第3話 7番目の奥さんレネと5番目の奥さんミュリつづき

◎レネ視点


「旦那様はまだ来られないのか?」


日が暮れるころに帰宅したが、旦那様は来られてなかった。それから数時間。とっくに辺りは暗くなっていたが、旦那様の姿が見えない。

先日受け取った手紙には、確かに今日来ると書かれてあった。


「外を見てくる。明かりを」


居ても立っても居られず、執事に明かりを持ってこさせて屋敷の外に出た。

すると、ドアのすぐそこに。帰宅時には気付かなかったが。


「アメ…?」


赤くて丸い、庶民的なアメ。旦那様がいつもお土産に買ってきてくれるもの。


「旦那様?本当に来られてないのか?」


執事に目を遣ると、執事も何か異変を感じたようだった。


「昼の門番を呼んでまいります」


勤務を終えて使用人のための部屋で休んでいた昼の門番を呼び出すと、すぐにやってきた。


「お前の勤務時に、旦那様が来られなかったか?」


私の苛立ちや焦燥が伝わったのか、門番はひどく緊張していた。


「こ、来られました」


その答えに、控えていた使用人たちがざわつく。誰も旦那様が来られたことに気付いてなかったようで、「いつ?」「そんな…」と、次々に口にした。それらのざわつきを抑えるように、執事が重ねて門番に質問をした。


「お前の勤務中に、旦那様は帰られたのか?」


「はい。来られてから10分ほどで帰られました」


なんてことだ。

旦那様はここへ来た。しかし、すぐに帰った…?何があったんだ。急用を思い出されたのか?

それなら、旦那様はそうおっしゃってくれるはずだ。誰かに言付けをしていくはず。

誰かが旦那様からの伝言を忘れている?それとも、旦那様は誰にも言付けをせずにここを去った…?


「その時間帯に働いていた者を全員集めろ」


イヤな予感がしつつも、なんとかそう指示を出した。

勤務を終えて休んでいた者も含めてすべて呼び出し、広間に集めた。


「夕方、旦那様が来られたそうだ。誰か対応をしていないか?正直に答えろ」


ずらりと並んだ十数人の使用人たち。キョトンとしたり不安げな顔をする使用人たちの中で一人だけ、何かを隠しているような落ち着きのない仕草をしたメイドがいた。


「そこのメイド、知っていることを話せ」


「…恐れながら。レネ様にあのような男は相応しくないと思い、お引き取りいただきました」


息が止まりそうなほどの衝撃。私に長年仕えた執事が、私の代わりにメイドに叱責をする。


「それが何を意味しているのか分かっているのか!?」


「もちろんです。『妻の家で、妻の使用人からぞんざいな扱いを受けることは、妻からの離婚申し出である』ということです」


メイドは開き直ったように堂々と言ってのけた。


この国では正妻以外の者と結婚することも簡単で、離婚することも簡単だ。

正妻と離婚する際は、お互いの意思を確認し、揃って役所へ行かなければならない。しかし、正妻以外の妻と離婚する場合は、夫か妻のどちらかが役所に行って手続きをするだけでいい。一方的に離婚が可能なのだ。


だから、旦那様がこのメイドの態度を真に受けて、すでに役所に行ったとすれば…。

…もう離婚が成立しているかも…?


血の気が引いた。頭の中が真っ白になった。


「…すぐ、旦那様を捜せ」


執事に命令を飛ばすと、すぐに広間から出て行った。重苦しい空気のはずだが、件のメイドは空気を読まずにまだひとりで興奮していた。


「どうしてですか!?あのような男はレネ様に相応しくありません!」


「やめなさい!弁えなさい!」


他のメイドが興奮しているメイドを静かにさせようとするが、まったく聞く耳を持たない。勝手な持論を展開し続けている。


まさかこの屋敷に、私の意に沿わない者がいたとは…。

このメイドのせいで…。

旦那様に離婚されてしまったら…。


「…黙れ」


地の底を這うような、冷たく低い声が出た。その声に、広間は静まり返る。


「お前はクビだ。荷物をまとめて、今夜中に出ていけ」


メイドは騒いでいたが、他の使用人に力づくで広間から追い出された。ふらりと椅子に座り頭を抱えると、先ほど出て行った執事が慌てて戻ってきた。


「レネ様。今しがた、ミュリ殿の家の者から手紙が届きました」


執事から渡された封筒。そこには、旦那様の署名があった。慌てて封を開ける。


『ごめん。今日は会えなくなりました。また連絡します』


たったそれだけの、短い手紙。次の約束もない、短い文章。


「旦那様へお詫びを。ミュリの家に使いを出せ」


「はい。承知しました」


人をやって、謝罪の気持ちを伝えなければ気が済まない。夜更けに無礼だとは思うが…そんなことを言ってる場合ではない。




◎ミュリ視点


一日早くやって来た旦那さま。

手紙を書きたいっていうから、ちょっと変だなと思った。


旦那さまがどんな手紙を書くのか気になって、後ろでお茶を淹れながらチラッと覗こうかなって画策。だけど、旦那さまはすぐに書き終って封をしちゃった。


「ミュリ、これをレネの家に届けさせてほしい。いいかな?」


今日はレネの家にいくはずだったのに、僕のところに来たのかな?疑問は浮かんだけど、今は気にしないでおく。


「もちろん。レネ様の家だね」


執事を呼び、誰かに手紙を届けさせるようにちゃっちゃと指示。レネと旦那さまのことを考えてる場合じゃない。せっかく旦那さまがここにいるんだから、旦那さまとの時間を満喫しないと。


「旦那さま、庭の散歩しようよ。旦那さまにいただいた花の種、芽が出たんだよ」


旦那さまの腕を取ってすりすりと顔をくっつけると、旦那さまも僕にすりすりと顔をくっつけてくれる。優しい旦那さま。僕が正妻だったら、絶対に他の奥さんなんて認めないのになあ。


庭を散歩して、一緒に夕食を食べて、一緒に僕の私室でおしゃべりをした。

最近読んだ本の話とか、次は何を花壇に植えようか、とか。そんな話も終わって、そろそろ夜のお勤め…という雰囲気になったとき。


「なんか、下が騒がしくない?」


旦那さまがベッドから起き上がり、耳を澄ませる仕草。確かに、階下で人の話し声というか、叫び声。

せっかく旦那さまが来てるのに。居心地の悪い家だと思われたら、たまったもんじゃない。


「…ごめんなさい。注意してきます」


僕がベッドから降りると、旦那さまも一緒に立ち上がった。


「注意じゃなくて、様子を見に行こう。何か、緊急事態かも」


旦那さまは僕の夜着を整えながら、そう言ってくれた。旦那さまやっぱり優しい。


旦那さまと揃って、騒がしい声のする玄関ホールまで行ってみた。そこでは、レネの家の使用人が、僕の使用人に押しとどめられていた。


僕の使用人が「いくらレネ様の家の者でも、夜更けに無礼ですよ!」と言っても、レネの家の使用人は「旦那様にどうしても申し上げたいことが…!」と返事する。

そんなやりとりが、繰り広げられてた。


「何をしてる!?」


旦那さまとの時間をジャマされたこともあって、思いのほか大きい声が出てしまった。その声で、騒いでた者たちが一斉にこっちを見た。


「ああ…!旦那様!夜分に申し訳ありません!手紙を受け取りましたが、レネ様がどうしても謝りたいと…」


旦那さまの姿に気付いたレネの家の使用人は、床に額をこすりつけんばかりの勢いで旦那さまに頭を下げた。


「謝らなくて大丈夫だよ。それより、あの…夜だし、静かに。レネのところには、また行くから。今日はごめんって、謝っておいて」


うーん…。レネ、旦那さまに何をしたんだろう。


夜中。

旦那さまの腕に抱かれて、目を閉じる。考えるのは、レネが何をしでかしたんだろうってこと。


使用人の慌てぶりからすると、結構なことをしてしまったっぽい。旦那さまは全然怒ってないけど、レネはかなり焦ってたんじゃないか?


旦那さま、レネに怒っちゃえばいいのに。

レネが七番目の奥さんになるまでは、妻たちの中で僕が一番家柄が良かった。旦那さまは家柄とかあんまり気にしてないけど、妻の立場からすると気になるものだ。


正妻のジュエは、上位の職務に就いてるけど田舎貴族だし。

他の妻たちは、有名な画家とか、若くして財を成した商人とか。貴族もいるけど、僕の家ほどじゃない。

レネが七番目の奥さんになるまでは、僕が一番家柄がよかったのにな。レネにはさすがに勝てない。


溜め息を吐いて、旦那さまの胸にすり寄る。


「早く寝よう…おやすみだよ」


旦那さまも起きてたみたいで、僕の頭をくしゃくしゃ撫でてくれた。

うん。そうだ。レネのことも、他の奥さんたちのことも、考えないでいい。旦那さまのことだけ考えていよう。

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