第42話

「反撃って、どうするんですか?」


 ミナガワ先輩は笑みを浮かべたまま、軽やかな語調で答えた。内にみなぎる高揚を、抑えきれないようだった。


「まずは高崎浩司の正体を暴かないとなあ」

「どうやるんですか?」

「ボカロPのコネを使う」

「使わせない」


 ピシャリと中田先輩が否定する。

 使えない、ではなく、使わせない、と言っていた。


「使えないんじゃあ仕方ない。探偵を雇おう」

「高いだろ、ウン十万もウン百万もするよ」


 これもまた、中田先輩が否定する。

 反対されるたび、ミナガワ先輩は嬉しそうに頷いた。


「それじゃ、どうようかなあ」

「あの」


 言った後で、ひと際大声だったのに驚いた。掛けていたチェーンのネックレスが、チャラリと揺れた。


「どうしたの?」

「できればもう、大人しくしていたくて。高崎に何をされるか、分かったもんじゃないです」

「そっかそっか」


 ミナガワ先輩は穏やかに言う。


「それじゃあリオくんは、どうなるか見てな。若い学生をなめて、ちゃちな脅しで黙らせる大人に、ひと泡もふた泡も吹かせるところ。大人しく見ていなよ」


 全然穏やかではなかった。スイッチの入った先輩には、既に溢れんばかりのエネルギーがみなぎっている。

 エネルギーを削ぐことは、何人たりとも許さない。そんな気概だ。


「あんまり後輩をいじめるなよ」


 中田先輩は半ば呆れ口調だ。


「ああ、ごめんごめん。そんなつもりじゃなかった」

「いや大丈夫です」

「まあとにかく。リオくんは身を隠してるといいよ。後は、俺たちがやっとくから」

「俺たちって、そこに僕も入ってるのか?」

「え、じゃあ中田先輩は何をするんですか?」

「何もしないよ。高崎浩司なんて誰かも知らないし、宮本アスカは仕事仲間だ。夏川君は気の毒だけど、僕にできることはないよ」

「なーんだ」


 まるで緊張感のない口ぶりだった。なーんだ、と言う割に、失望の色は微塵も感じられない。

 ぼくと先輩の前に、店主が無言でコーヒーを置いた。すぐに手に取って、一口飲んだ。砂糖もミルクも入れていないので苦い。


「それより、動画サークルはこれからどうするの?」


 中田先輩が話題を変えた。


「特に予定は何も」

「これから学園祭あるけど、何かやらないのかい?」

「ああ、たしかに。上映会とか、ですかね」

「君のとこの、あの編集めっちゃ上手い子とかさ。いいメンツじゃん」

「カナトですかね。野間叶斗」

「そうそう、野間くん」


 何か考えてるかもですね、とはぐらかした。

 ぼくはいつも、サークルが何をするかを知らない。ケンジの思い付きで動いているし、ぼくはそれを知ろうともしていない。


 ふと3号棟前でカナトとすれ違ったことを思い出した。彼は何の用があったのだろう。ぼくみたいに、とんでもない何かに巻き込まれているのだろうか。

 いや、そんなはずはない。あいつは危なそうなことには手を出さない。どうせただの事務手続きだ。


 それから雑談――多くはミナガワ先輩の野心に満ち溢れた演説と中田先輩の音楽に関する見解だ――を交わして、お開きになった。

 ぼくの不安は、多少は解消されたように感じた。ひとまず、大人しく身を隠すことにした。

 何よりも、近い内に高崎のターゲットは、ぼくからミナガワ先輩へ移り変わるだろう。


「最後に、先輩として2つアドバイス」


 立ち上がってジャケットを羽織りながら、ミナガワ先輩が言う。


「1つ目、高崎はじめ多くの大人は社会に信頼と立場がある。その代わりに時間がない。だからたった1人の学生のために信頼も立場も失いたくはないし、多くを費やす暇もない」

「はい」

「2つ目。チェーンネックレス似合ってないよ。ファッションセンスは自由とはいえ、さすがに頑張り過ぎ」


   ☆


 ミナガワ先輩は夕方の講義に出ると言うので、キャンパスの方へ歩いて行った。


 さて、どうしようか。ぼんやりスマホを開くと、何件もの不在着信が入っている。

 ケンジ、サキノ、リオ……顔ぶれを見て、何の話か察しが付いた。


 とりあえずリオに折り返す。

 数回のコール音の後で、すぐに応答があった。


『何してたの?』

「ちょっと、野暮用。そっちは?」

『南口のドトール分かるよね。すぐに来て』

「何かあった?」

『いいから、早く』


 それだけ告げられて、一方的に切れる。

 悪態を零したくなったが、取り乱したようなリオの早口には違和感があった。リオは激情家だが、言動は落ち着いている。あんなにも忙しなく喋るのは珍しい。

 挙句の果てに、一方的に電話を切るなど……いや、そんなことはたびたびあった。


 呼び出されたものは仕方ないし、どうせ暇だったので、ドトールへ行くことにした。

 そう、どうせ暇なのだ。ぼくには社会的立場も信用もない代わりに、素性不明のおっさん1人に多くを費やせる暇があるのだ。


 どうせ宮本アスカと高崎の件だろう、と思っていたぼくは、みんなに「もう止める」と言い出すつもりだった。揺るがない確固たる意思を持っていたのだ。

 強い気持ちでドトールに入ったぼくは、予想通りの面々に加えて、1人見知らぬ女性がいた。


「おお来たな」


 奥に座るケンジが明るい顔で片手を上げる。


「何してたの?」

「ちょっと、ね……」


 リオの隣に座りながら、彼女の向こうに座る女性を訝しむ。目が合うと、会釈された。ぼくも首だけ振って返す。

 見知らぬ人だと思ったが、その顔を見ていると、どこかで会ったような気がしてきた。


「この方、宮本アスカさんのスタイリストさん」


 ぼくの様子に気付いたのか、ケンジの隣のサキノが紹介した。宮本アスカさんのスタイリストさん。さんが続くのが、滑稽だった。

 通りで見覚えがあるはずだ、と合点がいく。


「スタイリストの須長雛代すながひなよです」

「ああ、そうでしたか。夏川李央です」


 自己紹介を返しながら、別に名前は聞かれてないか、と思う。須長さんには暇がない。

 派手な髪が目立った。全体的に明るい茶色だが、耳の辺りが緑色の染まっている。ごちゃごちゃと明るい色彩に眩暈しそうになるが、色み豊かなヘアカラーは見ていて楽しかった。


 スタイリストということは、ファッションセンスにも詳しいのだろうか。

 無意識にネックレスを握って、手のひらに冷たい感触が伝わった。


「一応説明するとね……」


 そんな語り出しで始まったサキノの話は、この件から身を退いて静かに暮らそうとしていたぼくの頬を殴り、心に義憤の炎をメラメラと滾らせるのだった。

 必ずや邪知暴虐の高崎を打倒さなければならない。

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