第16話

「Comfort foodが食べたい」


スージーは時たま変な事を言う。彼女の言うComfort food はJunk food と同列で、高カロリー、高炭水化物、そして用意する必要のないデリバリーピザの事をさす。Simple is the bestといいながら大量のチーズをさらに追加注文し、食物繊維もタンパク質も何もないようなエネルギーの塊を人工甘味料を大量に内包した炭酸飲料と共に頂く儀式の事だ。子供の内は炭酸飲料水で大人になるとアルコール飲料へと供える物がかわると言う。ピザもハンバーガーも嫌いじゃない。ただ、何かを特別食べたいと渇望できるほど、食べ物を食べた経験がない。この研究所に長くいる被験者たちは自分の国の味を求める時、スージーの様にComfort foodが食べたいと言う。遠く離れた故郷を帰心する魂を癒す食べ物、スージーと違って彼らの思いはもう少し切ない。そう分かっていても、いつも大げさだと思ってしまう。みんながみんな故郷の味を思い出すなんて。


「ススム、はい、これ」


手に渡されたのは黒く細長いねじりがはいった紐の様な食べ物だった。食べ物らしからぬ感触を口に持っていけと催促され、口に入れたはいいが、よく分からない味が鼻を抜けた。リコリスと呼ばれるその不思議な食べ物を小さい頃から好物として食べていたスージーは、嬉しそうに、ガムの様なグミの様な意味不明な触感を嚙みちぎっている。


「これはおいしくない」

「そう?美味しいと思うけど。いつも一緒に食事をしていて、好き嫌いがないみたいだからこれも好きかと思った」


渡された紐のようなグミをテーブルの上に置いてある元の袋にそっと戻した。ファン・カルロスがお祖母さんの家から持ってきたお菓子もおかしかった。砂糖その物の甘さ以外の何物でもない歯にべたつく甘味料を、彼は水も飲まずに口に放り込んでいた。


「お菓子だもの。甘いのは当たり前じゃないか」


砂糖をまぶして作られた、砂糖を混ぜて作られた、砂糖を振りかけて作られた、そんな伝統的なお菓子の原材料が半分以上砂糖で占められてても僕は疑わないよ。サトウキビを生産している国だから・・・そんな理由だけでこの甘さは成り立たないはずだ。甘すぎる。僕の困惑した顔を見ながらファン・カルロスは、だってdulceだものと笑って言った。そう言われてやっと腑に落ちた。お菓子(dulce)の単語と甘い(dulce)の単語が同じだった。


「ススム、これなんだと思う?」

「バナナでしょ?」

「違うよ」


見た目は黄色く細長い、皮をむくと薄いクリーム色をしたものがでてくる、ファン・カルロスがよく食べているものは、バナナで合っていると思った。バナナはバショウ科に属する植物で、植物学的にはベリーになる、と良く分からない説明が始まった。彼が自国の話に入るまで、スージーは無音でBlah blah blahと口をパクパクしていたのを僕は知っている。エルサルバドではまず、Guineo Manzano (ギネオ・マンザノ), Guineo Perio(ギネオ・ぺリコ), Guineo de Seda(ギネオ・デ・セダ), Guineo Majoncho(ギネオ・マオンチョ), Guineo Banano (ギネオ・バナノ)等に区別される。僕がバナナと呼んでいたものはGuineo(ギネオ)を品種改良して、食べる部分が大幅に増え2週間の輸出にも耐えられる果物の事だそうだ。Platano(プラタノ)とGuineo(ギネオ)は違う。Platano(プラタノ)は食用の部分がさらに多く、殆どは加工して食べるらしい。母親がPlatanologo(プラタノ博士)を自負し、完熟していない野菜みたいな硬いPlanato Verde(プラタノ・ベルデ)はスープに入れて、完熟して甘みが増えたPlanano Amarillo (プラタノ・アマリージョ)は油で焼き揚げて朝ごはんに、超熟れて黒くなったPlanano Negro(プラタノ・ベルデ)はアルミホイルで巻いて火にくべて焼きお菓子の様に食べる。他にも、熟したものを潰して生地を作り、その中にミルクの塊(?)を入れ、丸めた物を油で揚げるEmpanada de plátano (エンパナーダ・デ・プラタノ)はファン・カルロスの好物で、最終的に僕の知っているバナナはバナナではないと結論が述べられた。


アメリカに居て果物があまり甘くない事に気づいた。スーパーで山盛り積まれて一年中売っている果物は、どれも小ぶりで酸っぱいものが多く、味が薄いと感じるものも沢山あった。


「日本の果物は糖度をあげてある物が多いからな。一つ一つの実も大きいし、造るのに時間が掛かる。野菜も日本の物は糖度が高い。」


藤岡は果物や野菜の世界事情まで知っていた。


田中さんは食後に果物を必ず用意してくれた。みずみずしいイチゴ、丸々としたビワ、赤くつややかなサクランボ、形の良いキウイフルーツ、みずみずしい桃、シルがこぼれ出るブドウ、サクサクとしたスイカ、ぷくりとしたイチジク、シャキシャキのナシ、よく熟れた柿、密がいっぱいのリンゴ、甘酸っぱいミカン。輸入されたバナナもパイナップルも時には食卓に上った。同じ味の果物はないから、そう言って一年を通して育まれる季節の味を、彼は大事にしていた。


僕にいつか思い返せる味ができるだろうか。懐かしいと、また食べたいと思える味が。リコリスだけは絶対にあり得ない、これは確信だ。

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