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「やばい」
北島は真夜中のコンピューター画面を見詰めがなら呟いた。同僚は皆帰ってフロアにいるのは彼一人だ。
「これ完全にシステムの穴だ」
彼が理解したのは要するに会社の金を引き出せる、システム上の欠陥を発見したことだった。北島のこめかみに脂汗が浮かぶ。恐らく、いや絶対、この穴を知っているのはこの世で自分一人だ、だからすべきことは二つしかない、一つは報告し修正すること、もう一つは、ここから金を引き出すこと……。善と悪の葛藤は殆どなく、彼は百万円の金を自分の口座に移した。彼の計算によれば、この額ならばまずバレない。後は時間を置いて同じ額を抜いていけばよい。
次の日、彼は丸々百万円を口座から下ろして、内ポケットに入れて秋葉原を歩いていた。その金の存在が気持ち悪くて仕方がない。自分で生み出した金なのに、存在に違和感がある。だから一挙に使ってしまおうと彼は考えた。戻そうとは一度たりとも思わなかった。
「ご主人様、いかがですか?」
会社が近いからこの街を歩いているだけで、特に小娘に興味はない。
ゲームセンターも、百万円を突っ込むには物寂しい。それはカラオケやダーツも同じ。使いたい金の額が増えるといつも行っているようなところが急にさもしく感じる。この街にはないが、風俗も一瞬考えた、でも、セックスがそこまで好きな訳でもないし、何より感染が怖い。
「ポン、と使えるところ……」
北島はうろうろうろうろ秋葉原の街を歩く。
「あった」
それはチャンスセンター。酷いネーミングだ。でもごっそり金をロンダリング、そう、俺がしたいのは散財じゃなくてマネーロンダリングだ。宝くじ売り場に真っ直ぐ入って行き、百万円分くじを買った。さっきまで現金が入っていたポケットに、それだけのくじを入れる。増える可能性はあっても、やっぱり現金に比べてしょぼいものが入っている実感に、北島はむしろ安全な状態になったと、胸を張って職場に戻った。
見付けた「穴」が誰かによって報告されることはなく、確かめれば「穴」は空いたままで、その穴を通じて金を引き出したことが明るみにもならないまま、宝くじの結果発表の日を迎えた。
「この数をチェックするのは正気の沙汰じゃない」
北島はそのままチャンスセンターに持って行った。向こうで機械で見て貰おう、どっさりと渡したけど売り子のおばちゃんは嫌な顔一つしなかった。
一千万円が当たっていた。
北島は、そこで初めて良心が呵責を起こして、百万円を会社に戻した。戻してみると、自分が渡った橋の危うさに身が凍り、職場ではそれでも何とか平静を保っていたけど、家に帰って気が緩むとガタガタと震えが止まらない。
「あなた、何か変よ」
「そうかな」
「何か、あったのね。正直に言いなさい」
北島はその経緯を妻に伝えることは決して出来ないことを、問われて強く自覚して、宝くじを買ったら当たったと言うところだけを話した。
「あなた、半分は私のものよ。いいわね」
北島は犯した罪の半分を妻が背負ってくれるような気がして、「もちろんだ」と答えた。実際、妻の裕美に話したことで震えは治まったし、罪は消えたようにも感じた。喜ぶ妻からトイレに避難して、座ったと同時に、後にも先にもないような大きなため息が出た。それは妻に渡して空いた分の罪が、穴になって吐き出されたもの。
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