第19話

「田中誠二郎氏が亡くなった。通夜と告別式は明日だそうだ」

明日のスケジュールは開けてあると、藤岡は電話を切った。


「佐藤晋さんでしょうか?」


温かな眼差しで微笑えんだ瞬間を切り取られた写真は黄色とオレンジと白を基調とした花に囲まれていた。その下には酷く懐かしい顔が寝棺に横になっていた。あの時から変わらずの和顔施。黙秘をするように全身を白装束に包まれ、沈黙から抜け出した二つの手は僕の覚えているそれよりもひょろりとし、握られた手がもう一度動き出すことはなかった。黒い服を着た人でうめられた小さな斎場で50台位の人柄のよさそうな男性から声が掛かった。彼は田中さんの息子だった。僕は,佐藤晋に見えましたかとは聞けない。なるべくそう見えない様に驚いた顔と一拍遅れた返事を察したのか、その人は微笑みながら語り始めた。


「父から聞いてました。中学生ぐらいの子供一緒に夕飯を食べていると。驚きました。料理のりの字も知らないような父から、母さんのレシピを発見したとかで、試行錯誤をしながら料理を学んでるって聞いた時は。食べさせるものが貧相で味気ないものじゃ、あの子に申し訳ないから頑張っていると。声を聞くたびに、何を作ったとか、今度は何を作る予定だとか、とにかく嬉しそうで。母さんが旬の物を多く取り入れる人だったので、父はよく私に旬の物を送ってくれと言っていました。うちは農家なので、うちで栽培している野菜とか、山でとれた山菜や筍とか送ったんですけど、食べませんでしたか?」

「筍の煮物は食べました。次の日は筍のご飯がでました。」

「それだよ、多分。私が送った物だ。美味しかったですか?」

「美味しかったと思います。」

「良かった。良かった。ちゃんと食べていたんですね。いえ、父からね、背は普通ぐらいなんだけどひょろひょろした子だと聞いていたんで。今見たらすごく背が高くしていらっしゃる。10年以上前の事ですから、変わっているのは当たり前ですよね。」

「そうですね。田中さんにはあの頃大変お世話になりました。色々あり連絡をしていませんでしたが、昨日知り合いから伝えられて、驚きました。この度はご愁傷様でございます。ご冥福をお祈り申し上げます。」

「ありがとうございます。父も佐藤さんと最後の別れが出来て喜んでいると思いますよ。」

「では、後ほど・・・」

「待ってください。お渡ししたいものがあります。」


父から佐藤さんへ渡してほしいと遺言で頼まれている。渡されたのは古びた一冊のノートだった。お礼を言って,焼香をあげ、会場を後にした。彼以外声をかてきた人はいなく、僕にも声をかける人はいなかった。すすり泣く声に埋もれる場所かと危惧していたが、田中さんの家族や友人たちは悲しみとは別の、それよりももっと大きな何かでつながっているように見えた。落ち続ける涙の中にみるそれは、悲痛ではなく、人生でお互いが出会えた事への感謝、苦労と幸福を共有した達成感、人生の最後の日に「さようなら、またどこかで会いましょう」と言える絆。


田中さんは幸せだったんですね。良かった。ありがとうございました。


家までタクシーで帰った。黒いスーツの上着を脱ぎ、黒いネクタイを外して、貰った一冊のノートを手にし夜景の見える窓の前のソファに座った。可愛い丸い文字で書かれたレシピでノートはうまっていた。ペラペラとページをめくり最後のページには一枚の紙切れが入っていた。丁寧に折り畳まれた白い紙。


「晋君。食べる事は生きる事です。このノートを君に贈ります。田中誠二郎」


田中さんもスージーと同じことを言うんですね。白い紙の上に一粒の雫痕が残った。


田中さんの息子が帰り際に手渡してくれた通夜振る舞いの都合が合わない会葬者の為に用意してあったお弁当を電子レンジで温めていると携帯が鳴り知っている番号が画面に出た。アプリの着信を取ると、彼女は物凄い勢いで喋りだした。


“I thought I was gonna faint with pain and intense emotional stress. Ricardo was there for me at the delivery room, holding my hand and cheering me up”

“I looked pictures of you and your baby boy. Ricardo was sending me pictures of you in labor. Actually, he was sharing me a lot of pictures of your growing belly during pregnancy as the father of the soon to be born child. “

“Oh my god, it was… terrific experience. When I held his tiny hand, I was fulfilled with such a joy and happiness…I don’t know… I overcame my being as a human and I experienced a sense of spiritual growth and achievement.”

“Wow, Susy, YOU felt that. Juan Carlos might say overexaggerating… but I truly admire you. I know what you have gone through with Ricardo. When you guys decided to start fertility treatment foreseeing the possibility of in vitro and were most unlikely to adopt kids. Considering the fact that cultural background and economic situation of Ricardo it was not an easy choice to make. But you made it. You guys made it through. I respect you from the bottom of my heart and I am so happy for you.”

“Thank you, Susumu, I really appreciated you were always there for me.”

“What do you want for a birth gift?”

“What do you wanna give me?”

“Whatever you want”

“A house?”

“…what else?”

“A car?”

“Amor no quita conocimiento, my dear, Susy”

“Hahhaha…Okay, be a godfather of Michael, pretty please?”

“Are you sure about it? I cannot go to states now.”

“It doesn’t matter, Susumu. Only God knows what will happen to us. I know and trust you. You will make it somehow. You are that kind of person.”

“As you wish”


温まった弁当を食べながら思わずにいられなかった。生まれ変わる事が出来たら、貴方と同じように前を向いて歩けるだろうか、と。

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