第2話 俺は今から新人ホスト将太である

 しかし、おかんが姉が不倫しているという事実を知ったら、気絶するかもしれない。おかんは昔堅気の人で、女は家では一滴も酒を飲むなといった考えを保持し続け、本人も酒どころか奈良漬けやかす汁の酒臭いにおいを嗅ぐだけで、食欲が減退するという人だったのだ。

 姉は、亡くなった母親に対して明らかに親不孝をしているが、本人にとっては、尊敬できる男性と、こんな素晴らしい本気の恋はないと信じ込んでいるバカな女の典型である。

 それとも、よほど相手の男が狡猾であり、甘言で今まで何人もの女性を丸め込んできた体験があるに違いない。

 そんなワル男にかかれば、男性経験のない赤ん坊のような姉などイチコロである。

 俺は不倫の修羅場などというどろどろしたことに巻き込まれるのは、真っ平御免である。

 俺の人生、面白おかしく生きてやるというという半ばヤケクソのセリフは、末期のガン患者みたいであるが、とにかく俺はホストという未知の世界に飛び込む決心を固め、ひょっとして案外これがサクセスストーリーのスタート地点になるかもしれないなんて、甘い期待を抱きながら・・・


 俺は、十字架のロゴの入っているホストクラブの面接を受けている真っ最中である。

 一応茶髪に染め、スーツで決め込んできた。

 我ながら、案外イケるかもしれないという小さなうぬぼれ真っ最中である。

 面接官は、三十歳くらいの代表と名乗る雇われ店長である。

 やはり厳しい世界で、最初の三か月間は固定給十五万あるが、それは売上ホストの給料から負担されており、その間は売上ホストのヘルプホストである。

 三か月を過ぎると、あとは歩合制、要するにお客さんの売上の半分が自分の給料になるわけであるということは、指名客のつかないホストは給料がないので辞めるしかない。といいっても辞めていく人が異様に多いのがホスト業界である。


 そしてやはり先輩、後輩の区別は守ることであり、先輩にタメ口なんてとんでもない。もしそんな礼儀知らずの態度をとったものならば、テーブルに先輩が座り、自分の指名客にいやがらせー例えば膝にドリンクをかけたりして、その客を怒らせ、次回から来店しなくなるように仕向けたりするそうである。

 どんなにナンバー1をとっても、礼儀を間違えるとその店にはいられなくなる。

 第一、最初は先輩のテーブルにつき、指導してもらわねばどうしようもない。

 俺は一応、即決合格となった。でも辞めていく人を見越して大勢の人数を入店させているだけかもしれない。

 しかし俺は、この中で抜きんでてやる。ナンバー1になってやると決心した後は、早速ホームページでナンバー5以内に入っているホストを研究した。

 やっぱりかっこいい。まあ、元々素材は男前だけのことはある。

 しかしひるむ必要はない。俺も磨けばこれくらいになれるかもしれない。

 ナンバー1の給料は、月によっても違うが月百万くらいあるという。

 しかしその分、リスクも大きい。酒も一日、ボトル一本くらいはあけるのが常識であり、基本的に客の要望に答えねばならないが、かといって男である限り、女性客の言いなりになっているようでは、先が思いやられる。

 一番大きなリスクは、客のツケを踏み倒されることである。だからよほど信用できる客でないと、つけにはしないことである。

 指名本数ナンバー1でも、つけを踏み倒されたために、借金二百万なんて人もいるくらいであり、決して甘い世界ではない。人を見抜く洞察力を見につけねば無理だ。


 俺は、ホストクラブの寮に入ることになった。これでなんとか、ホームレスから解放されるわけである。

 といっても先輩が入寮している限り、気をつかわなければならない。

 俺の先輩は、右近さんーといっても、もちろん源氏名であるがーという。

 今や九カ月続けてナンバー1というスゴイ先輩だ。俺もそうなりたいな。

 しかし、右近さんがナンバー1という理由が俺にもわかるような気がする。

 だって、まず男前だもの。

 初対面から「あっこの人、芸能人一歩手前の男前だな」て思ったくらいだ。

 それに可愛い、まるで子供のような無邪気さを感じさせる人である。

 女だったら、間違いなく母性本能をくすぐられるタイプである。ウソやお世辞を言ったりはしないタイプだ。

 俺は、右近さんについていこうと決心した。

「よう新人、もう源氏名決めたか」

 そういった物言いをするということは、新人の間に辞めていく人がいかに多い証拠である。

「そうですね。将太にしようと思っているんですけどね」

「ふーん、いい名前じゃないか。俺から、代表に伝えておくよ。今日からお前は将太だ」

 そうか、俺は素の自分であってはならないのだ。

 今日から、どんな女の前でも笑顔をふりまき、その女を好きなフリをしなければならない。そうやって、女に夢を見させてやるのである。

 夢の代償として、家飲みなら三百円のグラスビールを、なんとチャージ込みで六千円も頂くのである。

 俺は接客というのは、わかちあいだと思っている。

 相手の心情をくみ取り、相手を理解し、一心同体感の空気をつくりだし、私はあなたの身内の如く味方であるといった関係をつくりだすことで、リピートにつながると確信している。

 そうでなくてもホストクラブには、いわゆる孤独な女性が多いー地方出身者、風俗嬢も含め、水商売が八割を占めるという。

 ひょっとして順香姉ちゃんも、身体引き換えに不倫相手にただ夢を見させてもらってるだけじゃないか?

 俺が思うに、不倫というのは男にとって都合のよいバーチャルゲームでしかない。

 なにしろ相手は仕事や家庭という日常の枠からかけ離れた、遊びでしかない。

 自分には揺るぎない家庭があり、そこにはキッチンのようにでんと構えている妻がいる。かけがえのない子供もいる。

 でもそれだけでは物足りず、いやかえってその必要を維持するための、日常を逸脱した刺激がほしい。

 また、非日常とは違う刺激があるから、日常も退屈しなくてすむという一石二鳥の相乗効果もある。

 それが証拠に、不倫が流行り出してからクラブやラウンジのような高級酒場が閑古鳥の状態だという。金と引き換えに夢をみるということが、必要なくなったんだろう。逆にいえば、夢を見ようと思えば金が必要だったし、金持ちのみが一夜の夢をみることができるということがステイタスになっていたはずのものが、不倫という現実的でさして金のかからない、お手軽な疑似恋愛ゲームによって廃れつつあるのだ。

 ようし、今日から俺は、不倫男に負けないほどの夢を女に与えてやる。

 俺はまだ見ぬ、順香姉ちゃんの不倫男にライバル心を燃やした。


 今日は初めてのミーティングである。

 俺は、ホストの先輩方に紹介され、右近さんのチームに入り、右近さんと寮に同居することになった。

 よりによって、ナンバー1とプライペートまで近づけるとはラッキーである。

 しかし、右近さんは新人の俺にでも、全く分け隔てなくやさしい。

 右近さんのこういった人間性が、八カ月続けてナンバー1を維持する秘訣なのだろう。

 それに嫌味のない男前である。目鼻立ちが整っていて、まるで小鹿のような可愛い顔立ち。でも、きりっとした硬派なものも感じられる。

 男の俺がそう感じるのだから、女性だったら尚更だろう。


 しかし、ホストのミーティングというのは、まるでクラス会のようである。

 同年代の男子が集まるのだから、なんだか和気あいあいとした感じもする。

 代表が本題に入った。

 この頃は不景気のせいで、シャンパンなど高級な酒を注文してくれる人が少なくなったこと。つけは出来るだけ応じない方がいい。

 そして最も大切なことは、警察の取り締まりが非常に厳しいので、メニュー表を提示すること、未成年は身分証明証が必要であるが、どうみても未成年であることがわかったら、その時点で代表に報告し、店には来させないようにする。

 なぜこれだけ厳しい処置が必要かというと、他店ではエセコー偽の身分証明証を提示した未成年の女子が、店でホストの接客を受けている最中に、警察がやってきて店の代表だけでなくそのホストまでが取り調べられたという。

 また私服の婦人警官が、通行人になりすまし、ホストがキャッチする現場をつかまえるというケースもあるので、うっかりキャッチすらできない。

 だいたい警察沙汰になった店は、店名を変えて営業しているケースが多いらしい。そんなややこしいことになれば、客足は遠のく一方である。


 それに、一度でも警察沙汰になれば、過去にさかのぼって調べられ、これから事件があるたびに、容疑者扱いされる。ホストクラブは、狭い世界であるから情報はすぐ伝わる。グルになってるなんて偏見の目でみられればとんだトバッチリである。

 これからは、ホスト界も生き残りの時代である。そのための最低条件は、やはり警察沙汰にならず、安心して長く通ってもらえる店になることである。

 警察沙汰になったホストは、即退店か無期限謹慎である。

 という内容のことを、かなり切実に訴えていた。

 実際、昨年に比べ売り上げは落ちる一方というが、ここは心機一転、巻き返しを図りたい。

 しかし、俺は少々不安になってきた。でも右近さんについていけば、大丈夫だという妙な自信のようなものも生まれてきた。

 

 







 

 

 

 

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