☆不倫消滅隊
すどう零
第1話 無職ボーイからの脱出
俺は今、途方に暮れている真っ最中。
今日から、ホームレスになるかもしれない。以前ならネットカフェ難民に甘んじてたところだが、昨今はネットカフェに入店するのも、身分証明証が必要である。
あせった。こんなことは、高校のときのテスト一夜漬けと同じ、いやそれ以上の不安と恐怖さえ感じる。人間は一体、何のために生きているのだろう。いや、それ以前に俺はなぜ、この世に生まれてきたのだろうという疑問すら感じさせる。
日本は諸外国に比べ、大変恵まれた国だという。義務教育も福祉制度もある。
知り合いの在日韓国人は、日本語を知らない八歳のとき、母親と共に来日したが、その後、日本語を勉強し理工系の進学校を卒業したのち、キリスト教の神学校を卒業し、現在はキリスト教の伝道師である。
彼曰く「日本に生まれたというだけで、相当ラッキーですよ」
そりゃあ、緩やかな差別はあるが、移民国家ほどのひどい貧富の差や、露骨な差別はない。
実際、ホームレスになっても公園にいけば炊き出しもあるし、韓国教会など無料で食パンや食事を提供している施設もあるくらいである。
しかし、そうはいってもホームレスは嫌だ。一か月くらい風呂に入らず、強烈な匂いを漂わせながら酒をあおっている元労働者。スーツホームレスなんてのもいる。
なかには、俺と同い年くらいの二十歳くらいのホームレスも存在している。
俺もあいつらと、同じ立場になろうとしているのか。
ため息をつく暇もないような、不安感が足もとから立ち昇っていくのがひしひしと感じられた。
恥ずかしい話かもしれないが、俺は姉と同居しているのである。
姉は公務員で、現在は課長補佐の肩書をもち、給料も安定しているが、女性故にいつクビを切られるかは定かではない。
やはり独身女性よりも、所帯持ちの男性に肩を持つのは致し方がないことだろう。
その姉が、家を出たいと言い出した。
原因は、どうやらいけない恋ー不倫をしているらしい。
相手の男は「妻とは家庭内別居状態でうまくいっていないが、自分は養子だからそう簡単に離婚するわけにはいかない」と都合のいい自分勝手なことを言っているが、姉を甘言で丸め込む悪魔のささやきとしか言いようがない。
第一、その言葉も真偽のほどは定かではなく、まったくの大ウソかもしれない。
しかし、困ったことに、姉はその言葉を信じ切っているのである。いや、関係をもってしまった以上、意地でも信じないと自分が惨めになってしまうからである。
そうじゃないと、三十五歳の姉のセックスは、男にとって単なる遊びになってしまうからである。
風俗だと金がもらえるが、それ以下の遊びでしかないなんて、あまりにも悲しい。
俺は今、派遣社員という極めて不安定で、明日はどうなるかわからない危うい立場にいる。
一か月契約であり、更新がなければクビを切られる運命なのだ。
たまに、何年か長続きする人もいるが、そういう人はコネで入社したばかりである。
不安のあまり、のどが渇いた。
ファーストフードでブラックコーヒーでも飲もう。
女性高校生が、テーブルに漫画本を置きっぱなしにしたまま、席を立った形跡がある。表紙は、一見少女好みの女子であるが、なかをめくってみると、風俗求人誌でしかない。
俺は、パラパラとページをめくった。最初のページは、串カツ屋の割引券だ。なるほど、それで読み進めていくうちに、非常に甘い宣伝文句が飛び込んでくる。
脱がない、なめない、さわられない、それで時給五千円。これだから女は得だよと思うのは大間違いであるけれど、孤独で相談相手もいない地方出身者は、ふと甘い言葉にいちるの望みを託すのかもしれない。
また、自分を可愛いなんてうぬぼれている女子高校生なら好奇心半分で、応募することも考えられる。
同じような掲載記事の終わりまでページをめくると、ふとホストの求人広告が目についた。
決してラクな仕事ではないが、努力次第で月百万円も夢ではないのだ。
それに寮完備というのが、大きな魅力だ。一応、お定まりの黒のスーツも貸与してくれるという。
年齢制限は三十歳くらいまで。俺は現在、二十一歳だから、ちょうど適齢だろう。
顔写真付きのコメントが掲載してある。
「俺は、建築の現場仕事が辛くて、この世界に入りましたが、現在は月給二百万円で、この店に入店できたことを運命の曲がり角だと思っています」
顔の方は、そう男前ではないが、親しみやすいフェイスである。
しかし、週刊誌、とくに男性週刊誌ではあくどい記事ばかり、掲載されている。
女子高校生のバイトするファーストフード店に、毎日足しげく通い、一週間後四隅の丸まった名刺を渡して店に連れて行き、値段も明確にせず、百万近いドンペリを注文された挙句、借金のカタに系列店の風俗に売ったりするホストもいるらしい。
かと思えば、その正反対のパターンで、なんと入店十五分後に、女性客から十八万円のツケを被ったホストもいる。
ホスト業界で借金を被り、逃亡したホストを業界用語で「とぶ」というらしいが、ホスト業界は狭いので、どの店のどのホストがとんだなんてすぐわかるという。
知られていないと思っているのは、本人だけだという。
要するに、十分後にはどうなるかわからない博打のような世界である。
俺は、パチンコを少しするくらいで、ギャンブルにはさして興味はないが、コロナ渦もあり、そのパチンコ屋も閉店しつつあり、若者の興味はゲーム一辺倒である。
堅実に生活しているつもりでいた飲食店やエンタメ業界が、地震など天災に見舞われたり、放火や無差別殺人などテロのような悲劇で、突然死することだってある。
そう、一寸先は闇だというが、明日、生きてるなんて保証はどこにもない。
ここでも、甘い宣伝文句が行先を失くした心の隙間を刺激する。
「酒が飲めて、女の子としゃべれて慰安旅行もあるよ。いじめ、派閥一切無し」
本当かな。何でも写真週刊誌では、新人ホストに土下座させ、その周りを先輩ホスト五人が取り囲んで、殴ったりしている集団リンチの様子が掲載されている。
そういえば、中学のときの同級生ー勉強はできなかったがまあ男前だった奴ーが歌舞伎町でホストをしているとき、先輩客の客が自分に指名替えしたいと言い出したのがきっかけで、待ち伏せされてアイスピックで頭の後頭部を刺され、今でもその傷が残っているという。
ホストの世界では、指名替えは禁止、ヘルプホストの給料はあくまで売上ホストの給料から発生している。
まあ、どの世界でも先輩は立てるべきであるので、先輩を立て、邪魔にならないようにうまく立ち回ればいいのである。
いつの間にか、俺はホストの求人記事を真剣に目を通していた。
一度しかない人生、今を大切に、なんてひと昔前の流行り詩の歌詞のような言葉が、俺の脳裏をよぎっていた。
俺は、とりあえず家を出ることにした。
姉は、すっかり相手の男に夢中のようである。俺はその男がどんな男かは知らないし、会いたいとも思わない。
もし顔を合わしたら、無条件で胸倉を掴んでぶん殴りそうな気がするから。
しかし、姉は三十五歳まで男性経験どころか、まともな恋愛経験もなく、かといって、もちろん性被害にあったこともなく、ビール一杯で真っ赤になり、煙草の煙でせきこんでしまうほどの喉の弱い経理仕事一辺倒のOLの姉をうまくたぶらかした男というのは、何者なんだろうか?
幸い、姉の勤めている会社はいわゆる零細企業で経理はすべて姉が一人で任せられているという。もしかして、男は姉に横領でもさせる気なのだろうか?
こういったことは、興信所で調べればすぐ判明するが、その為には四十万近い経費が必要である。
今の俺にはそんな金は到底ないし、かといって俺は居候させてもらっている身分なので、姉に偉そうに説教できる立場でもない。
こんなとき、おかんがいたらと思うが、残念ながら俺たちのおかんは、二年前に間違った民間療法を毎日実行したため、風呂から上がって五分後、死んでしまった。
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