第23話
目を覚ますとそこは列車の中だ。
サスペンション越しの振動が強く背中をたたく。その振動は列車に乗っていることを鮮明に改めて意識させるものだった。うつらうつらとしていた意識がたたき起こされ、ぼくは姿勢を正した。
周りを眺めやる。
時間が時間ということもあり、都心と地方をつなぐ列車に中は閑散としている。数少ない乗客はまばらで一様に無機質な表情をうかべている。鏡がない以上分かりえないことだが、きっとぼくも同じ顔をしているのだろう。一人で乗っていて笑顔がこぼれる訳がないのだから当たり前のことなのだけれど、みんながみんな同じ顔をして並んでいるのはいささか不気味なものを感じさせた。
いまは何時なのだろう。
腕時計を見るより先に、そろそろ昼飯時ということもあり、ぼくの体内時計がおぼえげに時間を伝える。おそらくいまは正午だ。腹時計なのでピッタリ正確というわけにはいかないだろうが、ほぼほぼ正解に違いない。改めて腕時計を見やると短針と長針は正午二十分すぎを指している。多少狂いはあったが、おおよそ正解のようだった。
リュックを下ろし、駅で買っておいた弁当を取り出す。駅弁というやつだ。人生で初めて食べるもので少し幻想を抱きすぎているきらいはあるが、まずいということはないだろう。箱から取り出す。
封を開けてパッと目に着いたのは大量の牛肉とそぼろが乗ったご飯で、それから横に添えられた煮物や玉子焼き、漬物に目が映る。なかなかインパクトのある見た目だ。弁当屋で一番人気だったということもあり、期待はひとしおである。量もわりとヘビーなので後からすぐにお腹がすくということもあるまい。
いただきます、とぼくは習慣から手を合わせて言い、ハシを袋から取り出して牛肉といっしょにご飯を一口口に運ぶ。あまじょっぱい味付けが口中に広がった。自分の中でなんとなく、旅の味と名付ける。うまい。シンプルなこの一言があれば、余計な飾り付けやごちゃごちゃとした言葉は必要なかった。
そのまま黙々ともぐもぐ食べる。咀嚼を繰り返していると喉が渇いたので、ぼくはこれまた駅で購入したミネラルウォーターを取り出した。キュルキュルとキャップをひねり口をつけて胃に流し込む。食事で火照った体に冷水がよく効いた。
「ふぅ」
一息つく。
今日、この列車に乗っているのはもちろん観光――のためではない。
行先はユイの住む地方の県だ。到着地のロータリーからバスに乗って移動し、県庁所在地まで移動する。そこからさらにバスを乗り継ぎ、そこにユイの実家はある。親にもユイの両親にもこのことは内密にしている。親はぼくがユイについて関わろうとすることに露骨な嫌悪感を示しているからだ。なのでバレたときにはお咎めなしというわけにはいかないだろうが、しかしよっぽどのことがない限りこれで金輪際ユイとの面会を禁止される、ということはないだろう。なにせ、ぼくは戸籍上では立派にユイの兄なのだから。もちろん実際的にも。
よっぽどのことがなければ。
なにか、異常な事態にユイが陥ってなければ。
……やめよう。
暗くなりがちな思考をストップし、顔をあげた。
窓に映る景色がスライドショーのように次々と切り替わる。視界すべてを埋めるようなだだっ広い田園が都会をはなれたことを主張していた。東京であっても都心から少し離れれば田んぼの一つくらいはあるけれど、ここまで巨大なものはそうそうない。野菜農家の方に感謝して手を合わせた。
風景を眺めるのもほどほどに、弁当の続きにとりかかる。
しょっぱいので、やはり喉が渇く。もう一口、とペットボトルに口を付ける。
「あ」
瞬間、大きな揺れによってぼくはペットボトルの中の液体を盛大にズボンのうえにこぼした。
「あちゃあ」
やってしまった。
タオルは持っているだろうか?
バッグをごそごそと探るものの、タオルどころかハンカチすらない。それどころか、ティッシュの一枚すら持っていなかった。自分の準備不足とうかつさを恥じる。思い立ったが吉日といった旅だったから、と言い訳を施してみるものの、現状への言い訳としては不十分なようだった。
「あの」
声が聞こえたのは突然だった。
「これ、どうぞ」
女性らしい声の持ち主が大きめのハンカチをこちらによこす。ズボンにこぼした水をふき取るには十分な大きさだ。
「どうも」素直に好意を受け取る。「ご親切にありがとうございます」
「いえいえ。困ったときはお互い様ですから」
女性、というかよく見ると少女は、そう言うとぼくの隣の席に座ってきた。自由席とはいえ唐突のことだったのでぼくは面喰ってしまう。
というか、よく見ると少女は本当に少女で、高く見積もっても中学生、下手したら小学生なのではないかと思うほど幼い容姿をしていた。声もまだ若い。自分自身中学生なので言えた義理ではないかもしれないが、なんの用でこの列車に乗っているのだろう? いくら日曜日とはいえ、一人旅をするには女子一人というのはハードルが高い。偏見かもしれないけれど。
そして――ぼくはなぜだか、その声と顔に不思議な既視感を感じていた。なぜだろう? 彼女とは間違いなく初対面のはずなのに、なにか第六感のような器官が懐かしさをぼくに告げていた。
「あ、ご迷惑でしたか?」と少女はぼくに訊く。
「いや、そんなことは」
ないのだが、特にいっしょに行動する理由もなかったので言葉に詰まる。
ハンカチを貸してくれた恩があるとはいえ、なんだろう、これは新手のナンパなのだろうか。
「どちらまで?」
「ええと……次の次の駅までです」
「ああ、いっしょの場所じゃないですか。奇遇ですね」
「そうですね」とぼくは言った。そうですね、としか返しようがない。
「そっけないですね」
「いや、そんなことは」
「だって、ほら、目を合わせてくれない」
「え?」
その通りだった。なんとなく気恥ずかしくて、ぼくは目をそらしていたのだ。というより、向こうの顔が近いのだった。自然と視線が顔から外れる。太陽光に顔をそむけるように、爛漫とした視線から目をそらす。直視できない。
直視できない?
なぜだろう。ぼくはそんなに人見知りをするタイプだったろうか?
「まあ、旅は道連れと言いますし」と少女は言う。「少しお話していきましょう」
「そ、そんな悲劇が二人を分かつとは!」
なんやかんやで旅の目的をかいつまんで説明すると、少女は感動に身を震わせた。
「はー……現代版ロミオとジュリエットここに来たれり」
「その例え、みんな好きだよね」
「え?」
「なんでもない」とぼくは答え、それからそのわけを説明する。「地元のバイト先でも同じことを言われたからさ」
「はーバイトですか。すごいですねー私バイトなんてやってことないですよ」
「そりゃあね」
基本的に中学生がバイトなどできるはずもない。新聞配達などを除いて。
「どんなバイトなんですか?」
「カフェだよ。ちっちゃな町のちゃちなカフェ」
「カフェですか。素敵ですねー」
「そんなに素敵なものでもないよ」
本当に。
「またまたそんな謙遜してー」
「いやこれが本当で、そこのバイト先の先輩がね」とぼくは自分のバイトについて少女に話す。
気づけば会話はじつに自然に、小川の流れのようにサラサラと場を流れていた。それこそ谷崎や藤原さんやユイを相手にしているように。そして、田中さんを相手にするように。
田中さん。懐かしい響きだ。しかし、以前にも心中でとっさに助けを田中さんに求めたことがあったけれど、なぜいまこの場でぼくは彼女について思い出したのだろう?
不思議な感じだった。目の前の少女を相手にしていると、それこそまさに田中さんを相手にしているかのように、ぼくはなんだかたまらなく懐かしい気持ちにさせられるのだ。
「あの」とぼくが声をあげた瞬間、列車のアナウンスが駅への到着を告げた。
「ついたみたいですねー」と少女は晴れやかな表情で言う。「ようやく」
「うん」
「では、私はここで。長々と付き合ってくださって、ありがとうございました」
「え?」
なんというあっけなさ。そっけなさ。初対面でなれなれしく話しかけてきたのが目の前の少女だとはとうてい信じられない言動だった。なにか、理由はわからないがここで彼女と別れてしまうのは惜しい気がする。ぼくは去りゆく後ろ姿に声をかけた。
「あの、よかったら電話番号を」とぼくが言い、
少女は振り返って答える。満面の笑みをその表情に浮かべて。「ナンパはお断りです」
そして、ふたたび声をかける暇もなく少女は雑踏の中に消えていった。
駅のホームを行く。
その最中、脳内を占めていたのは田中さんのことだった。
ユイの唯一の友達。ユイのかけがえのない友達。ぼくの友達。
いつかまた彼女と再会できる日がくれば、きっとそれは幸福なことだ。
ユイにとっても、ぼくにとっても。
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