第15話
トレッドミルの上で新しく貰った上下のスポーツウエアを着た僕はファン・カルロスと話す時間が多くなった。彼はよく自分の国の国を知っていた。中央アメリカに位置するエルサルバドに流れる大きな川リオ・レンパは、源流はグアテマラから始まり、エルサルバド、ホンジュラス、エルサルバド、国の間を行き来しながら太平洋に流れ着く長さ422Kmの川はこの地域の生活を支えている。川は、平たく言えば水源の確保は、生命維持に直結する。飲み水、生活用水、農業や牧畜、庭にまく水だって、どこからか運ばれてくる。都市に敷かれた水道管が古く水漏れがおきていて水が回ってくるのは1週間に一回、長くて3週間以上も待つこともある。一定の地域には生活用水の為の水は回ってこない。農村では雨水を貯めているとこもある。飲み水は煮沸鹿から飲むか、ボトルに入った物を買いに行くか。
「日本は島国だからきっとわからないよね」
安全に飲用できる水が蛇口をひねれば出る国は意外と少ない。バスタブに貯めた水に浸かり疲れを癒すことは贅沢だと認識される。国境を跨ぐ川を持つ国々は世界に沢山ある。川は時に異なる人種や宗教や生活習慣の違いを守り、金を払っても水が手に入らない環境は虐殺を起こさせる。
「世界には大きな川が一つ流れていて沢山の大小様々な石で散りばめられている。その中に美しい石もある。黄色とか、青とか、赤とか、紫とか、色の付いた石。でも、ほとんどの石は白、灰色、黒とそのどれかの混ざりもので、不格好で価値がない。美しい原石だって、見出されて、磨かれてやっと、区別できるようになる。絶対的な価値がある石を見つけることは世界の悲願で、その為に川にまつわる全ての資源はその美しいとされる石を見つけ出すために使われる。その他は捨て置かれるしかない。」
一面がガラス張りの室内で遠くを見ながらエクササイズをするファン・カルロスの零す言葉は、いつでも冷たい水を補充できる魔法のウォーターサーバーが併設されたジムに行ける生活基準を持つ僕にとって、批判にもならない他人事だった。世界を回ってみるまは。
トレッドミルの上で今度しなければいけないボランティア活動の話をした。個々のプログラムを重視しているこの研究所にもアメリカらしいプログラム外要件が取り入れられている。1年間に30時間以上のボランティア活動をすることが条件付けがされている。義務ではないが強制力はある。
まわりのみんながやっているから従う。国民性か、元からの僕の気質か、悪い選択ではない。能動的か受動的か、ここではそんなことは問われていない。自動車の自賠責保険と同じだ。ファン・カルロスはエルサルバドで自賠責保険を義務にすべきだ、隣のニカラグアは義務なのにと、30ページぐらいある自動車免許取得用の教科書をめくりながらブツブツ呟いていた。
スージーは自分の経験を交えながらボランティア活動の概要を説明してくれた。要は、したい仕事に申し込んで、その現場に行きタダで仕事をして、その現場の監督者にサインをもらってくる、それだけだ。地域のスープキッチンや教会が行うバザー、女性の乳がんに対する認識向上の啓発マーチや地域の環境意識変革の為の植林など、彼女は今までボランティア活動に積極的に参加してたのが良くわかった。自分の周りにある問題にあるべき姿で関わる。スーパーヒーローのマントは持ってない、でも、その姿をやはり美しいと思った。
スープキッチンを最終的に選んだのは、数あるボランティア活動のなかで一番気後れすることがないと思ったからだが、実際は社会の現実がよく見えて、気が滅入った。朝9時に集合したボランティア志願者は一台のマイクロバスに乗せられ、30分離れた町の一角に下される。そこにはキッチンと食事を配るカウンターの他に数十人が座れる椅子が用意されていた。食事の用意はスープキッチンのスタッフが行い、野菜を洗ったり皮むきなど簡単な作業は有志を募って分担されたが、室内の掃除など仕事はいたって簡単なものが多かった。スープキッチンの本当の務めは、用意された食事をボランティア志願者が配ることにある。食事が配られる時間になり狭い室内への扉が開けられ。配給はいつまでたっても終わりが来なかった。なるべく同じ量に、なるべく騙らない様に、なるべく早く、お皿を次の人へ渡さなければいけない。全てのメニューが載った皿を受け取った人々は、用意された席に相席で座っていく。お互いに話すことはなく、静かに食事は進み、丁寧に食べ終わった皿を片し、入ってきたドアから食事が終わった順にすぐ出ていく。季節も流行もどこかに置いてきた服を着る人々の列に、人種も性別も年齢も関係がなかった。やっと全ての人に食事がいきわたり、ボランティア志願者に彼らと同じ昼食が配られた。ぼやけた味のぐちゃぐちゃした固形物を何とか口に押し込み、最後に監督者のサインをもらって、4時間のボランティア活動が終了した。
「いい経験になった?」
「よく分からなかった。」
「そう、良かったわね。」
「??どうして?」
「ススムはいつも、そうだねとか、自分の意見の無いなぁなぁな返事をするでしょ。だからよかったって言ったのよ。」
「意味がよくわからない。」
「だから、よく分からないことがあって良かったねって言ったの。知らない世界を理解できないのは普通の事でしょ。これから理解できるようになればいいし、今からちゃんとした計画を立てるから、安心して。」
スージーは後26時間に減った僕のボランティア活動計画を本格的に立てるといって意気込んだ。ファン・カルロスはスペイン語コミュニティに住む子供たちに英語の朗読をするボランティア活動に終始し早々に終わらせたと、トレッドミル上の報告会で語った。社会奉仕は何処でしてもいいし何をしてもいいんだよ、そう彼は言った。スージーの計画書を読んだファン・カルロスは一言、good luckと言って僕の肩をたたいた。
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