第47話

「なんのつもりですか?」


 臆病を一切感じさせない、強気に訊ねる声があった。サキノだろうと思ったが、ふらつく頭ではいまいち分かり切らない。


「何がだい?」


 答える高崎からは、穏やかな雰囲気さえ感じた。


「須長さん!」

「何って、仕事だけど?」


 須長さんも穏やかな口ぶりだ。だけど、高崎ほどの余裕は感じられない。ぼくらへの軽蔑が、如実に出ている。


「こんなのが仕事なんですか?」

「そうだよ」

「世の中には色んな仕事があるんだよ。調子に乗ったガキを黙らせる仕事があっても、不思議じゃないだろう?」

「最低ですね」


 サキノの悪態に、高崎は鼻を鳴らすばかりだった。


「生意気なことを言うんだねえ」


 ねっとりとした口調で高崎が言うと、まるでスイッチを押されたみたいに、端正な顔立ちの男が飛び出して行った。

 何をするのか、と思った矢先、飛び出した勢いのままにサキノを突き飛ばした。


 サキノは玄関口まで吹っ飛ばされて、フローリングに頭を打ち付ける。後頭部を押さえて呻きながら、ジッとうずくまった。


「うるさい女だなあ」


 こんなときに浴びせる罵声でも、高崎の口調は依然として穏やかだった。


「女は若い内しか価値ないのに。威勢のいい根暗なブスって、一番頭にくるんだよ。ねえ?」


 言いながら、高崎は須長さんに目を向けた。

 須長さんは静かに笑いながら、「いえいえ」と曖昧な否定を述べる。彼女もかつて、根暗なブスだったのだろうか。高崎と結託してぼくらを嵌めたのだから、少なくとも根暗なのかもしれないと思った。

 根暗というか、陰湿というか。


「宮本アスカは、どうしたんですか?」

「いないよ、そんなの」

「普通に別の仕事してるよ。撮影中のタレントに、男と寝る余裕あるわけないじゃん」


 平然と言い放つ高崎に、須長さんが補足を加えた。


「嘘だったんですね……。枕営業って言うのも」


 悔し気な声で言うのはリオだった。


「いいや?」

「え?」

「枕営業って、僕とヤったってことだろう。それは本当だよ」


 答える高崎は、目を細めて顎をさすった。まるで昔を懐かしむかのような穏当さで、宮本アスカを汚した罪悪感とは無縁のようだ。


「あいつ、顔はまあまあだけどなあ。身体の方がイマイチで……」


 ふと、高崎が口を閉ざした。

 怪訝に思って視線を上げると、剣幕のリオが詰め寄っていくところだった。


「ダメだよっ――」


 サキノの制止も振り切って、リオがぐんぐん進んで行く。激情に身を任せて高崎に迫るリオ――その体を、端正な顔立ちの男がベッドに押し倒した。

 まるで野鳥のような、甲高い悲鳴が轟いた。押し倒されたリオの口から出ているとは、咄嗟に分からなかった。


「リオ!」


 叫びながら立ち上がる。

 目の前で、リオが足をジタバタ動かしている。その身体を、男が抑え付けている。

 そして高崎が、ジャケットを脱いでベルトを外している。


「何してんだよ!」


 精一杯怒鳴りながら、高崎に飛び付こうとした。

 しかし咄嗟に動き出した男が、ぼくの顔面を思い切り殴りつけた。衝撃をもろに食らったぼくは、文字通り視界が暗転した。

 目を開けようとしても、瞼が重たい。少ししか持ち上がらなくて、視界は朧げにしか見えなかった。


 霞む視界の中で、高崎がカチャカチャとベルトを外す音だけが鳴っていた。


「お前らクソガキはさあ!」


 高崎が大声を出す。


「なあんも出来ねえくせに、俺たちみたいな大人に立て突こうとするんだよお! それがムカつくんだよなあ!」


 鈍い音がした。なんの音か分からなかった。

 その後で、ゆっくりと呻き声がした。リオの声だ。

 リオが殴られたのだ。


 悔しかった。リオが殴られて、呻いているのに、動き出せない自分に苛立った。 

 苛立ちながらも、全身が痛んで視界が明滅して頭が覚束なくて、一向に動き出せなかった。


「せめてセックスくらい覚えとけよ」


 おぞましい口振りの高崎。


 悔しさのあまり涙が流れる。耳がグッと熱くなる。

 全身がガタガタと痙攣し始めたそのとき、扉がコツコツとノックされた。


「誰だ?」

「見てみます」


 高崎が訝しむと、須長さんが玄関口へ向かって行った。玄関ではサキノが倒れているので、彼女を踏み越えて行ったのかもしれないが、正確なところは分からない。


 しばらく沈黙が続いた。

 ぼくも、下着姿の高崎も、端正な顔立ちの男も、ベッドに押し倒されたリオも、誰も何も言わない。

 須長さんの出方を、静かに待った。


 やがて、


「失礼しまぁーす!」


 高らかな声と共に、ケンジが姿を現した。

 意気揚々と、飄々と、仄かに笑顔すら浮かべている。室内をぐるりと見回して、ふむふむと頷いて、目を見開いて言った。


「宮本アスカは?」

「いないよ」


 高崎が答える。相変わらず穏やかな口調だ。


「なぁーんだ。で、あんたが高崎浩司?」

「そうだよ」

「小物臭い顔してんな」

「喋りすぎだ」


 ケンジの言葉を遮るように、端正な顔立ちの男が口を開いた。彼の声を聞くのは初めてだった。

 容貌と違わない、爽やかな声をしている。


「あんたは?」


 臆せずケンジが訊ねるが、応じるような男ではない。足音ひとつ立てないで、健司へ詰め寄って行く。


「じゃあさ、サキノを殴ったのもあんた?」


 ケンジはなおも問い掛ける。

 おや、と思った。どうしてケンジは、サキノが殴られたことを知っているのだろう。玄関口でうずくまっているだけで、殴られたとは誰も言っていない。

 玄関の方で、須長さんが何やら喚いている。しかしよく聞き取れない。


 男は黙って、ケンジの顔面を殴りつけた。反射的に顔を背けたので、威力は殺せたらしい。

 痛ってな! と言い返す余裕はあるらしい。唾を飛ばして叫ぶケンジの頬を、男は立て続けに殴った。

 攻撃を食らいながらも、ケンジは拳を握って男の腹に放った。しかし、ぺチンと間抜けな音を立てるばかりで、満足にダメージは入らなかったらしい。


「なんだそれ」


 爽やかな声で侮蔑を言い放つ。

 ケンジが何か反応をするよりもずっと早く、男が拳を振るった。ケンジの腹を捉えたパンチは、彼をカクンとくの字に折り曲げさせた。


 鳩尾を押さえて床に倒れたケンジは、顔を上げて、玄関口の方へ目を向けた。

 須長さんが、何やら喚いている玄関口だ。何を言っているか分からなかった、彼女の声が、段々とはっきりしてきた。


「……ですかあなたたちは。なんですか、あなたたちは! 誰なんですか!?」

「誰だ!」


 声を荒げて高崎が玄関口へ向かった。そのとき、須長さんがひと際大きな声で


「ちょっと、開けないでよ!」


 声がしたと同時、鍵の開く音がした。

 途端にどしどしどしと、大勢が歩く足音がする。


 何が起きているんだ、と怪訝に思って、顔を上げた。

 玄関口から逃れるように、高崎が部屋に逃れてくる。その後を追って、大勢の見知らぬ人々がなだれ込んできた。


 全員が、何かしら口にしていた。

 おおむね2種類だった。


「お前が高崎浩司だな!?」

「宮本アスカを撮れ!」


 怒号のひしめく中で、誰かがぼくの手を引いて立ち上がらせた。


「大丈夫かい、リオくん? 酷くやられたなあ」


 まるで心配していない口ぶちで、ともすれば愉快気な響きさえ滲ませながら、ミナガワ先輩はニヤリと笑う。

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