第17話

「ところでさ、君も気を付けなよ」

 一通りぼくをいじりきった後で、藤原さんがそんなことを言う。

「何にですか?」

「ほら、駅前での事件」

「ああ……」

「物騒だよねー」

「まあ、そうですね」

「君はそんなカワイイ恰好してるんだからさ。狙われても仕方ないよー?」

「いやいや、まさか」ぼくは笑いながら返答する。「それより、藤原さんのほうが気を付けたほうがいいんじゃないですか? ぼくなんかよりよっぽど可愛いでしょう」

「あう」と言って藤原さんは前につんのめる。「あわわわわわ」

「どうしました?」

「君は……唐突にそういう嬉しいことを言いやがって……く、落ち着け私、それはマズい……条例が、条例が私の邪魔をする……ぐぐぐ……」

「いや、そりゃあ男のぼくよりは女性の藤原さんのほうが可愛いでしょう」

「って、そういう意味かーい! ちょっと勘違いしちゃったぜボーイ!」

「あはは」

 わざとです。

「なめとんのかワレ。お?」

「すみません」

 でも散々からかってきたあなたも悪いと思います藤原さん。ごめんなさい。


「店長」

 純情(審議の余地あり)な女子大生の心をもてあそんだ後で、ぼくはマスターにとある交渉を持ち掛けた。それはズバリ、このカフェの閉店間際の深夜まで働かせてほしい、そしてさらにシフトを増やさせてほしい、というものだ。

「いやあ、でもさ」マスターは言う。「君、高校生でしょ?」

 いえ、中学生です。「それはそうなんですが、その……」

 店長は続けて言う。「法律でさー、決まってるんだよね。高校生は深夜帯には働かせられないの」

「そこを……そこをなんとか」

「うーん……」店長はうつむいて悩みこむ。当然だ。「いざという時、責任をかぶるのは俺だからなあ……」

「でも……」なおもぼくは食い下がる。ここで引けはしない。

 沈黙が続いた。それも当然だ。ぼくがマスターに頼んでいるのは、明確な法律違反の行為なのだから。どうあがいたって、ぼくはマスターを責め立てられない。悪いのは十割ぼくなのだから。

「なにか、理由とかあるのかな?」マスターは言う。「そこまでお金が必要な理由がさ……なにかほしいものがあるとか? ギターとか?」

 谷崎にしろマスターにしろ、みんなギター好きですね……。

「ええっと……」ぼくはつばを飲み込む。よし、この質問だ。この質問を待っていたのだ。「理由は申し訳ないことに話せないのですが、例えばですよ。例えば、ぼくが両親と二人の兄妹を持つとして」

「え」

「その安穏とした日々が一機の飛行機事故で奪われてしまったとして」

「は」

「残された自分と妹の二人で慎ましく暮らしているとして」

「えええ」

「それでもダメですか」顔をうつ向かせる。ポーカーフェイスを装う。

 さて、どうなる?

 失敗したときは、その時はその時だ。他のバイトを探せばいい。もっともこんなに好条件なバイト先がまた見つかるとは思えないけど、仕方がない。その分、より長く働かけばいいだけだ。簡単な話である。

 よし。

 覚悟を決め、ぼくは顔をあげてマスターの様子を探った。

 そしてマスターは泣いていた。ウオンウオンと鳴いていた。

「え」思わずぼくは驚きの声をあげ、あわてて口をつぐむ。

「そうか、そうか」マスターがこちらを見る様子がなんだか妙に生暖かい。「わかったよ。いいよ、好きなまで働けばいい。バレたときは俺が責任をすべて取る。だから安心してくれていい。なんなら俺を父親だと思ってくれてもいいぞ。なに、ほら、この胸に思い切り飛び込んでくれたって――」

「ありがとうございます非常に助かります失礼します」

 早口に言ってぼくはその部屋を立ち去った。

「……」

 なんだか妙な感慨を覚えさせてしまったようだが、一応のところはうまくいったようだ。一件落着、といっていいだろう。

「ふう」

 言って……いいよね?

 疲労がどっと押し寄せる。なんだか、疲れる日だったなあ、とぼくは今日という日を振り返る。妹が店に来て、店長は泣いて、藤原さんはうざくて……。

「佐々木君!」

 そんなぼくのしみじみとした回想は、藤原さんの強制的なハグによって中断された。強く強く全身を抱きしめられる。ふわりと香る香水だかなんだか分からない女性特有のにおい。頭がクラクラとしそうなアレ。

「私、お兄ちゃんには慣れないけど――お姉ちゃんだと思ってもいいんだからね。いくらでも

頼ってくれていいんだから。ううう、君はカワイイなあ……」

「いや、はい、その気持ちは嬉しいです。はい。ありがたく受け取りますので、とりあえず離してもらって……」

「ううん離さない。飼う。私が飼うの。妹ちゃん共々私が養ってあげる。だから安心していいんだよ、ううう」

「……どうも」

 ……やっぱり、もう少し別のウソを考えるべきだっただろうか。

 後悔先に立たず。この設定で、この先何年もやっていかなければいけないらしい。

 とにかく、余計な副詞は省いて述べさせてもらおう。端的に、ぼくはあきらめた。

 とにかくがんばろう。うん。


 その日のバイト終わり、「デート行こうぜー」と藤原さんが言った。ちょうど夜の十時ごろだった。高校生が働けるギリギリの時間。明日からはさらに長時間働くことになるのだけど。

 ぼくは反射的に身構え、こう返した。「お断りします」

「なんでさ!」

「妹が待ってるので」

「なんだよーいいじゃんかよーお姉さんと遊ぼうぜ」

「淫行で捕まりますよ」

「あ、それを言われるとマジで心がペインフルなので勘弁してください……」

 口調が普通だった。

 藤原さんはめげずに言う。「ま、デートってのは冗談でね。ほら、佐々木君って夕ご飯はいつもバイト帰りに食べるでしょ? それに付き合わせてよって話」

「ああ、まあ、それならいいですけど」

「やったあ」

「でも、ラーメン屋ですよ? 女性って多少抵抗あるものじゃないんですか? 入りづらかったりしません?」

「くくく、私がその程度で憶する繊細なか弱きハートの持ち主だとお思いかい?」

「それもそうですね」

「あ、そこはちょっと否定してほしかった……乙女的に」

「どっちですか。めんどくさいですね乙女心」

「あ、めんどくさいって言われるのはちょっとポイント高め。やっぱり乙女はめんどくさくてナンボっていうか? 乙女心は秋の空っていうか?」

 めんどくさい……。


 そういうわけで、藤原さんと二人ラーメン屋にやってくる。

「なに食べますか?」とぼくは訊く。

「んー。普通のラーメンで」

「いいですね。ぼく的にもこの店はそれが一番おすすめですよ」と言ってぼくは店主に話しかける。「すいません、ラーメン二つ。ひとつ背油多めで」

「あ、もう一個もアブラ多めでー」と藤原さんが隣から言う。

「おお、やりますね。アブラ多めにも臆さないその度胸」

「ふふん」

「カロリーとか女性的に怖くないんですか?」

「背油はプルプルだから実質ゼロカロリー」

「なんですかその謎理論……」

 注文も済んだので二人で歓談を楽しんでいると、藤原さんが「そういえば」と唐突に話題をはさみこんでくる。

「この間お店に来た佐々木君の妹ちゃんさー」

「はい」

「ぶっちゃけ、佐々木君に似てなくない?」

「んぐごっ」水を吹き出しそうになるのを豚みたいな鳴き声で押しとめる。

「ちょ、落ち着いて落ち着いて。何も血のつながってない妹なんじゃ? なんて訊いたわけじゃあるまいし」

「あわわわわ」

 なんだなんだ。なんだこの洞察力。やはり女性の感というやつなのだろうか。

「お? その反応……」

「……」ぼくはなにも答えない。

「ははーん。やぶへびってわけだ。こりゃあ思わぬ副産物。私は単にお母さんに似たのかなー? って訊こうとしただけなんだけどね」

「まあ……そうですよ。事情はいろいろ複雑なんで説明が面倒なんですが……」

「ああ、いいよいいよ。そういうドロドロした事情とか興味ないから。それより義妹シチュのほうに私は萌えるね。燃えるね」

「なんですかそれ……普通ですよ。ただの兄妹です。なんの変哲もないノーマルな兄妹です。それだけです」

「でもやっぱり数年前は他人同士だったわけで? やっぱり不純な関係を想像しちゃったり? たりたり?」

「するわけないでしょう。なんか気持ち悪いですよ、藤原さん」とぼくは心から言った。当たり前だ。兄妹同士でそんなおかしな想像をするなんて異常だ。

「ぐっ。今の気持ち悪いは結構効いたぜ……」

「第一、ユイはまだ小六ですよ。それじゃぼくシスコンのロリコンじゃないですか。二重苦で罪深すぎますよ、そんなの」

「でも君だって三年前は小学六年だったわけじゃん」

「それとこれとは別で……え?」

 ぼくは自分の耳を疑った。三年前は、小学六年生? ちょっと待て。ぼくは高校一年生だと藤原さんは認識しているはずだ。だとすれば三年前というのは中学一年生を指すはずで――つまり、どういうことだ?

「あ、やべ」藤原さんが声をもらす。「いっけない、秘密にしてるんだった」

「あの……もしかして」

「うん。気づいてたよ。君、中学生でしょ?」

「マジですか……」

「いや、マジですかは私のセリフなんだけどね。私も確証があったわけじゃないけど、いまの君の反応で確信したって感じだし」

 ということは、ぼくは今日二度目のやぶへびを突いてしまったということだ。

「ええと……いったいどこで気が付いて?」

「どこでっていうか、普通に君が下校してる姿をチラッとね」

「ああ」

 それもそうだ。いくらお店が学校から離れたところにあるといっても、藤原さんまでもが遠くに住んでいるというわけではない。そんな初歩的なことに今まで気が付かなかったなんて、ぼくはとんだ間抜けだ。

「あの……藤原さん。このことは」

「うん。マスターには秘密にしておくから」

「ありがとうございます」

 ぼくは深く頭を下げて感謝した。ありがとうございます藤原さん。

「ふふん。お礼に私と付き合ってくれてもいいんだぜ」

「いえそれはちょっと」

「あっそう……」

 その後、出来上がったラーメンを二人で食べ、帰路の途中までを一緒に帰った。会話は弾んだけれど妙に藤原さんが気落ちしているのでぼくとしてはどうにもやりにくかった。いや、だってあなた成人してるでしょう……。

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