第7話

 翌々日、ぼくたちは遊園地の入場ゲート前にいる。ぼくと、ユイと、田中さんの三人。

「大人一人と……」という受付の声。

 ぼくは答える。「子供二人」

 決してお安くない一日フリーチケットを受け取り、ぼくたちはその廃れた遊園地に足を踏み入れた。風に乗って乗客の悲鳴が聞こえる。

 なぜ遊園地に? それには、ある極秘計画が関わっている。

「ユイさんユイさん」と田中さんは歓喜の色をおびた声をあげる。「ジェットコースター乗りましょう、ジェットコースター!」

 とはしゃぐ彼女、田中さんがこの『超、仲直り計画』の立役者であり、実行犯であり、そして共犯者だ。片一方はもちろんぼくである。

 そして、肝心の計画の内容はこうだ。ぼくはポケットに突っ込んだメモ帳の切れ端を取り出す。


『第一回 超仲直り計画スケジュール表』


 超いい感じに遊園地を楽しむ。

 めちゃいい感じに和やかな空気を作る。

 暗くなってきたころ、バリいい雰囲気で先日のことを謝罪。

 ザッツグレート。


 と、こういう塩梅である。

 ……いや、待ってほしい。このずさんな案について、ぼくを責めるのは筋違いってものだ。

 だって、これを言い出したのは、ぼくではなく田中さんなのだから。

 ぼくは無言で田中さんに講義の視線を送った。

(いや、無理)

 対して、田中さんはアイコンタクトでこう返してくる。

(いける! いけますって! 人間、いざとなればやれないことはありませんから!)

 ぼくはひっそりとため息をつく。

 何がどう転んだら、こんな展開に行き着くのだろうか?

 昨日のことをぼくは振り返った。

 朝、ベッドの上でぼくは傷心した心を慰めていた。カーテンからもれる光がいやに目にしみた。テレビの音がやかましい。なぜなら傷ついたぼくの心はあーだこーだ……というわけではなく、単純に寝ていないからである。体調不良。

 一晩を使ってぼくは仲直りのために色々な案を練っていた。

 一つ目。普通にあやまる。

 二つ目。時間に任せる。

 三つ目。遊びに連れ出す。

 たった三つだけ。そしていずれも却下。

 理由を述べていこう。

 まず、一つ目に関しては、単純にぼくに勇気がないからだ。ああ、ぼくを意気地なしだといくらでも煽ってくれ。でも、無理なものは無理だ。

 二つ目は、時間に任せるのはあまりに無責任極まりないと思うからだ。たぶん、時間を重ねれば自然に昨日の出来事は風化していき、いつしか元のような状態には戻るだろう。でも、それは一度着火した火をそのままにしておくようなものだ。すべてを燃やし尽くしていつしか火は収まるが、そこには燃えカスが残る。火事の禍根はいつまでも残っている。煙を燻らせながら……そして、それはいつ何時また燃えだすか分からない。火種は徹底的に消さなくちゃいけない。

 そして三つ目は、ユイは明らかにアウトドア派ではないからだ。カヌーで川下りなどしよう日には、彼女の細腕はポキリと折れてしまうに違いない。それは言い過ぎな例えだけれど、ユイが外をあまり好まないという点だけはたしかだ。無理に連れ出そうものなら、余計に機嫌を損ねる可能性すらあり得る。ユイに限ってそれは無いだろうか? しかし、万が一ということもある。

 ……仕方がない。ぼくは思考をストップさせる。もはや、自分の力のみでは解決の糸口は見つかりそうにない。携帯電話を手にとり、連絡帳をスクロールして、ぼくはとある男の名前をタップする。

 コール音が物寂しい部屋に鳴り響いた。

 テルを片手に持って待っていると、「はい」と声がして、その声の持ち主は谷崎という名前をしている。谷崎はぼくと同じクラスで、ぼくの友人で、普通の中学生で、そして三つ年の離れた弟を持っている。今回の件の相談役としては、まさにうってつけというわけだ。

「よくぞ出てくれた」とぼくは言った。やはり持つべきは友だ。友情にバンザイ。「ちょっと長くなりそうなんだけど、だいじょうぶ?」

「別にいいよ。休日だってのに予定も何もなくて、ちょうど暇していたところだしな」

「おっけー」

 そして、ぼくはあれこれと諸般の事情を説明し、彼の返答を待った。

 静寂の中、カチコチと時計だけが秒数を刻む。ワン、ツー、スリー。

 ついに谷崎は口を開いた。「まず、おまえは妹だな?」

「いや、ぼくは男なんだけど……」

「そうじゃなくて、妹を持ってるのかって訊いてるんだ」と谷崎は言う。「持ってるって、あれだぞ。所有してるって意味じゃなくて、英語のhaveの方だからな」

「アイハブアシスター」

「リアリー?」

「イェア」

「オーイェ」

 イングリッシュ・バイ・ミドルスクール・スチューデンツ。ぼくたちは語学堪能だ。

「それでだ、谷崎」とぼくは切り出した。「君の回答を訊かせてくれ」

「回答……回答ね、うん」

「もったいぶるなよ」

「色々考えたけど、思いつかん。普通にあやまるのが一番いいんじゃないか」

 それは一つ目ですでに検討済みだ。「別の案を」

「ううん」と谷崎はうなる。「まず、俺らは喧嘩とかしないからなあ……」

「一度も?」

「そうだな」

「……」

 ぼくは言葉もなく黙りつくす。

「いや、待て」電話越しに谷崎が膝を打つのが聞こえた。「後にも先にも一回だけ、とんでもないのがあった」

「詳しく」ぼくはつり堀のザリガニのような勢いでその言葉に食いついた。

「長くなるんだが、まずだな……」

「いや、そういうのいいから、結論を」

 語尾をとらえれれ、谷崎はいささかつんのめる。「……まあ、なんやかんやあって、自然に解決したんだよ」

「なんやかんやって何なのさ?」

「時間が経って、どうでもよくなったんだよ。時間が解決したってわけだ。お前もそれでいいんじゃないか? へんにあれこれ動くよりもさ」

 それも二つ目で検討済みだ。「いや、無理。このまま二日も三日も過ごせないし、過ごしたくない」

「放置しておくのが最適解だと思うんだけどなあ」

「で、他には?」

「他には、って」と谷崎は悩みこむ。「……いや、待て」

 ぼくは黙って谷崎の言葉を待った。

 谷崎は言った。「名案を思いついた。天地をひっくり返すような名案だ!」

「おお!」ぼくは快哉をさけんだ。さすが谷崎だ。「それで、その名案っていうのは?」

「タダというわけにはいかないな」

 ぼくは舌打ちする。「守銭奴め」

「なんとでも言え……学食のパン二つでどうだ」と谷崎が言う。

 ぼくはしばし逡巡する。二つは、少しばかり高い。「……一つでどうだ」

「まあ、よしとする」

 ほっと一息。やはり谷崎だ。優しさも兼ね備えている。さすが谷崎だ。

「それで、名案って」とぼくは彼をせっつく。

「ふふん。聞いておどろけ」

 これは期待が持てそうだ。無意識にぼくの体は前傾姿勢をとる。

 ドドドドド……と脳内でドラムロールが始まった。

 しだいにその速度は速まっていき、ぼくの脈拍もそれに呼応するかのように高鳴っていき、脳内観客のボルテージは頂点へと達する。刹那、却下された三つ目の考えが脳裏をよぎる。遊びに連れ出す。いやいや、まさか。

 そして導き出される答え。

 ジャン!「遊びに連れて行く、というのはどうだ」

「なるほど」

 ぼくは電話を切った。何が谷崎だ。使えないやつめ。


 ……待てよ?

 谷崎との電話を終え、麦茶を飲みながら、ぼくは大事なことを思い落としていたことに気がつく。

 ユイの機嫌をとり、仲直りするためには、ユイにくわしい人物でなければいけない。でないと、先ほどの谷崎のような当たり障りのない答えしか返ってこないのは当然の帰結だ。

 であるなら、まさに適任がいるじゃないか。

 ぼくはふたたび電話をとった。


 トゥルル、と電話がなって、一回目のコール音で田中さんは電話をとる。

「はい。田中です」と田中さんは言った。

「ぼくだけど」

「どなたで?」

「ユイの兄です」

「ユイさんの!」

 という言葉を皮切りにして、電話越しの田中さんの声がワンオクターブ跳ね上がる。

「それで、どういったご用件で?」と田中さんが訊ねてきて、ぼくは事のいきさつを話す。赤裸々に、余すところなく、しんしんと。ぼくの不配慮さと、それがもたらした最悪の結果について説明する。

「なるほどなるほど」と田中さんは電話越しにうなずく(と予想される)。「なるほどです」

「それでさ、ぼくってどうしたらいいと思う?」

「どう、とは?」

「だからさ、仲直りのために……」

「そんなの」と言って田中さんは言葉を切る。「時間に任せるのが一番じゃないですか?」

 ぼくはがっくりと首をうなだれた。違う。そうじゃないんだ。現在なんだ。今すぐなんだよ。今、この瞬間にぼくは心から仲直りを求めているんだ。

 そして、ぼくの沈黙から何かを感じ取ったのか、田中さんはこう言う。「では、こうしましょう」

「こうって?」

「ふふふ。お兄さん、ここはぜひわたしに任せてください」と田中さんは言う。「そんなちゃちな問題、わたしがばっちり解決に導いてご覧に入れましょう」

 ピコーン、とぼくは福音を受けたかのような気分だった。

 ぼくはさけぶ。「任した!」


 そして、今である。

 遊びに連れ出すアゲイン。三度目の正直ならずだ。

 谷崎といい、田中さんといい、ぼくといい、なぜこうも凡庸なアイデアしか発送できないのか。なぜ革新的なアイデアは浮かんでこないのか。なぜこうもぼくは情けないのか。深く、深く、ぼくは頭を垂れてうなだれた。研究に行き詰まった科学者のような気分だった。

 ぼくは計画表をもう一度眺めやってみる。


『第一回 超仲直り計画スケジュール表』


 超いい感じに遊園地を楽しむ。

 めちゃいい感じに和やかな空気を作る。

 暗くなってきたころ、バリいい雰囲気で先日のことを謝罪。

 ザッツグレート。


 色々言いたいことはあるが、まず、いい感じってなんだ、とぼくは思う。いい感じって。どういう感じだ。どういう漢字を書くんだ。ぼくはどうすればいいんだ。

「遊びに連れ出すのはどうでしょう!」と田中さんが元気よく宣言したときのぼくの消沈した心を想像してみてほしい。だが、これでは堂々巡りだ。そう考え、ぼくはその案を飲むことにした。

 そして飲んだ結果がこの計画表である。

「それでは行きましょう!」と田中さんが宣言して、ぼくたちは移動を始める。

 どうなることやら。

 暗雲立ち込める空気の中、ぼくは左足を一歩だけ前進させた。

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