン・カルロスの二の舞だけにはなるまいと僕は画面越しに静観する事を選んだ。
“By the way, have you heard about new technology developed by IGRC?”
“No way, what is that?”
“They developed a system to control the gainenzyu. It will soon be available to us.”
“hmmm, it sounds suspicious…have you done your homework about this matter?
“You might think I am fabricating the fact, but ask Mr. F about it, he should know.”
美しい人工的に整えられた自然。中庭を通ってしか辿り着かない鍵のない扉。脳の模型が中央置かれた部屋。床に散らばった血の様なワイヤー。ファン・カルロス、僕達は本物の人間の脳じゃないと確認したよね?
「あれは、軍が開発した技術だ。国際概念獣研究センターは研究に協力したに過ぎない。」
相変わらず研究資料で埋め尽くされ足の踏み場もない部屋の住人はあっさりと新しい技術の存在を認めた。概念獣をコントロールする技術の構想は長いことあり、つい最近試作段階にたどり着いたそうだ。社会実装は藤岡の夢だ。
「朗報だろう?」
「何が?」
「この試作が成功すれば、新しい道筋がたつ。お前の様な第一級危険概念獣保持者でも自由に行き来できるようになるかもしれない。いま世界中で被験者を募っている。データは多い方がいいからな。ところで察しの良いお前なら見当がついたと思うが、ファン・カルロスはこの試作の被験者になることを決めたそうだ。」
「・・・・・・・・」
「もしお前が彼と同じ被験者に成りたいならば、必要なペーパーワークは全てやってやる。」
「僕は鎖には繋がれたくない。要はBBの様な物を取り付けるんだろ?」
「BB?」
「Brain Blockerだよ。」
「誰の論文を読んだ?あれは空想の産物だ」
「同じような物だろ」
「そう理解したいなら、そうすればいい。お前はあの研究所のプログラムで学んだ知識でこの部屋の資料を読んでその理解に至った。解釈は人それぞれだ。」
「・・・・・」
「怖いか?」
「・・・何が?」
「自由になるのが怖いか?鎖に繋がれていたいのはお前の方だろう?特別な概念獣を持っているから一人になった?誰とも理解しあえない?違うだろ。犠牲者はお前だけじゃない。いつまで被害者の側にいるつもりだ?」
無言で埃っぽい部屋の扉を閉めた。藤岡輝石のマンションの家具の配置やレイアウトはあの頃のまま変わっていない。藤岡も姉さんも家具を探すためにわざわざインテリアデザインの雑誌を買ったりインターネットで検索をするような人ではない。家の体裁を整えるだけの為に揃えられた家具。装飾しようなんて考えたことがなさそうなほど無機質な壁や天井や床。魂を吸い取らると自身の写真を撮られる事を嫌った彼の妻は結婚式以外の記念写真を残さずリビングには彼ら二人が一緒に生活していた痕跡はほぼ皆無だ。寝室はどうか分からない、入ったことがないから。姉の面影は僕が入れるすべての部屋から消えている。
藤岡の家と僕の家とは距離が近すぎて少しの遠回りは出来ても、道に迷って現在地を見失うことなどない。ボーっと歩いていてもいつの間にかついてしまう、余計なものがない単調な道。辿り着いた玄関の前で生体認証式オートロックを解除し部屋に入る。隅々まで掃除されモデルハウスの様に考え抜かれて置かれた高級なデザイン家具の数々。僕の身長がまるまる収まる座面の広いソファはこの部屋の景観を損なわない。この部屋の物は何一つ僕が選んだものではなく、僕の物になることはない。
今日は久しぶりにピザのデリバリーを頼むことにした。ピザはスージーと世界から集まった被験者を思い起こす。故郷を帰心する魂を癒す食べ物。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます