第43話

 枕営業、とサキノは言った。


「宮本アスカ。高崎浩司に、枕営業させられてるんだって」

「させられてる?」

「もうやることはヤッてるんだってさ」


 サキノがあまりに淡々と言うので、あっさりと流しそうになった。

 やることをヤッているということは、つまりヤッているってことか。


「なんか、芸能界って感じだなあ」

「いまはもうそんなの少なくなってます」


 割り込むのは須長さんだった。


「だけど、宮本アスカさんはやらされた」

「はい。彼女のように、事務所の中でも知名度の低いタレントは標的にされてしまうんです。そもそも事務所が大きくないので、会社で守ろうにも限界があって……」

「高崎はそんなに大物なんですか?」


 聞きながら、業界人相手に平然と呼び捨てしてしまったことに気付く。


「いえ、高崎自体はアシスタントに過ぎないのですが、取り巻きが大物なんです。社内でも立場のある人に気に入られていて、ちょこっとキャスティングに口出しできるみたいです」


 キャスティング、とぼくは復唱した。

 どうやらぼくをテレビに出させるという話は、嘘ではないらしい。だが、そんなセコいやり口で出たくはない。


「宮本さんの主演も、高崎が根回しをして決めたそうです。その代わりに身体を求められて、宮本さんも人が良いから断り切れず……」

「最低ですね」


 毅然と言い放つのはリオだった。


「最低。仕事あげるからヤラせろなんて、信じらんない」

「しかも自分であげる仕事じゃないのに」


 サキノも抗議に同調した。

 最低だとぼくも思う。宮本アスカの屈託のない簡略な笑みを浮かべて、身が震えるほどの怒りを覚えた。

 宮本アスカをリオに置き換えると、奥歯がギシギシと軋んだ。


「宮本さんと高崎の状況は分かったんすけど――」


 口を挟むケンジはいつになく冷静だ。


「俺たちは何をすればいいんすか?」

「宮本さんを助けてください」


 真剣な眼差しで、須長さんは告げる。

 対するケンジは、小さく「なるほど」と言うだけだった。


「助けるって言っても、できることはなさそうですけどね」


 冷静さを感じさせるケンジの物言い、ぼくは呆気に取られた。

 できるできないという尺度が、彼の中に存在したことが驚きだ。


 リオとサキノも黙り込んだが、ぼくとは違う種類の沈黙のようだ。

 どちらかと言えば、気勢を削がれてテンションがだだ下がりになったようだ。理屈は通っているので、筋の通った反論はできず、不本意ながら納得せざるを得ないのだろう。


 どちらかと言えば、ぼくはリオとサキノの味方だった。

 今やすっかり正義の味方の心持ちである。判断基準は、できるできないではない。やるかやらないかだ。


「たしかに皆さんは学生です。力が無くて、できることは少ないかもしれません」


 須長さんが静かに口を開いた。別にそこまでは言ってないが。


「少ないです」


 しかし事実なので肯定する他ない。


「でも、だからこそ、できることがあるのです。皆さんの、学生という立場からでしか、できないことが」

「ぜひ力になりたいです!」

「私たちにできることなら何でも!」


 飛び付くように言ったのは、もちろんリオとサキノだ。彼女らはすっかり正義の味方。さながらプリキュア、パワパフガールズである。


「ありがとうございます」


 感激のあまり、須長さんは声を震わせて頭を下げた。頭が深く下がるのにしたがって、派手な色の髪がファサンと揺れた。

 店内で深々と一礼されるのは、どこか気恥ずかしい気持ちだ。


 それから彼女は、ぼくらに求めることについて話した。

 とはいっても、要望は実に簡潔だ。


「枕営業の現場を押さえてください」


 現場を押さえるというのは、具体的にどういった行為を指すのだろうか。状況を示すのか、それとも写真や動画が必要になるのか、その場に居合わせて高崎浩司を取っ捕まえるのだろうか。

 現場の押さえ方にも色々ある、と思った。


「押さえたいのは山々なんすけどね」


 口を開くのはケンジだった。


「その……枕営業、の現場が分からないんすよ」

「業界人が好むのは高いホテルです。帝国ホテル、ニューオータニ、グランドニッコー、セルリアン。たくさんあります」

「だったらなおさら。それに、いつやってるのかも分からないんす。毎日毎晩ってわけにもいかんでしょう?」

「今晩、あります」

「え?」


 須長さんの言葉に、ケンジは言葉を失った。さっきぼくらを絶句させた彼が、似たような状態に陥っているのは、滑稽に思えた。


 とはいえ、ケンジを滑稽だと笑っている余裕はない。ぼくだってあっけらかんとしている。

 今晩、というのはつまり今日の夜ということか。仮に夜を9時のことだと仮定して、今から6時間後?

 頭がくらくらした。いくらなんでも、展開が急すぎる。これから半日と経たない内に、ぼくらは枕営業が行なわれている最中へ飛び込むのだろうか。


「今晩て、すぐじゃないですか」

「すぐです。だからこうして、皆さんに……」

「どうして須長さんは知っているんですか?」


 サキノが口を挟む。


「今日が枕営業だって。知っているなら、須長さんも止めてくださいよ」

「相手は人脈の広い業界人です。私1人が出しゃばっても、止められません」

「じゃあ、そもそもどうして……」

「詳細不明の仕事が、今日の夜に入っているからです」

「夜って、何時ですか?」

「それも分かりません。時間も含めて、詳細の分からない仕事なんです」


 サキノの追及はそこで止んだ。彼女の横顔が、事態の不穏さを物語っていた。


 思わずリオに目をやった。目が合うと、彼女は力強く頷いた。

 ぼくの迷いは微塵も伝わっていないようだ。彼女は義憤で盲目になっている。


「分かりました」


 リオが言った。情熱に満ちた力強い物言いだった。


「私たちでなんとかします」

「ありがとうございます」


 須長さんは、もう一度派手な髪を揺らした頭を下げた。


 2人のやり取りを見ていると、ぼくの心もメラメラと燃えてくる。

 そうだ、ぼくらは権力と性欲に塗れた高崎とかいう男を倒すんだ。ぼくを脅してきたて、大学まで乗り込んできたのだ。借りを返さなければならない。

 何よりも、宮本アスカの無垢な笑顔を思い出すたびに、胸が痛むのだ。

 あの純真な美女が、高崎に汚されているなんて。想像するだけで身震いがする。


「捕まえよう」


 気が付けばそう言っていた。


「高崎浩司を。絶対に」


 ぼくの決意に、リオとサキノが深く頷いて応えた。

 ここから、ぼくらの反撃が始まる。ぼくの抱く正義感は、リオにはもちろん、サキノにもケンジにも伝わっているはずだ。

 学生だからと侮っている大人の、長く伸びた鼻を明かしてやる。


「ありがとう」と告げる須長さんの声は明瞭だった。

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