第11話
「人種は関係ない。みんな私の事をcrazyと馬鹿にしていた」
肩をすくめるジェスチャーをしながらそう言った彼女のcrazyの部分だけが強調され、なぜか翻訳されないで英語のまま聞こえた。頻繁には起こらないが、解釈の幅が広い言葉、雰囲気や文脈によって意味が分かれる言葉をAIは訳そうとはせず、そのままの単語を文章にぶち込んでくることがある。ポジティブにもネガティブにも訳せる知識の集大成は中間者でいると決めているらしい。
研究所では個人の概念獣に合わせたプログラムが組まれていて、一日の日程は人によってばらばらだった。ここでは概念獣の情報は基本的に隠される類のものではなく、特別な概念獣保持者どうし孤立しないようむしろ理解を深めるために様々な情報を共有することが推進されていた。
「ススムのプログラムは独特ね。空腹を数字で表してコントロールしようとするなんて。」
「そうなの?僕は他の人のプログラムについて何も知らないから、何も言えないなぁ。」
「大体は同じ教育プログラムが組まれているみたいよ。年齢や言語、文化的背景で多少は違うらしいけど。英語を母国語としている人は大体一緒のクラスよ。ファン・カルロスもスペイン語圏でまとまっているわよね?日本人は何人かいるでしょ?同じクラスじゃないの?」
「同じクラスではないね。3人いるけど、彼らは僕より年下だから授業内容も違うし。」
「俺たちは大体同じクラスで同じ授業を受けてるよ。教師がメキシコ人でアクセントが聞き取りにくい。アルゼンチン人の質問は、あれは分からないね。喋るのが速すぎる。国によって言回しや方言が違くて面白いけどね。国によって教育のレベルにも格差があるから、スペイン語を話すからって一括りにしなくてもいいと思うけど。俺の国ではこの水準の教育は受けられないから、俺はチャンスだと思ってるけどね」
「そうよね。英語での授業の水準も高いと思うわ。採点は厳しいけど、やったことへの評価は正しく測られていると思う。下手な私立の高校へ行くよりずっとステップアップの可能性が高いわ。寄宿学校みたいだけど自由度は高いし。」
“美しい”スージー、みんなが私に贈る形容詞はいつも決まって同じだった。特別に美しい子供だっという私は10歳の頃誘拐された。犯人は会ったこともない30代の男で児童誘拐の理由も大したことではなかった。この時期に親族一同でナイアガラの滝に行ったはずの記憶をはっきりと覚えていない。サンクスギビングで集まった一族は必ず、初めて遠出をした家族旅行での私のはしゃぎ具合を面白おかしく話題に挙げる。赤い合羽を着てクルーズ船に乗り降りかかる白い水飛沫を見上げすぎて船から落ちそうになった事、滝の上からクルーズ船の乗客に手を振る為に柵の上に登り落ちそうになった事、2回の落下回避が出来たことに両親一同胸をなでおろした事、私はどれも覚えていない。「美しかったから」裁判所でこの男を受け持った弁護士は彼の犯行動機をそう繰り返した。検察官がまとめた誘拐犯の供述調書でも同じ言葉が繰り返された。私よりはるかに人生経験のあるこの30代は証言台で、彼女は美しすぎたのですと言い放った。裁判の間、裁判長も、裁判員も、この裁判を傍聴している人々も、壁に立つ警備員も、中立なはずの立場の人達はすこし気まずい顔をしていた。裁判は恙なく終わり、正義はあった。そんなことが理由になるんだ、私は子供ながらにそれ-社会で共有されている私には理解できない不思議な何か-を受け入れた。
美しい宝石や美しい景色、その美しさを見る為に人間は金を払う、美しさは世界を圧巻し、世界は君の虜だ、君は世界一有名になれる、無名の12歳に有名映画プロデューサーは手付金に数億払うと言った。興行収入次第では、次の作品の契約金を大幅に上げることもできると。私は世界征服なんて望んでいない。
人が私に対して取った言動 第三者が見たい私の姿
美しいから話したい 彼女は男を寝取った
美しいから好きだ 彼女は好意を踏みにじった
美しいから感動する 彼女の美術の絵は教師に色目を使ったから
美しいから友達になろう 彼女が出るとイイネが増える
美しいから追い詰めたい 彼女は悲劇のヒロインだ
美しいから貰って 彼女は卑しい
意味のない表図を作れるほどに、私は美しい自分を嫌い、美しい自分を嫌う私をみんはな狂っていると言った。
“Look my dear, we have a saying ‘beauty is in the eyes of the beholder’ do you understand that meaning? I say you are beautiful because you have a beautiful heart and personality. Someone else says you are beautiful for other reason. And you would say you are not beautiful because of what you have experienced. It is all subjective, Susy. There are thousands of other points of view exist, does not mean that yours are wrong. You have to believe in yourself that you have your opinion.”
“Dad, I really do not understand what beauty or beautiful is. Is that okay?”
私は一緒に美しさを探す旅に出ると約束してくれた父と「美しさが解らない」私自身を受け入れられた。父はアリゾナにある研究所の事をどこかで聞きつけ一族全員を説得し、私に自分を理解する時間と環境を用意してくれた。
美の概念獣を持つスージー。美しさがこの世の全てではない。それでも、人間は美しい物に惹かれるnatureを持っている、とまるで人類全体のフェテシズムであるかのように語る彼女の事を僕はまだよく知らない。彼女の持つ概念獣を理解する為に来た、そうハッキリと言える彼女を僕は美しいと思った。
スージーが独特だと言った僕のプログラムは藤岡輝石によって組まれている。
「お前は、いや、お前にとって概念獣とは何だ?」
「概念獣とは・・・ある一定の概念が産まれ増殖することを、概念獣が住み着いたと言う(思春期における自己形成時に何らかの負荷がかかることで産まれるとされている)その状態が長く続き脳の各役割の使用領域を超えると、加速度的に概念獣が成長し、概念獣に囚われる、または縛られる状態に陥る。この状態の概念獣をもつ人間は、脳の分泌物による精神の安定を支配され文字通り身体の身動きが取れなくなり、最終的に概念獣に支配されると、他人との合理的な意思疎通をすることが難しく普通の社会生活を送れなくなる。このような一連の現象を起こす脳内物質を概念獣と規定する・・」
「それは、俺たち研究者が出した定義だ。俺が言っているのは・・・」
「ウィキペディアによると概念は「人が認知した事象に対して抽象化・普遍化し、思考の基礎となる基本的な形態となる様に、思考作用によって意味づけされたも」のとあります」
「晋の定義が知りたい」
「雪」
「雪?」
「フワフワ浮いている雪の様なもの。手に触れれば消えてしまう。そんなちっぽけで漠然としたものが降り積もり、その上を歩くたびに踏み固まっていく。世界のどこかでは春の訪れと共に消えてなくなる。冷え込みが緩むことのない辺境では、カチコチで溶けることはない。僕にとって概念獣とはそんなものだ」
「溶けないのか?」
「僕の中では、細雪、淡雪、玉雪、餅雪、灰雪、粉雪、小米雪、牡丹雪、綿雪、回雪、氷雪、湿雪、水雪、霧雪・・・はぁ、名前も種類も色々あるけどどれも、どれも溶けないよ。」
「お前の雪は溶けないのか」
「僕の雪は溶けないね」
「お前の概念獣は、お前に対して、特に命に係わるという部分において、影響が極めて大きい。一歩間違えばお前は死ぬ。今まで生きて居られたのは奇跡のようなものだ。それを覚えておいてほしい。生きる為には制御の仕方を覚えなければいけない。これから社会に出て普通に暮らしていけるように、プログラムを組んでいるつもりだ。だが、肝心のお前はどうしたい。なぜここに来ることを選んだ。」
「空腹が僕と概念獣にどう関わり影響を及ぼすのか」
「本当にそれが知りたいのか?」
「・・・」
「プログラムの概要を理解しているのは素晴らしい事だよ。来週から始まるのスケジュールをよく確認しておくように」
藤岡と別れアパートに帰り一週間分の洗濯をもってランドリーセンターにいった。洗剤は持ち寄りなので買う必要があるが24時間自由に使用ができる洗濯機はガタガタと乾燥機はゴーゴーと騒音を出しながら稼働している。空いている洗濯機はなかったが、洗濯が終わっている物は幾つかあった。その中の一台の洗濯機の上に置いてあるカゴを下し、中の洗濯物をそのカゴへ入れていく。ここでは選択が終わっていてそれでも次の人が使用するまで放置してある物は勝手にとってその辺りに置いておくことが暗黙の了解とされている。乾燥機にもその法則は当てはまる。それが嫌なら、終わるまで洗濯機に張り付いているか、終わる時間をきっちり計算して取りに来るしかない。僕は前者で、絶対に自分の洗濯物を触ってほしくない。ファン・カルロスはそういった事には疎く、退けられて半分乾いた洗濯物を乾燥機に入れ、乾いた物もまた退けられ、最終的に部屋の隅に取り置かれている洗濯物とカゴを取りにいっている。全ての乾燥機が回っている状態の部屋は蒸し暑く、僕は30分外の椅子に座って待つことにした。ちらちらと人が行き来し、乾燥機に少し空きができたのを確認できた。きっちり30分後に洗濯機は音もなく止まり、洗い上がった洗濯物を乾燥機にかけ、あと1時間また外の椅子でボーっと待つことにした。
たった1時間半。洗濯物はこんなに簡単に綺麗になるのに。
月曜から始まったスケジュールは長く苦しいものだった。
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