第39話
ぼくは1人で3号棟へ来ていた。
いつも行ってる1号棟、カフェテリアがある2号棟、陽キャの園4号棟……これらには馴染みがある。
しかし3号棟は初めてだった。当然である。事務室とか講師室とか、華のキャンパスライフとはかけ離れた場所しかない。
殺風景極まりない空間へ、それでも行かねばならないのだ。
しかし、ぼくの気が重いのは、それが理由ではない。
『高崎浩司さんからお電話です』
初めて大学の事務から電話がきて、一番に告げられたのがそれだった。
仕掛けてきた、と呟いた。
わざとカッコつけて呟いたのは、自分を冷静にさせるためだった。余裕しゃくしゃくの態度を、誰にでもなく見せながら、心臓はあっという間に高鳴った。
ひとまず動画サークルの面々にLINEを送って、本当は誰かについて来てほしかったが、朝なので誰も空いていなかった。
リオは講義を休んでも来てくれそうで、だからこそ何も言っていない。彼女を巻き込むのは憚られる。
エレベーターを3階で降り、細長い通路を進む。
事務室はガラス張りの引き戸を開けた先にあって、スーツ姿の職員が厳かに働いていた。机に向かってキーボードを叩いたり、書類の束から束へと紙を移したり、おおよそ華やかなキャンパス内とは思えない退屈っぷりである。
「すみません」
窓口に手を掛けながら言った。
「今朝電話をもらった夏川李央です」
「あーはいはい。夏川くんね」
対応した若い男の職員は、笑みを浮かべながら手元を見た。釣られて視線を落とすと、訪問者リストのようなものがある。
「高崎浩司さんね。お話があるってことで、いまお待ちいただいてるんだけど。この後は時間って大丈夫?」
「はい」
そのつもりで来たので、当然である。真っ向勝負だ。武器が何でルールが何で勝利条件も分からないが、戦うつもりだ。
「それじゃあ、こっちにどうぞ」
職員は笑みを浮かべたまま、ぼくを奥へ促した。人の良さそうな笑みだ。だけど気弱そうでもある。人の良さと気弱さは紙一重なのだろう。
対照的に、ぼくの顔はどんどん引き締まっていった。
案内されたのは窓際にある仕切りで分けられたスペースで、壁に掛けられた氷人版には「客間」とだけ書いてあった。
随分と簡素な客間だ。壁が塞がってないので、これでは話し声が筒抜けである。
中には大きな木製のテーブルと、厚みのあるソファが向かい合わせに2つ。他に強いて言えば、テーブルに置かれた花瓶に挿された名前の分からない白い花だ。
「夏川李央くん」
片側のソファに、高崎浩司が腰掛けていた。ぼくらが何か言うよりも先に、立ち上がって口を開いた。
こちらも笑みを浮かべている。しかし人の良さも気弱さもない、冷徹で陰湿な笑い方だった。
ぼくは何も言わずに空いている方のソファに座った。
「あ、戻っててもらって結構ですよ」
「すみません、規則で職員が1人付いてなきゃダメで」
高崎は職員を追い出そうとしたが、愚直な規則遵守によって阻止される。
職員の笑みから、人の良さが薄れて気弱さが増した。高崎が眉をピクリと動かすが、辛うじて笑みは絶やさない。
「なんですか」
先制攻撃はされまいと、ぼくの方から口を開いた。黙ったままでは、いいようにされてしまいそうだ。
「その後調子はどう?」
「まあまあです。高崎さんはどうですか」
「あんまりだよ。早速なんだけど――」
「宮本アスカさんはどうしてますか」
「ああ、元気だよ」
「そうでしたか、それは良かった」
「彼女とは昨日あったばかりなんだろう?」
「マネージャーでもないのによくご存じですね」
「いやいや、ぼくは彼女のマネージャーだよ」
嘘だ、と言いかけて、呑み込んだ。
言葉を呑み込ませるギラつきが、高崎の眼光にはあった。
「実はさ、今度ドキュメンタリー番組があるんだけど。もしよければ、夏川くんに出てほしんだ」
今度は高崎が仕掛ける番だった。
藪から棒な提案に、思わず言葉を失ってしまう。出入口に控えていた職員が、「おお」と感嘆の声を上げた。
「若者のリアルを描くっていうコンセプトで、ありふれた大学生を追いたいんだけどね」
「高崎さんはプロデューサーなんですか?」
「違うよ、マネージャーだよ」
「じゃあなんでぼくをキャスティングする権限があるんですか?」
「権限はないよ。ただ、面白い学生がいるってことを、伝えられるだけ」
「嘘だ」
今度ははっきりと言葉にした。しかし高崎には通じなかった。
「どうかな。ギャラも出るし、経験としても面白いものになると思うよ」
「えっと、検討します」
「ありがとう。それじゃあこちらからも連絡したいから、電話番号教えてくれるかな?」
ここでぼくは全てを察した。
そうか、高崎の狙いはこれか。電話番号でも住所でも何でもいい、ぼくといつでもコンタクトを撮れる糸口がほしかったのだ。
ここで番号を入手すれば、いつでもぼくに警告を出せる。着信拒否設定にしても、大学にコンタクトを取れば会える。
たとえ全てを断っても、何らかの手段でぼくに辿り着くのだろう。
助けを求めて、職員の顔を見た。彼はニッコリと頷いた。どうやらぼくの意図は伝わらなかったらしい。
当然だ。彼にとって、この状況は、学生がテレビ出演のオファーを受けた現場に他ならないのだから。
「……分かりました」
断れり切れず、メモ用紙に番号を書いて渡した。
高崎はメモ用紙を見ながら自身のスマホに入力する。それから紙に何か書き加えてから、「これ、返すよ」と寄越してきた。
ぼくが何か言うまでもなく、高崎は立ち上がった。
「それじゃあ、私はこの辺で。夏川くん、また後でね」
スマホを振りながら、高崎は立ち去っていく。
事務を後にしながら、渡されたメモを開いてみると、中にはこう書かれていた。
『最終警告だ』
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