第46話

 エントランスから中に入る。

 受付から声を掛けられそうになったが、須長さんが素早く駆け寄って何かしら話し込んでいた。


「大丈夫です。行きましょう」


 戻って来た須長さんに促されて、ぼくらはエレベーターに乗り込んだ。

 ホテルは5階建て。向かうのもは5階、つまり最上階である。


「高崎はそこにいます」


 エレベーターの中で、須長さんが言った。


「どうせならもっといいホテルに行けばいいのに」


 出し抜けに言うのは、それまでずっとスマホを操作していたサキノだった。

 スマホを慎重に尻ポケットへしまいながら、しかし言葉は飄々としている。挑発するかのようであった。


「そういうところは、常に誰かが張ってるので」


 須長さんが、サキノの嘲るような物言いに反論する。

 ふぅーん、とサキノは興味なさげに答えて、フンフンとわざとらしく鼻歌を歌い出した。

 エレベーター内はしばらく鼻歌だけが流れたが、それも長くは続かない。


 5階に辿り着くと、ガコガコと扉が開いた。

 須長さんが「こっちです」と、ぼくらを先導する。いちいち丁寧に何か言うのは恐縮してるからだろうか、と須長さんの緩む口元を眺めた。


「こんな感じなんだ」


 隣でリオが漏らしたので、ぼくもそちらに目を向ける。

 まだ、ぼくらはラブホテルに行ったことがない。内装を見るのは初めてなのだ。


 質素でも古くもない、むしろ綺麗で豪華なインテリアである。廊下にはカーペットが敷かれていて、壁紙は滑らかなクリーム色。ところどころに、絵が飾られている。

 所狭しと並ぶ部屋の扉は、落ち着いた深い紅色で、端に金色のドアノブが顔を出している。

 内装だけを見れば、高級ホテルと言われても納得してしまいそうだった。


 廊下の隅々を眺めながら、自分の冷静さに驚く。

 正確に言えば、冷静なのではなく、冷静に頭を働かせることで冷静であると錯覚したいのだ。

 ふと胸に手を当てる。心臓がバクバクと脈打っている。やはり緊張しているのだ。


 やがて須長さんが立ち止まる。一番奥の部屋の、落ち着いた紅色の扉の前だ。


「ここです」


 彼女は、やはり丁寧に告げた。口角が上がっていて、緊張するとニヤけるタイプなのだと思った。

 須長さんの目配せに、ぼくらはゆっくりと頷いて答える。


 ゆっくりと扉が開かれる。

 物音ひとつしないまま、玄関口が姿を表す。電気が消えていて、中の様子は良く見えない。


 ぼくが先頭に立って、おそるおそる入って行く。背後で誰かがついて来る。背中に手のひらの感触があって、リオだと思った。その後にサキノ、須長さんと続くのだ。

 やがてメインルームに踏み入りながら、そういえなケンジは来な――


 横から強い衝撃を食らって、ぼくは無様に倒れた。


「こいつらで全員か?」


 頭の上で、聞き覚えのある声がした。高崎だ、と思うと同時に、今度は顔面に衝撃が飛んできた。後頭部を壁に打ち付けて、視界が真っ白に眩んだ。

 痛みが迸って、全身が一気に熱くなる。眩む視界に血が飛んで、鼻血が出ているのだと分かった。


「まだ1人います」


 背後で誰かが答えた。いや、誰かではない。さっきまでの恐縮が消えて、図太い大声に変わったから、分からなかっただけだ。


「そいつも連れて来い、須長」


 反転する視界の向こうで高崎が言う。憎たらしいくらいツヤツヤの革靴が目に入った


「はい」


 須長さんの機敏な返事がした。

 

「グルだったんですか?」


 訊ねる声はサキノだ。こんな状況でも毅然さを失ってなくて、それが頼もしい。

 頼もしい、と思った自分が情けなかった。


 そういえば、リオはどうしているだろう。ふと見上げると、照明にさらされて黒い影と化したリオの顎が見えた。

 顔色までは分からないが、恐怖に打ちひしがれているに違いない。


「グルだったんですよー」


 須長さんが、さっきとはまるで別人の明るい声色で答える。ぼくらを心から馬鹿にした、軽蔑の響きも含んでいた。

 カッと全身に血が巡り、あっという間に怒りが満ちていく。


「ふざけんな!」


 身を起こしながら怒鳴り付けたぼくの、がら空きの脇腹が蹴り付けられる。

 上体がグニャリと曲がる感覚がした。吹っ飛ばされたぼくは、壁際の棚に激突して止まる。


 空気を取り込もうと必死に喘ぎながら、おそるおそる目を向ける。ぼくはまだ、部屋の中をきちんと見ていない。

 真ん中に大きなベッドがあって、足元に高崎浩司が立っている。陰湿なニタニタ笑いを浮かべているのが、憎らしい。


 それともう1人、見知らぬ男がいる。高崎から距離を置いて、ぼくの足元に立っている。

 長袖のTシャツにデニムパンツを履いた、端正な顔立ちの男だった。

 端正な顔立ち、と思った自分にムカついた。とにかくムカつき過ぎて、誰に当たり散らせばいいのか分からなかった。


 目に入ったのが、その端正な男だった。咄嗟に起き上がって、殴り掛かる。

 ぼくの放った渾身の拳は、男が片手であっさりと受け止めた。手を掴まれたぼくは成す術もない。反射的にお腹を庇った腕ごと、力いっぱい殴りつけられた。


 悲鳴も上がらない。呼吸が止まる。その場に倒れ伏す。必死に呼吸を繰り返すが、酸素の入って来る気配がない。肩が上下するたびに肺が痛んだ。頬の生温い液体の感触があって、涎を垂らしているのだと分かった。

 

「リオくん!」


 リオの声が聞こえた。同時に、高崎の笑い声がした。


「なんだよそのパンチ。彼女の前でダッサイなあ」


 高崎の罵倒を聞きながら、そういえば宮本アスカはどこなのだろう、と思った。

 いや、そんなことはどうでもいい。腕と腹と頭が激痛を発して、余計なことを考えている場合ではない。何より、これをリオに見られていると思うと、堪らなかった。

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