第4話 不倫から生ずる悲劇の数々

「そうですよ。不倫というのは泥棒ですよ。しかも、目に見える現金や物質ではなく、目には見えない、そして常に変化し続けていてつかみどろころのない家族の心を盗むことだからね。家庭不和の原因になりますよ」

 彰子さんは納得したように言った。

「まさしく、将太君の言う通りだわ。自分が妻という当事者になって、ようやくわかりかけてきたの。私はもちろん、今の主人には過去の不倫の内緒ににしていることだけどね」

 彰子さんは、急にシャンパンを入れるなどと言いだした。

 俺は彰子さんのふところ具合が心配になった。

「いいのよ。これは、私の若い頃の貯金からしていることなんだから。間違っても、主人の給料には手をつけてないわ」

 シャンパンコールが始まった。

 ホストが五、六人集まり、一斉にかわるがわる飲み干してしまう。

 もちろん、彰子さんも少し飲んだ。酔いがまわったようである。

「私の不倫体験を正直に話すわね。私が二十二歳のときだった。四大を卒業して初めて入社した一流企業で知り合った、まあいわゆる重役と秘書の関係ね。

 もちろん、私にとって初めての男だったわ」

 俺はため息をついた。初めての男が不倫相手か、ということは、彰子さんはすっかり不倫体質になっているのだろうか。

「でも、私は金銭の授受の関係だけは無しにしようと思ってたの。だって、それじゃあ、私がいかにも金で買われているみたいじゃない。

 でもこういう場合、奥さんから見ると金銭で割り切れる関係の方がすっきりするんだって。今となれば、わかる気もするわ」

 うーん、そうだな。妻にしてみれば、浮気をされるのは自分に魅力がないなんて勘違いするものな。

 いや、男はいくら良妻賢母でも、浮気する奴は浮気するし、その浮気相手は、秘書などきわめて身近な女性が多く、案外水商売の女性は少ないという。

 ちなみに、年収一千万円以上の男で愛人をつくる確率は一割、二千万以上では二割、それが三千万以上になると三割とやはり、年収に比例して男性は浮気するという。

 自分を支えてくれた糟糠の妻から脱皮して、蝶のようにいろんな女性を求めて羽ばたいていくのが男かもしれない。


 不倫男は、相手に対して積極的だ。だって、羞恥心とか照れくささがないというより、必要としないから。

 独身男性だったら、たとえば「その口紅きれいだね」と褒めて、相手に無視されたら傷つくとか、かえってストーカーと誤解されるのが怖いなどという羞恥心があるが、既婚男性は、相手の女性に対して傷つく心配がない

 だって、自分には妻という揺るがない地盤があるんだもの。

 日本人は、シャイな民族であり匂いには敏感である。

 韓国や欧米諸国ではハグの習慣があるが、日本にはない。

 だいたいハグというのはお互いの体臭も含め、匂いを認め合うために存在する。

 しかし、日本人は体臭も薄いし、にんにくの匂いもしないので、ハグの必要性はないのだ。

 だから逆にスキンシップされるとドキッとしてしまう。

 特に男性の場合、甘いささやきと同時に、自分だけに特別に好意をもってくれていると勘違いしてしまう。不倫男は、そこにつけ込んでくるのである。

 ひょっとして、彰子さんもそのパターンでひっかかったに違いない。

 俺はそう確信した。


 俺の気持ちを見透かしたように、彰子さんは言葉を続けた。

「私が不倫をやめようと思ったのはね、刑事事件に発展したというニュースを聞いたからよ」

 ひと昔前、N〇C電気勤務の当時二十四歳のOLが上司と不倫の末、上司の自宅に放火し、奥さんと子供を死なせた事件って覚えてる?」

「ああ、そういえばあったなあ。なんでもそのOLは何と四回も中絶させられたらしい。東京の国立大学卒で、近所では礼儀正しいと評判のお嬢さんだったらしい」

 俺は、やはり報道番組は常に見ておくものだと痛感した。

 いつどんな話題を振られるかわからない。

 そのときに、えーとかうーんとか言って考えこんだらホスト失格である。

 芸能人のトーク並みに、打てば響くような答えをする必要がある。

「そう、私もニュースで見たけど、いかにも生真面目そうなお嬢さんだったわ。

 四回も中絶するということは、よほど相手の男を信じていたのか、それともボタンの掛け違いのように、一度乗りかかった舟から降りられなくなったのか、まあ、いずれにせよ、相手の男は口が上手く、その女性を言いくるめていたということだけは断言できるわ」

 だいたい一度でも中絶させる男は、それだけ誠意のない証拠であり、その時点であきらめるべきである。

 彼女の生真面目さが、かえって視野を狭くし、方向性を狂わせたのであろう。

 そういえばAV女優になる女性は、生真面目で責任感の強い女性が多いというが、どちらも女性にとっては、一度でも体験すると忘れることのできない、底なし沼の麻薬のようなものかもしれない。


 彰子さんは、話を続けた。

「ここだけの話、私、主人に内緒でデリバリーヘルス(出張風俗)しているの。

 まあ、週に一度だけどね」

 こんなこと、俺にだけ打ち明けてくれることが許されるのだろうか。

 たぶん右近さんにも、内緒にしている筈である。

「スーパーのレジとかやってみたけど、金銭授受はもう機械に変わりつつあるので、お総菜売り場に配置転換されたけど、揚げ物の油臭さに辟易して結局二か月で辞めちゃったの。といっても、二か月契約だからちょうど契約満了といったところね。

 デリヘリは昨日から始めたばかりよ。案外、堅くてドライバーがしっかりしててね、本番行為をする客や、複数で来る客をとりしまったりしているの。

 あっ、そうだ。女性のなかにはホストで借金をつくってデリヘリから抜けられないなんて人も多いらしいわ」

 こういったホストクラブにくるお客さんの半分以上は風俗嬢であるという。

 なかには、ホストの敵であるテキーラを飲ませ、ホストが急性アルコール中毒で近所の病院に運ばれるケースもあるという。

 彰子さんは話を続けた。

「半分は、主人へのあてつけなの。本番は一切禁止で、マッサージをして射精させるだけ。この業界もお客さんがつかなきゃ金にならないし、ほら、ホストさんと同じ、売上のバック率が給料よ」

 ここだけの話、俺も一度だけ行ったことがある。

 でてきたのは、結構若い二十五歳くらいの女性だった。

 三つ指をつき「本日ご指名頂きました〇です。殿方を私のテクニックで、堪能させますので、ご覧あそばせ」

 などという、いやに丁寧な言葉遣いで、自分の方から脱ぎ、プレイを仕掛けてきた。しかし、風俗ばかり行っていると、女性に対する積極性がなくなってくるという。

 常に受け身であり、女性を喜ばせることもできなくなり、女性からしてもらうことしかできない幼児のようになってしまう危険性があるから、俺は一回こっきりで辞めた。

 俺は彰子さんの家庭が不安になってきた。

「ねえ、彰子さん、隠してることって、いずれはバレるときが訪れるんですよ。

 覆いをかけられたものは、取りされれば終わりですからね」

「私もそれはわかってるわ。それに売れっ子になるためには、客をたくさん取らねばならないし、いずれ知人にも顔をさすことだってあるわ」

 彰子さんは、ため息をついた。

「私ってバカな女なのかな。でも、こう見えても不倫するまでは、もっと穏やかな精神状態だったわ。間違った恋が私の精神にとげを刺したのね」

 俺は慰めの言葉をかけた。

「人間誰でも傷ってありますよ。しかし、それをどう対処するかですよ」

 彰子さんは、ため息まじりに俺に質問するかのように言った。

「じゃあ、私は傷の対処の仕方が間違ってたのかな」

 こういう場合は、直接相手を否定せずに、まずフォローするに限る。

「いや、なにが正解でなにが間違っているとかは、誰にもわかることではないけれど、自分の良心に後悔しないように生きることでしょうね。

 一時の金とか、感情とかじゃなくてね。月並みに言えば、自分を大切にして生きることですね」

 




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