第48話
「間に合ったかい?」
ミナガワ先輩の物言いは、鼻歌まじりでさえあった。
「間に合った」とは、何をもっての「間に合った」なのだろう。ぼくは手酷くボコボコにされて、リオはギリギリで助かった。
「間に合いました」
「そっか」
「先輩はどうしてここに?」
「言ったろう。大人の鼻を明かすって」
「えっと、どうしてここが」
「ま、色々ね」
「じゃああの人たちは?」
「ゴシップ記者、フリーライター、ユーチューバー、その他暇な人々」
「どうやってこんな大勢の人たちを……」
「コネだよコネ」
コネ。どこかで聞いた響きだ。
あれは確か、『マトリョーシカ』で聞いたはず――
「今回だけだからな」
言いながらやって来たのは、『乱視ゼロコンマ』中田先輩だった。
「血が出てるじゃないか」
中田先輩は心配そうに眉を寄せる。その反応にはむしろ新鮮にさえ思った。
「誰だお前たち!」
どこかで怒鳴り声がした。
そちらを見ると、高崎と端正な男が、大勢に囲まれて狼狽している。全員がそれぞれ、カメラやスマホのレンズを向けていた。
記者やユーチューバー。
なるほど、鼻を明かすとは、高崎の所業を白日のもとに曝すということか。
「おおーこの人が高崎浩司ですね。例の、枕営業を強要したとかいう」
大勢の中の1人が、喉奥から絞り出すような声で言った。
スマホを高く掲げる彼は、生配信をしているようだ。
端正な顔立ちの男が、「撮るな、撮るな」と拳を振り回している。その様を見て、生配信の男は「ハハハ、キレてるキレてる」と声を弾ませた。
「撮るなっつってんだよ!」
端正な顔の男が激昂した。拳を振りかざしたと思った次の瞬間には、生配信の男のカメラを叩き起こしている。
群衆が湧いた。「うわあ」とか「おおい」とか、意味のない鳴き声もあったが、「ああ殴った」「やってるよこれ」とか、明らかな侮蔑や嘲りを孕む響きもある。
そんなことよりも――
「リオ!」
人ごみを掻き分けて、ベッドの上のリオに駆け寄る。
彼女は下着姿のまま、服で身体を覆い隠していた。上着を脱いで掛けてやりながら、グッと抱き寄せる。微かに震えていて、目はぐっしょりと潤んでいた。
「大丈夫?」
静かに訊ねると、胸元で頭が上下するのを感じる。腕に力を込めたまま、事の成り行きを見守ることにした。
大勢の視線とレンズに晒されて、高崎と男がたじろいでいる。
群衆の中の誰かが、須長さんを押し出して、共に好奇の対象に祀り上げられる。フラッシュが焚かれて、シャッター音が続く。「彼らが枕営業を強要したとかいう連中です」と、解説し続ける声がする。
「そういえば宮本アスカは?」
カメラを構える1人の男が口にした。いちど彼が気付くと、たちまち全員が「たしかにいない」とキョロキョロし始める。
「いねえよそんなの!」
高崎の叫び声がした。
「宮本アスカはここにいない!」
「じゃあどこにいるんですか?」
「知らねえよ!」
「じゃあどこにいるんですか?」
同じ疑問が、今度はミナガワ先輩にぶつけられた。
「さあ?」
先輩はいけしゃしゃあと首を傾げた。両手を広げて肩をすくめて、大袈裟過ぎるくらいのジェスチャーだ。
たちまち落胆の声が上がり、チラホラと怒声になっていく。「ふざけんな!」をまばらに受け止めながら、しかしミナガワ先輩は飄々とした態度を崩さない。
「宮本アスカまだ?」
彼が疑問を投げた先は、間の抜けた表情で頬を掻く中田先輩だった。
「僕に聞くなよ」
「だって――」
至極真っ当な中田先輩に、ミナガワ先輩が反論しかけたそのとき、また新たな人物が姿を現した。
宮本アスカだ。
「お待たせしました!」
わずかに息を切らしながら、宮本アスカは駆けこんで来る。デニムパンツにロングシャツと、かなりラフな出で立ちをしていた。
「やっと来た」
「ごめんなさい……」
「枕営業したっていうのは本当ですか?」
彼女を謝罪を遮る問いと共に、ボイスレコーダーが向けられる。握っている腕は、太くて毛深い。顔が見たいが、人ごみに紛れている。
「え、えっと」
「嘘だ!」
高崎が咄嗟に否定した。
「あなたには聞いてません」
「黙れ! 枕営業なんて俺はしてねえよ!」
「私は、あなたがしているなんて、一言も言ってません」
「どうせ俺のことだろう!」
「それで、実際はどうなんですか?」
「してねえよ!」
一心不乱に否定し続ける高崎に、我慢ならなくなるのは記者やユーチューバーたちだった。
彼らは「黙れ、黙れ」と連呼しながら、一斉に高崎へ詰め寄る。鈍い音がして、誰かが誰かを殴ったのだと思った。
「ざけんなおい!」
端正な顔立ちが怒鳴って、立て続けにゴン、ゴン、ゴンと音がする。
それがチャイムのようになって、人々が一斉に湧き立った。実際に起きた出来事と言えば、怒声が飛び交う乱闘騒ぎと、それに歓喜しながらの撮影なのだが、この瞬間の彼らはたしかに湧き立っていた。
リオが服を着たのを確認して、ベッドからこっそり這い出る。
人だかりから外れると、ケンジとサキノが人目をはばからず抱き合っている。傍らには、微笑みを浮かべるミナガワ先輩と、気まずそうな表情の中田先輩が立っている。さらにその隣には、困惑気味に笑う宮本アスカがいる。
「どこ行ってたの?」
ぼくはあえてケンジの肩を掴んで言った。
「怒るなよ。学園祭の用事があったのは本当だぜ?」
「これと学園祭と、どっちが大事なんだよ」
「仕事と私だったら答えられないけどな」
「どっち?」
「どっちも大事。ミナガワ先輩と合流するの、待ってたんだよ」
「合流を待ってた?」
「私がね、ケンジくんと電話繋いでたの」
話を引き継ぐのは、サキノだった。
「ホテル入る前に、ケンジくんに電話繋いでて。こっちで何が起こってるか、全部教えてたの。場所とかも全部」
「それと、ミナガワ先輩と、どう繋がるわけ?」
「私、キャンパスに戻ってから先輩のとこに行ったの。本当にマズいから、助けてって」
「僕は元々いつか仕掛けるつもりだったよ」
今度はミナガワ先輩が口を開いた。
「それが今日だったってだけ」
「だけ……って。これだけの人数を1日で?」
「世の中意外と暇な人が多いでしょ。さすがにタレントは暇じゃなかったけどね。来てくれたのはラッキーだったよ」
言いながら、先輩は宮本アスカに目を向けた。
彼女は簡潔な笑みを浮かべて「たまたま空いてて」と簡潔に告げる。
要するに、ミナガワ先輩は『マトリョシカ』で話した瞬間から、こういう算段を立てていたのだ。それを実行するタイミングを窺っていたところで、サキノが好機を差し出したのだ。
出遅れたケンジがミナガワ先輩を待っていたのは、サキノからの情報に応じてぼくらを助けるためだったのだろう。きっと、ミナガワ先輩が手立てを揃えていることは、あらかじめサキノから聞いていたに違いない。
当然の判断だと思った。ケンジにこの状況を逆転できる手立てがあるとは思えない。
「むしろさ」
不意にミナガワ先輩が言った。
「リオくんらは、どうするつもりだったの?」
そういえばぼくらはどうするつもりだったのだろう。
考えてから、
「ボコボコにされるなんて、考えてもなかったです」
正直に答えると、ミナガワ先輩は声を上げて笑った。
「それは俺も同じだよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます