第10話
「君は思春期遅発症だと思うよ」
「僕身長は165cmありますけど」
「でも君、声変わりしてないし、髭や脇毛も生えてきてないでしょ。陰毛もまだみたいだし。」
被験者になって初めての触診で、僕の体を隈なく記録した研究員がそう言った。
研究所には世界中から集められた特別な概念獣保持者が同じ屋根の下で暮らしている。全ての被験者と研究者には個々の言語が自動で翻訳されるチップが脳にはめ込まれていて、発音した各自の言語はまず共通語と呼ばれるAIが創造した言語に一度翻訳され、それがまた個々が使用する言語に直され伝わる様になっており、誰とどの言語で話しても意思の疎通ができるようになっている。共通語はどの様なものかと図書館に設置されているAIに聞いた時、延々と並ぶ数字が脳の中に羅列された。解った。僕は理解できない事がよく解った。ありがとうと、日本語で礼を述べると37875384734987398735と返ってきた。日本語のどういたしましては37875384734987398735になりますと、分かりやすく教えてくれた。
研究所には思春期の12歳から14歳ぐらいの男女が多く、一部僕の様な思春期遅発症と診断された年齢が高めの人達もいた。見上げる様な背の高い青年はまだ13歳だと聞いて驚いた。外ではいつも真っ黒なサングラスをかけてい少女にその理由を聞くと、少しの間だけ緑と黄色に輝く目を見せてくれた。太陽の光の加減で輝きを変える美しい瞳は、光に弱い目だと説明された。首が異様に短い少年は、顔の半分もありそうな大きい瞳で僕の顔を覗き込んできて、僕の瞳が小さいから珍しいのかなと思ったが、隣に座っていた中国人の男の子と僕の区別がつかないので、どうすればいいかと相談され、髪が根元でクルクルと捻じれている女の子は、僕の髪はサラサラでうらやましいといいながら、一週間ごとに髪型や色を変えて楽しんでいた。2カ月もすると身体の違いによる心の隔たりによって作られたグループは、相性で再選別され様々な人種や身体的特徴を交えた十人十色の友好関係が築かれた。エルサルバドからの移民のファン・カルロスと中国系アメリカ人のスージーと僕は友人になった。
Juan Carlos Portillo Orellana-ファン・カルロス・ポルティージョ・オレジャーナ、名前と苗字が2つずつあり、ファンは祖父の名前から取り, ポルティージョは父親の姓、オレジャーナは母親の姓で、カルロスは父親が好んだ有名なサッカー選手から取ったらしい。どちらの名前で呼んでも問題はないが、どうせなら祖母の様にファン・カルロスと呼んでほしいと力強く言われた。ファン・カルロスはアジア人、特に中国人、韓国人、日本人の区別がつかないらしく、アジア人に会うたびに「あなたは日本人ですか。日本人だったら友達になってください」と言って回ったらしく、アジア人の友達は僕一人になってしまった。80年代に製造されたToyotaの車を祖父は今も大事に乗っていて、元の塗装はすでに色あせ、所々に酷くへこんだ箇所がありながらもエンジンは壊れないと言い聞かされた彼は、いつか日本に行ってみたいと思っていたらしい。
「みんな日本車が欲しいんだ。ToyotaもNissanも乗りたいけど、高いから。SubaruもHondaもカッコいいけど、部品を取り扱ってるお店があまりないから、故障したときアメリカから取り寄せしなきゃいけないんだ。車種によっては日本からの取り寄せだから、時間もお金もかかる。そうするとバスやコレクティーボにのって仕事に行かないといけないから、父はMitsubishiの中古を買ったよ。Mitusbishiは整備工場をディーラーに併設しているしね。大体の部品は手に入りやすいのさ」
同い年であるファン・カルロスはバスが時間どおりに来ない道脇で待ちぼうけを食らっている知人や隣人をMitsubishiのピックアップの台車に乗せて、木々が生い茂るごつごつとした道を父親がゆっくり運転するのが好きらしい。乗っては降りてゆく人々を見送りながら、村のはずれにある自分達の家まで、時に10人以上もの乗り合いになる。それでも信頼に応える車がファン・カルロスのゆう日本車で、その車が作られた国から来た、そんな理由だけで日本車が海外でどう思われているかなんて知る由もない日本人の僕と友達になった。
王思乐-ゥアン・スーラはスージーと呼んでほしいと言った。中国人の祖父母がアメリカに移住したのは第二次世界大戦後で、彼女の母はカリフォルニアで産まれ一度も中国に帰ることはなくドイツ系アメリカ人の男性と結婚し、彼女は自分をアメリカ人だと言った。長く伸ばした黒髪と少しつり上がった目じりと青い目をした完璧な英語と中国語を話すスージーは他のアジア地域から来たアジア人とは仲良くなれなかった。16歳にして身長が180cmありモデルのように美しい佇まいは殆どの国の異性の興味を引き、アメに群がるアリの様だと皮肉るのを聞いた一部の同性は、想像を絶する悪女的イメージを作り上げそれを全ての国の同性とSNSで共有し、一定の距離を置き刺激しないように努める、とかなんとか訳の分からない政治的合意を結んで結託していた。ファン・カルロスはアメリカで彼を育ててくれた祖母の口癖 “La falta ajena no justifica la propia”をよく口にした。彼の祖母特有の言いまわしなのだろうか、AIによる共通語への翻訳が行われずスペイン語のまま聞こえた。どうやら、他人の間違いを持ち出して自分を正当化してはいけないと言う意味らしい。ファン・カルロスは一人で椅子に座って食事をしているスージーを見かねて、お皿が載ったトレーを返却している彼女の手をつかんで子供が大人を引っ張るように歩きながら、僕の前に現れた。読んでいる本を取り上げても何も言わず彼を見つめる僕に笑顔で自己紹介を強制した。
「ススム、施設を見て回らないか?」
「興味ないし、移動だけでも疲れる」
事の始まりはスージーの一言だった。この研究施設には一部の被験者だけが出入りする「立ち入り禁止の場所」がある、入所時真面目にオリエンテーションを受けていたスージーは数人の被験者の中で噂されているその場所を聞いた。研究所の中庭の奥に位置しているその場所はオリエンテーション中に案内されたが、目立って立ち入りが禁止された区域ではなかったし、むしろその静けさは手つかずで放置されていると言った方が正しかった。彼女がファン・カルロスにその話をしたのは、ただ「オリエンテーションに行ってきたよ」報告の一部に過ぎなかった。
「この研究所には隠された秘密がある」
「・・・・それで?」
「何で秘密なんだろうって思わないのか?」
「思わないね。わざわざこんな何もない所に来てどうするつもり?ほら、ドアにロックもかかってないよ。」
「入っても怒られないかな?」
「怒られないんじゃないか?開いてるわけだし」
中庭には様々な国の植物が植えられ程よく手が入れられていた。大木の葉が重なり合いその下が影に覆われる事態がなく、差し込んだ光で地面が輝き、色鮮やかな花がぽつぽつと咲いている。共同体としての自然の法則を再現した場所のように見えた。開いた扉の奥、部屋の中央には人間の脳の模型が置かれてありそれには沢山の穴があいていた。その穴一つ一つに装着されている赤いワイヤーが白いコンクリートの床を駆け巡り部屋の壁に貼り付けられたモニターと繋がっている。画面にこれと言った動きはなく、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、と機械音が一定の間隔で耳に届いた。
「ススム。これ本物じゃない。」
「当たり前だろ。本物だったら怖すぎる。」
「サイエンスフィクションにある実験場みたいだけど、ここで秘密結社が俺たちを見つけて拳銃で襲ってくるとかにはなりそうにないな。」
「えぇ????」
「うん?」
「なんで僕達が拳銃で襲われるんだよ?」
「だって、在り来たりなシナリオだろ?それにここはアメリカだぞ?合衆国憲法修正第2条がこの国の精神さ。」
「よく分からない」
「それはススムの国が個人の権利として拳銃の所持を認めていないからだ。ここではなくても、家の窓に鉄格子をかけ、有刺鉄線や鉄条網が家の周りに張り巡らされ、銀行に入るのに散弾銃を抱えた警備員の検査を受け、些細な路上駐車で殺人にあう、自分の命は自分で守るしかない国は沢山ある。」
ファン・カルロスと僕は部屋の中を左右上下見回し、自分たち以外の人間の気配がそこにないのを確認した。
「これは何に使うんだろう?」
「ここの研究所にあるってことは、そう言う事だろう?」
ドアには最初から鍵はなく、何回か行き来しても部屋の中身が変化するとか、どこかへ飛ばされるとかそういった超常現象は起きなかった。部屋の外には来るときに通った中庭がそのままの状態でありタイムトリップの可能性も消えた。アパートに帰るまでの距離で地球人の誘拐は起こらなかった。スージーに僕達のオリエンテーション結果を報告したら、肩を落として苦笑いの様ながっかりした様な微妙な顔を向けられたが、気にしないことにした。
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