第45話
夜になって、ぼくらは再集合した。上野からひと駅、というより徒歩15分くらい。鶯谷だ。
駅前に降り立ったぼくらは、鬱蒼と茂る墓場と、ネオンの光るホテル街に挟まれている。
「ホテルと墓場だけの街」
そう言って笑うのは、サキノだった。
「ケンジはどうしたの?」
「分かんない。遅れるかも、って言ってたけど」
「こんなときに遅刻って。何してるんだ」
「学園祭のことやるんだって」
芸能人のスキャンダルを追いかけようってときに、学園祭か。
失望というか怒りというか呆れというか、ごちゃごちゃした感情を吐き出したくなった。できるだけ冷静でいようと思ったのだが、存外不安定なようだ。
自分の心情を分析しながら、辺りへ視線を巡らせた。須長さんの姿はまだない。
駅舎の向こうに森林の気配があって、風が吹くたびにガサガサと音がする。はじめは木々が揺れているだけだと思ったし、実際にそれだけのはずだけど、森林の正体が墓場だと知ってからは霊的な何かが働いている音に聞こえる。
墓場と幽霊を不気味に思う心持ちは、あまりなかった。理由は明白だ。
反対側の、ネオンの妖しい方を見る。電灯の艶やかな割に建物は陰ばっかりで暗い、夜の大人の街の中に、高崎はいるのだ。宮本アスカと一緒に。
宮本アスカと一緒に。そう思うと、やるせなさが押し寄せてくる。
あの、屈託のない簡潔な笑みが、高崎に汚されているのだ。タレントとして、女優として、大成する彼女の夢が、踏みにじられているのだ。
無意識の内に拳を握っていた。指の爪が掌に食い込んだ。
「リオくん」
声を掛けられて、ハッと我に返る。
顔を上げると、リオが心配そうに顔を覗き込んでいた。
「大丈夫? 怖い顔してた」
「だいじょうぶ……いや、大丈夫じゃないかも。緊張してる」
「私もだよ」
彼女と喋りながら、一生懸命に肩の力を抜いた。力を抜いているのを可視化するために、拳を解いて手から脱力させていく。
指の先から掌を伝って、腕、胴、膝、足先、と緊張をほぐさせた。ほぐれていく気がした。
「須長さん、まだかなあ」
ぼくらとは対照的に、緊張とはまるで無縁の声でサキノが言った。
時刻は20:50。約束の時間ピッタリである。そろそろ来る頃合いのはずだ。
そう思っていると、ネオンの煌めくホテル街の方から、派手な髪色がこちらへ駆け寄って来た。
「すみません、お待たせしました」
到着するなり、須長さんは深く頭を下げた。すっかり恐縮しきっている。
「わざわざすみません。本当にありがとうございます!」
「いいんですよ、大丈夫」
萎縮さえ感じさせる須長さんに対して、サキノは歌うみたいな気楽さで答えた。彼女のこの余裕は、一体どこから来るのだろう。
「ありがとうございます。とっても頼もしいです!」
顔を上げる須長さんは、明るい笑顔を浮かべた。ぼくらのことを、心から頼もしく思っているのかもしれない。
期待に応えられるかどうかは分からないが、お陰で奮起させられる気がした。
「まかせてください」
サキノが言った。
「サキノはさ、どうしてそんな余裕なわけ?」
「別に余裕じゃないよ」
「全然緊張してないじゃん」
「んー、緊張はしてないかも。でも何とかなるかなーって」
要するに単なる楽観主義なのだ。
ため息を吐くと、ぼくのおおよその心持ちを察したのだろう。サキノは弁解するみたいに、「何とかなるって口にすると、本当に何とかなりそうじゃん?」と言った。
「何とかなる」
口にしてみたが、何とかなりそうには思えなかった。
「でもさ」
不意にリオが言う。
「高崎は、リオくんの番号知ってるわけでしょ? それなのに電話もなにも掛けてこないってことは、向こうも結構油断してるんじゃない」
「たしかに!」
ぼくよりも先に、サキノが同調の声を上げた。
「高崎は油断してるんだよ。学生の私たちに、大したことはできないって」
「油断ねえ」
もし本当なら、とても有利だと思った。だけど、侮られているいると思うと、少し不愉快でもあった。
「1人男の子が足りないけど、もう行きましょう」
須長さんが告げて、ぼくらはホテル街へ繰り出した。
☆
鶯谷のホテル街は、駅前から遠巻きに眺めたときの所感よりも、ずっと煌びやかで明るかった。
タバコの煙に混じって、ヘドロみたいな何かの臭いがして、鼻の奥が捻じれそうになった。ネオンや電飾が照らすアスファルトに、中年男のだらしない笑い声や、悲鳴なのか嬌声なのか分からない女の声が響いている。
路地を歩きながら、通り過ぎる建物はことごとくラブホテルだった。看板と電飾ばかりが派手派手しくて、外壁は塗装が剥がれて鬱蒼と暗い。
ラブホテル、という響きの割に陰鬱な雰囲気だった。
化粧の濃い金髪の女とすれ違った。外見を飾り立ててはいるが、顔の作りはそこまで美しくはない。むしろ作為的な不安定さが、不気味さを醸してさえいる。
哺乳類を首に巻き付けているのではないかと思うくらい、もこもこと毛深いファーコートを羽織っていた。片手には動物のベロみたいに真っ赤なカバンを提げている。
女はツカツカとハイヒールを鳴らして、一軒のホテルへ入って行った。
「怖い街だね」
リオが耳元で囁く。
その通りだと思ったし、こんなところに彼女を連れてくるべきではなかった、と後悔した。ましてや、こんな場所に蔓延る大人とやり合おうなど……。
しかし、後の祭りである
「ここです」
言いながら、須長さんが一軒のラブホテルの前で立ち止まった。
立ち並んでいる中では比較的、というよりかなり新しい、見た目にも高級な建物だった。
この中に宮本アスカと高崎がいて、実際に枕営業をヤっているのだと思うと、不思議な気持ちになった。耳鳴りみたいに、嬌声が聞こえる気がした。
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