第13話

研究所の周りには何もない。その代わり生きていく為の全てが中には用意されている。1人暮らしがしたければアパートに住めばいい。スーパーで買い物をして自炊もできるし、研究所内のフードコートで好きな物を食べる事もできる。24時間営業のジムに好きな時間通えるし、小さいが映画館やショッピングモールも併設されている。整った道に植えられている草木の世話をする人も、AIの言語機能を向上させるエンジニアも、昨日育てた豚肉を解体する人も、授業の合間に椅子で本を読んでいる僕も、「世界がもし100人の村だったら」の話ではないが、ここにはいい意味でも悪い意味でも世界の全ての人種と職業と生活環境が揃っている。僕たちは規則に沿ったプログラムを受け計画された通りの結果を出さなければ、ただの金持ちにも、貧乏人にも、健常者にも、障がい者にも、聖職者にも、犯罪者にも、戻ることはできない。


「ススムは料理をしないし、できない。こんなちっぽけな体で、どうやって生きていくのかしら」


僕はプログラム以外の時間を図書館とアパートの往復で過ごし、家では本を読んで過ごしていた。備え付けの冷蔵庫には何も入れてないが、ファン・カルロスが何かと食べ物を入れるので、電源だけは着けておくことにしていた。スージーの一族は彼女がこの研究所に入る際、一族でアリゾナに越してきた。外出許可を得て週末家族のもとに帰っていた彼女に家族は冷蔵庫に入りきらないぐらいの食材を贈り、その余波が僕と僕の冷蔵庫に来た。持ってきた食材を冷蔵庫に綺麗に並べ入れる度に彼女の怒りは増えていき、満杯になった冷蔵庫の扉を思い切り閉め不満と怒りが頂点に達している彼女は何も言わずに僕を凝視した。


「スージー、僕はお腹が空かないんだ」

「ススム、そんな言い訳はやめなさい。人間は、世界で生きる全ては、食べる事で命を繋いでいるの。お腹が空かないは、食べない事の理由にならないわ。自分自身の事を何だと思っているの?あなたは生きたくないの?」

「僕が生きてるようにみえない?」

「あなたはとてもpathetic beingだわ。」

「それは、同感だな。」


いつの間にかアパートに上がり込んでいたファン・カルロスが、持ってきた紙袋を一度机の上に置き、紙袋に入っていたタッパーをいくつか取り出し冷蔵庫にしまおうとした。


「うわぁ、入るスペースがないよ。Abuelitaのレシピの豚肉のトマト煮はおいしいから、ここの常備食にしてるんだけど、今から食べる?さっき作ったばかりだからまだ温かいよ」

「頂くわ。ちょうど12時だし、みんなで食べましょう」

「Okay」


まず少し多めの油で玉ねぎを炒めその後に小さく切ったトマトを炒めて、アチョーテを入れ、一度下茹でした豚のホホ肉を入れて煮込んでいく。アチョーテは自然から取れる赤い着色料でファン・カルロスが料理によく入れている。味にはあまり影響がないが、入れたものは須らく真っ赤になる。煮崩れしたトマトが油と馴染み、オレンジ色の油が浮かぶまでゆっくり煮込むのが祖母の作り方だと説明しながら、ファン・カルロスは柔らかそうなホホ肉をスプーンで持ち上げて見せた。スージーがもう少し温かい方がいいと言ったので、鍋の替りにフライパンにてトマトソースが焦げつかない様に丁寧に底をかき混ぜながらホホ肉を温めていく。ご飯の上にのせれば完璧なんだけどと言われたが、炊飯器はこの部屋にはない。それを知っているスージーは持ってきた食べ物の中から、父親が作ったパンをだしてきてトースターで温めだした。スージーは3つ並べられた皿にファン・カルロスが平等にホホ肉を取り分けるのをニマニマしながら横目で見ている。温まったパンをテーブルの真ん中に置き、並べられた皿の前に3人が着席した。ファン・カルロスが目を瞑り祈り始めた。スージーも目を瞑った。僕は目の前の皿を見つめた。


「Dear Load、私達が大地から糧を得て今日という日を過ごせるのはあなたのおかげです。私達は健康で、温かいご飯を食べる事ができます。私達はお互いに協力することができ、力を合わせて困難を乗り越えられます。今、私達が天からのgiftを分け合い、幸せを共有できるのはあなたのおかげです。この感謝をあなたへ。Amen」

「アーメン, いただきましょう」

「いただきます」


何時間も煮込まれたであろうホホ肉はホロホロと口の中で崩れた。おいしいと感じないわけじゃないんだろ?と僕の顔を覗き込みながら、手に取ったパンをトマトソースに浸しながらファン・カルロスは尋ねた。君の創る料理はどれもおいしいと感じる、心からそう感じていると打ち明けると、トマトは酸っぱい方が美味しくできるんだってabuelitaが言ってたと、嬉しそうに次のパンを手に取った。作り方を教えてほしいと頼むスージーに、快く頷くファン・カルロス。


「スージー、少し食べ過ぎじゃないの。それ二杯目だよね。あんなにあった肉がもう残ってないんだけど。パンだって僕の冷蔵庫に入れていたやつじゃないか」

「目ざといわね。どうせススムは食べないんでしょ」

「美味しいものは嫌いじゃないけど」


前回の結果が伝えられ、新しく改良されたプログラムが導入された。レベルが1から5に分類され、欠食からの最初の空腹をレベル1とした。1日目から3日目の間は概念獣はまだ空腹を食べない期間だと分かった。


レベル2:欠食により血糖値の低下が起き続けているが、概念獣がゆっくり空腹を食べ始め脳が空腹を認識できなくなる。身体機能、脳の認識機能が継続して低下している。(3日目以降から5日目程度)

レベル3:全てのエネルギーが身体機能の維持に使用される、ハッキリとした記憶の欠如が見られ、認識障害が起こる。概念獣がゆっくり継続して空腹を食べている状態。(5日目以降から7日目)

レベル4:身体機能維持の限界、長期間の記憶の欠如、脳の混濁による意識障害。概念獣がレベル3よりも早く継続して空腹を食べている状態。(7日目以降から9日目)

レベル5:身体機能の停止、昏睡、概念獣がレベル4より早く全ての空腹を食べている状態 (10日目以降)


脳の使用領域にえいきゅを及ぼさないレベル1の状態を保つ食事療法が始まった。

昼食か夕食のどちらかの食事をスージーとファン・カルロスと一緒に取るようになり、一緒に取る食事は必ず一緒に作る事にもなった。


“Mens sana in corpore sano”

「どうゆう意味。ってか何語喋ってるの?」

「良い精神は良い体にあるbyユウェナリスの風刺詩集」

「そんなものまで聞いてるのね。これはスペイン語なの?」

「ラテン語」

「いつ覚えたの?」

「覚えてないよ。聞こえたのを復唱しただけ。聞くだけなら問題ないよ、スペイン語と似てる単語も多いし。ほら・・・」

「・・・聞いても良くわからないわ・・・」

「そう。慣れじゃない?」

「はぁぁぁ・・・」

「そういえば、明日から貴方達二人をジムに登録したから、クラスにちゃんと行ってね」

「はぁ?」

「ススムもファン・カルロスも小さいから、ジムで筋肉つけるといいわ。もう少し男らしくなると思うわよ。」

「男らしいって何だよ。十分男らしいだろ?」

「machoよ。スペイン語で!」

「スージー、スペイン語の辞書でmachoの意味確かめてみな。」

「他の意味が沢山あるみたいだけど、間違って使ってはないみたいよ。」

「そうなんだけど。僕の生活していた場所ではね、Ajoteって野菜があるんだけど、Ajoteには2つの花が咲くんだ、machoとhembra・・・」

「どうでもいいわよ。明日からちゃんとクラスに行って、鍛えてきなさい。そんなに小さいんじゃ、トルネードに吹き飛ばされるわよ。」

「スージー、僕はファン・カルロスより小さくないよ。みて、ここに入ってきた時より、5cmも身長が伸びたんだ。」

「ススム、何言ってるの。貴方達は私より全然背が低いし、体もちっぽけよ。鏡を見て見なさい。それでなくても、アジア人は童顔で若く見えるわ。今のススムは10歳ぐらいの子供にしか見えない。それで女の子を口説こうなんて、どうかしてるわ。」

「誰も君を口説こうなんて思わないよ。」

“SUSUMU, you’d better keep your mouth shut”

“Wow, amazing! I bet your BF is taller than you and much cooler. When will we meet him?”

“The things that come out of the mouth come from the heart, and these things defile a man”

“Juan Carlos got a point.”

“Yeah, you are right, man.”

“I am telling it to both of you…Susumu, we’d better listen to her, that’s how the world works”


すぐに会話の話題を変えられるスージー。明日のジムの後にアパートによってほしい、ちまきを作るのを手伝って、と何事もなかったかのようにちまきの会話に移った。ファン・カルロスはジムの後にプログラムの調整をする予定なので行けないと断っていた。


「ススムは?」

「僕は特になにもないよ。何かもっていく物はある?」

「ううん。材料も機材も全部揃ってる。身一つで来てくれて大丈夫よ」

「Okay」


なぜわざわざ中国から特別な米とその特別な米を包む特別な葉を送ってもらうのか、なぜ特別な米を一晩水に浸しておくのか、なぜ食材を均一に切りそろえたり下ごしらえにこれほどの時間をかけるのか、なぜ何時間もかけて料理をするのか。


「これはもち米よ。食べたことない?お米は炊く前に水を吸わせないといけないのよ。知らないの?貴方日本人でしょ?」

「料理はしないし、ちまきは買って食べるものだと思ってた。食べたことないけど」

「私の家族は作るわ。一族分。」

「聞くのが怖いけど、どれぐらいの量になるの?餃子作りから察するに、すごい量なんでしょ?」

「そうね。すごい量ね。一族全員の分を一度に作るから。言ってなかったかしら?中国に居る親族も合わせると、本当にすごい量になるのよ。」

「へぇぇぇぇぇ。どんな大人数でちまきをまくのか、想像もできないよ」

「楽しいわよ。別に、ちまきを作る事だけが目的じゃないもの。料理をしながらちょこちょこお茶を飲んだり、お菓子を食べたり、テレビを見て一休みしたり、ちまきを蒸している間に交代で外に散歩に行ったり、家族でワイワイ集まって何かを一緒にするのは特別でしょ。」

「それはきっと楽しいね」

「ほら、蒸せたわよ。今お茶を入れるから一緒に食べましょう。ファン・カルロスの用事が終わってるか、確認してくれる?一緒に食べた方が、美味しいから。」


プログラムの調整はすぐ終わったようで、確認のメールを打っている間にファン・カルロスはスージーのアパートにやってきた。チャイムが鳴らされ、スージーの代わりに僕が玄関の扉を開けた。スージーのアパートの玄関の横には靴を置くスペースがある。僕のアパートの玄関にも同じ様なスペースが取られている。ファン・カルロスは置かれている外靴を見ただけで、室内では靴を脱ぐことを理解し行動に移した。区切りがハッキリしていないアメリカの玄関事情と家の中で靴を履く習慣のある文化で、恐らく靴を脱がない文化から来ているが、彼は一度も土足で僕達の文化を汚すことはなかった。


「このゴミはどこに捨てるの?」

「それはファン・カルロスに聞いて」

「??」

「ここにあるのは全て生ゴミだから、彼の菜園で使ってもらってるの。」

「ここの施設には生ごみを堆肥化するコンポストがあるんだ。知らなかった?生ゴミは別けて回収されていて、施設の他で出る有機物と合わせて処理させている。別に俺が直接生ゴミを持っていかなくてもいいけど、堆肥がもらえるから。それを使って野菜を育ててるんだ。」

「野菜を育ててるのは知っていたけど、スージーの生ゴミ処理の手伝いまでしているとは思わなかった。」

「ついでだよ」

「スージーもだけどファン・カルロスもリベラルなの?」

「政治姿勢の話?」


ここの研究所に居る被験者は未成年者が殆どだ。相当量の言語学習をさせてあるAIの言語翻訳機能のお陰で,ここに滞在している世界中の住人はグローバル規模の政治地理学からアリゾナの一週間の天気予報まで、同じ夕食時のテーブルで共有できる。概念獣保持者は特別ではあるが、天才ではない。そんな世界中から集まった天才ではない子供でも、自分の国の統治者や経済状況をよく理解している。干ばつが酷い地域から来た女の子。性別によって社会活動の範囲が決まっている国の者。人権を重んじる国の少女。隣国で戦争がはじまり沢山の難民が押し寄せてきた国に住んでいた男の子。独裁者が国民を虐殺した国の子供。自由経済の恩恵を受けている国の人。構造的暴力から逃れられない国の住民。宗教が人生の指針である国の民。世界には圧倒的な数の概念、思想、規律、社会構造、その地域だけにある当たり前の常識が散らばっている。僕は自分の国の総理大臣や官房長官の名前も知らないよ。例えば、昨日のハンバーガーは美味しかったとか、明日ジムに行くのは億劫だとか、そんな何気ない毎日の喜びや憂い、世界には普通の話も沢山あるはずなのに、世界が直面している問題を話す声は耳に届きやすい。そしてそれを話すことは世界の義務なのだ。


「君たちはよく政治の話をする。この政策は良いとか、悪いとか」

「普通でしょ。自分達の生活に関わる事だもの。私の家族がアリゾナの前に居たカリフォルニアでは、使える水の制限があるのよ。他の州はよく知らないけど、うちのシャワーのノブは水の使用を押さえられるものを使っていたわ。それも州の条例で決まっているのよ?知らなかったらどうなると思う?」

「俺のいた国では、政治体制が代わるとがらっと人事の移動がある。前の政権が行っていたプロジェクトが続かなくなったり、新しく規制が導入されたり、暮らしに直結するんだ。どこにお金が廻されるかを知っておいたほうが良いだろ?」

「へぇ。驚いた。」

「普通でしょ」

「普通だよ」

「普通なのか」


Common sense is as rare as genius、ってエマーソンは言ってるけど、僕は彼に賛成だよ。


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