第3話 ホストとしての初めての客ー彰子さん

「おーい、将太。初仕事として俺のヘルプにつけ」

 ええっ、いいんですか。まあ俺は金魚のフンの如く、右近さんに合わせればいいのかな?

 テーブルには、ミニスカートに胸が半分見えそうな二十二歳くらいの女性と、黒のミニワンピースの女性が煙草をふかしながら、足を組んで座っている。

 たぶん、同じ店の出勤帰りだろう。キャバクラかセクキャバか、まあそんなことを深く追求してはならないのである。

 一応、ホストのタブーとして、自分から相手の身体に触れてはならない。自分のプライペートは語っても自由だが、客のプラペートを聞き出すのはタブーである。

 年齢、職業、既婚者かどうか、学歴や職歴などは、ホストが客に話すことでしかない。そして、できるだけ笑いにもっていく。

 ホストは客のプライペートなど詮索せず、非現実空間を演出すればいいのである。

 源氏名をもらってる限りは、心身共に体調が悪くても、客の前ではアイドルを演じねばならない。

「わあ三日ぶり。玲於奈さん」

 さっそく、右近さんが赤いワンピースに挨拶した。

「会いたかったわ。右近君」

 俺はどうしたらいいのかわからない。

「こちら、新人の将太。よろしくね」

「さあ、今からゲームよ。私がクイズを出すから負けたらテキーラ一杯飲もうよ」

 そういって、黒ワンピース女は、中学生向けのクイズ本を取り出した。

「さあ、関ヶ原の戦いは?」

 やばい、急に思い出せない。

「1600年、じゃあ、俺が逆に聞くよ。フランス革命は?」

 俺は心のなかで、1789年と答えたが、口に出す必要はない。

「将太、お前言ってみろ」

 俺は黙っていた。もし正直に答えると、カッコつけた奴だと反感を買われる恐れがある。

 赤ワンピースはすかさず言った。

「さあ、罰としてテキーラ一杯」

 俺は注文されたテキーラを飲み干した。カーッと口の中が熱い。

 まるで、のどから火がでるようだ。ホストっていつもこんな思いをしているのかな。

「おい将太、大丈夫か。玲於奈さん、もうこれくらいでストップ」

「まあ、右近の頼みとなれば仕方がないか。ねえ、他に面白いヘルプいない?」

「そうだ。この前の明人なんて如何ですか? 将太、明人と交替だ」

 俺より、三日前に入店した明人が席についた。

 とたんに、赤ワンピースが不満げに言った。

「ん、もう仕方がないわね。この子で我慢するわ」

「まあまあ、そんな冷たいことおっしゃらないで、そこを何とかご勘弁を」

 明人は、方言なまりの物言いをした。

 俺は今度は、三十歳くらいの一見OL風の女の席に回された。

 綿ブラウスにデニムパンツの質素な感じの女性である。

 一見生真面目風で、でもどことなく陰がありうつむき加減である。

「将太です。よろしくもうすぐ梅雨の季節ですね」

 初対面の人には、お天気や季節の話をするのがいちばん無難である。

 急にその女性は泣き出した。

「ちょちょっと、僕何か気に障るようなこと、しました?」

 俺は、とまどってとりあえずハンカチを差し出した。

「ごめんなさい。なんだか最近涙もろくなっちゃって」

 こういうときは、一発笑いをとるに限る。

「涙の数だけ強くなれるよ。なーんて歌がありましたね。

 そう、あなたはこの店に来てたくましい女性へと変身するんです。

 ヘンシーン」

 おどけた調子で言って、俺は仮面ライダーのポーズをとった。

「僕、名前は将太ですが。その正体は、正義の味方仮面ライダー、あなたを未知の世界へ招待しますよ」

 将太はまたダジャレで返した。

「さあ、これで僕の名前、覚えてくれましたよね」

 その女は笑顔を返して言った。

「将太さんだっけ。私の名は彰子」

 俺の精一杯のダジャレが通じたのだろうか。

 笑うと、顔がパッと華やかになる。さっきの涙顔とは別人のようである。

 そのとき、右近さんが彰子さんの隣の席に着いた。

「彰子さん、どうしたの? おい将太、お前なにかした?」

 彰子さんは、手を振って答えた。

「とんでもない。将太君は何もしてないわ。私が感傷に浸っただけ。

 でも、将太君って楽しい人ね。初対面でこんなに笑ったのは初めてよ」

 右近さんは、決心したように言った。

「彰子さんは俺の客だけど、特別に将太は横についていいぞ。

 ねっ、彰子さん、いいだろう」

 彰子さんはうなづいて言った。

「そうね。男前の右近さんは、なかなか席についてくれないから、この新人さんでもOKよ」

 やったあ。俺にも初めての客がついた。

「しかし、爆弾ヘルプになっちゃ承知しないぜ。あっ爆弾ヘルプというのは、客が講座ホストよりも、ヘルプの方がいいからそちらに口座変更してくれということさ」

 俺はすかさず答えた。

「はいはい、それは心得ていますよ。では彰子さん、改めて隣につかせて頂きます」

 こうして、俺は彰子さんの打ち明け話の聞き役専門となった。


 彰子さんは、いつも俺をヘルプ指名する。

 本来はそんなものは通用しないのだが、右近さんの粋な計らいのお陰で、俺は新人でありながら、特権を頂いてるんだ。

 彰子さんは、どちらかというと地味な女性である。

 非日常空間であるホストクラブには珍しく、平凡なパンツにTシャツで来店する。しかし、唯一、時計だけは洒落たものをしている。なんでも、亡くなった母親の形見らしい。

 ホストをしていると、性欲が萎えるという。俺も最近になってわかりかけてきた。

 実際、女性客を目にして、相手に合わせた会話をするだけで、触れることは許されない。握手を求めるくらいは、かろうじて許されるのであるが、まだ俺は彰子さんに握手を求めるような度胸は持ち合わせていない。

 ひとつは、彰子さんはあくまでも右近さんの客であり、彰さんが来店しなくなってしまったら、俺の責任になりそうで怖いのだ。といっても、俺は右近さんのコピーになれるわけがない。

 もう、素の自分をさらけ出す以外にはないと思った。


 彰子さんは、ゆっくりと話し始めた。

「私がここに来るのは内緒にしておいてね。実は、主人が浮気してるの。そう、不倫でも私も若い頃、恋は盲目で不倫してた時期があったから、夫を責める権利などどこにもないわ。因果応報というか、罰が当たったのかな。

 それとも、類は友を呼ぶ式で、私と同類の不倫好きの人としか、相性が合わなかったのかな」

 なんとまあ、神様が巡り合わせてくれた偶然、なんとここにも姉同様に不倫で苦しむ女性が存在しているわけだ。

 しかし、こういうときは深刻に考え込んでも答えは出ないし、不倫道は一度スタート地点に立つと、引き返しはできにくいのだ。

 ここは、一発笑いを取るに限る。

「ほら、一昔前、断崖絶壁落ち目まっしぐらの二流俳優が発言したじゃないですか。「不倫は文化だ」って。まあ発言した本人は、不倫から生まれる文化、たとえば映画や小説もあるという意味で言ったと言い訳していたがね。もしかして、不倫作品の主人公として起用して起死回生を図りたかっただけだったりしてね」

 俺と彰子さんは、同じタイミングで笑い出した。

「俺、不倫はいいことだとは思いませんよ。だって一番身近である家族を苦しめることだから。たとえば夫が不倫して帰宅するでしょう。途端に嫁と喧嘩になり、それをみている子供が家に居つかなくなる。そして、子供は当然母親の味方をし、母親と子供とがタッグを組んで、夫を責めるケースになりかねない。すると家庭内離婚状態ですよ」

 彰子さんは、俺の独自の演説に頷きながら聞いてくれて、俺は安堵した。

 もうこの前みたいに、俺の目の前で泣かれるのは御免である。

「でも俺、不倫をしている人を一方的に責めることはできないな。

 だって、人間相手は誰であれ、承認欲求がある限り甘い言葉を囁かれたら弱いし、そちらになびいてしまうから。厳しく叱責してくれる人よりも、やはり素顔を見せられる人に魅かれるのは当然だよね。

 ただ相手に家庭があったことが大問題なんですよ。別の言い方をすれば、もう自分には家庭という安定できるものがあるから、人に対しても寛容になれるのかもしれない。ほら、よく言うでしょう。家庭持ちを好きになったんじゃあない。好きになった人がたまたま家庭持ちであっただけなんだって。あれもあながち、嘘ではないですよ。家庭のある人って落ち着いてるし、なんとなく貫禄が感じられますものね」

 彰子さんは、笑いながら言った。

「ねえ、もしかして将太君も不倫経験者だったりして。説得力感じられるわ」

 あらら、意外な展開になってきたぞ。

「違うよ。俺は不倫する気はありません」

 俺はきっぱりと言った。

「私って、最近になってようやく自分のやってきたことの周囲に与えた意味が分かりかけたような気がするの」

 俺はもう、お世辞や媚びへつらいなどではなく、素の自分を出すしかないと思った。その正直さが、彰子さんを救う手立てだと思う。

 そういえば、元一億円ホストだった城咲 仁も不倫の悩みを相談されて、ダメなものはダメだってきっぱり言い放ったという。

 女に媚びたりボトルをねだったりしているだけでは、大した男にしか見えなくなってしまうのがオチである。やはり、女は真の男と一緒にいるという夢を見に来ているのである。


 

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