第33話

 軽音部による打ち上げはチェーンの居酒屋で行なわれた。

 ぼくは知らない店だったが、ケンジや『ヤニネコ』が「定番」だの「安定」だのと言うので、定番で安定の店なのだろう。


「おつかれちゃん」


『ヤニネコ』は、まるで子どもを大人扱いするおじさんみたいな口振りで、ぼくらにグラスを掲げた。


「おつかれっす!」


 ケンジはヘコヘコとグラスを合わせる。『ヤニネコ』は名前の分からないカクテルで、ケンジはジントニックだった。最近覚えたらしい。

 ちなみにぼくは、レモンサワー。カナトはモスコミュールだった。


「一杯目からモスコミュールなんだ」


『ヤニネコ』はカナトのグラスを見て笑った。

 人が何を飲もうが、勝手だろう。心に浮かんだ言葉はグッと押し殺して、サワーに口を付けた。


 打ち上げには多くの人が来ていた。より詳しく言うと、何人もの軽音部の面々がいて、対する動画サークルはぼくら3人だけだ。


『今日は打ち上げ行ってくる』


 LINEを送ると、リオの返信は冷ややかだった。


『なんのために?』

『流れで。別に仲良くなったわけじゃない』

『ふぅーん』

『仲良くなるわけじゃない』


 念を押したが、返信はなかった。


 ともかく、ぼくら3人は一緒に固まっている。向かいには『ヤニネコ』の他に、見知らぬ男が2人だった。

 ひとりは、長い前髪で目を隠した緑髪マッシュルームカット。

 もうひとりは、小柄で小太りなボサボサ金髪の丸メガネ。


 どうしてこうも、軽音部にいる連中はサブカル男の要素を兼ね備えているのだろう。それも多種多様。

 彼らを見ていると、ぼくらが没個性の集団にみたいに思えてくる。

 ああなるよりはマシだ、と思いかけた。しかしやっぱり、個性的な男になりたいとも思った。


「普段はどんな動画撮ってんの?」


『ヤニネコ』が訊ねてきた。口にくわえた煙草から、細い煙がたなびいている。

 質問だけで、ぼくらの動画を見ていないことが分かった。見ていないのだから、興味ないに決まっていて、それでも質問するのは、ぼくらに気を遣っているからだろう。

 一丁前に気遣っているのが透けて見えるのが、気に食わないと思った。


「まあー色々っすね」


 ジントニックを飲むケンジが、間延びした声で答える。


「色々かい。一番最後に撮った動画は?」


 なおも『ヤニネコ』は続けるが、ケンジはフライドポテトを頬張っていた。


「『乱視ゼロコンマ』もPVっす。それの前は、マインクラフトの実況動画かな」

「マイクラの実況なんかやってんだ」

「そうですね。ゲーム実況は、けっこう色々」

「再生数全然でしょ?」

「全然ですね」

「マイクラなんて、腐るほど動画上がってそうだもんなあ」


 語尾を伸ばしながら、『ヤニネコ』の口から煙が吐き出される。鼻の奥を突く辛い臭いがした。


『ヤニネコ』の傍らに座る男どもは、さっきから愛想笑いすら浮かべずに、酒を飲んだりスマホをいじったりしている。

 お前らとなんか話したくもない、なんていう意思表示に見えた。そうなると、ぼくだって意地悪したくなる。


「お2人も音楽やってるんですか?」


 声を掛けると、2人は「あ、ごめんなさい」と詫びながらスマホを置いた。


「音楽、やってますよ。軽音部なんで」


 視線を上げて笑うのは、緑マッシュの方だった。『ブロッコリー』と名付けた。


「そりゃそうですよね」


 ぼくも笑う。心からの笑でいはないので、歪な表情になっているかもしれない。


「えっと、お名前は?」

「ぼくは夏川李央って言います」

「夏川くん……ですね。あ、ぼくは青野幹也あおのみきやです」


 ぼくの頭で、『ブロッコリー』が「青野」に上書きされる。

 頷きながら、小太り金髪に視線をやる。


「ああ、福田日向ふくだひゅうがです」

「ひゅうが?」

「日に向かうで、日向。ひなたとも読めるんですけど」


 福田は穏やかな顔で言った。金髪と丸メガネがもったいないくらい、柔和な表情だった。


「その2人、まだ1年生だから。君らと同じだよ」


 割り込んでくるのは『ヤニネコ』だ。


「ちなみに、俺は吉野って言うんだけどさ。俺の名前、知らなかったっしょ?」


 遠慮なく頷く。『ヤニネコ』は「吉野」に上書きされず、ヤニネコのままだった。

 青野と福田の名前を覚えるのに精いっぱいで、吉野など覚えている余裕はなさそうだ。


「え、1年生なんですか」


 青野が目を見開いて言った。


「そうですよ」


 できるだけ友好的な調子を維持して答える。素っ気ない態度も、それはそれでぼくの負けに思えたのだ。


「ええーすごい。サークル作るっていうから、てっきり先輩かと思ってた」


 笑いながら青野が言う。まるで、緊張がほどけてぼくとの距離が縮んだことを証明するみたいに、笑っていた。

 彼のペースに巻き込まれるのは癪なので、ぼくは笑顔を浮かべるに留める。答える代わりに、ポテトを口に放り込んだ。


「サークルってどうやって作ったの?」

「どうやって…‥‥? まあ、事務に行って書類貰ってメンバー集めてって感じ」


 答えながら、これも気を遣われているのか、と思った。

 だったらぼくも、気を遣ってやろう。


「2人はさ、いつから音楽やってるの?」

「おれは高校から」と青野が言った。

「おれは中学から、ピアノ」の福田が言う。

「ふくだくん、はピアノなんだ?」

「ピアノっていうか、キーボードだね」

「え、なんか違うの?」

「キーボードは電子ピアノだから。普通のと比べて、めっちゃ簡単」

「ああそうなんだ。経験者のふくだくん、ね。じゃあ結構バンドでもぶいぶい言わせてるの?」

「言わせてる言わせてる」


 と、答えるのは青野だった。


「めっちゃ上手いよ」

「へえ上手いんだ。ライブとかやらないの?」

「今度の学園祭でやるよ」

「お、じゃあ見に行こ」

「来て来て。福田がキーボードで、俺はギター弾いてるから」

「あおの、くん。ギターなんだ」

「そう。あとサブボーカルも」

「歌うの? すごいね」


 無難な会話だ、と思う。無難で、中身がない。きっと明日には、何ひとつとして覚えていないのだ。まるで意味のない会話。

 その会話を、心地よく感じている自分もいた。


「ちょっとトイレ」


 尿意よりも強い不安定な心地よさに押されて、席を立った。

 立ったはいいが、他に行く宛もないので、トイレに行く他ない。


 トイレの扉を開けると、洗面台に『歌い手もどき』がいた。

 鏡越しに目が合って、反射的に逸らしかけるが、その前に会釈されたので、仕方なく首を上下させた。


「盛り上がってる?」


 小便器の前に立っていると、『歌い手もどき』はおそるおそる声を掛けてきた。


「まあまあだと思います」


 答えながら、「まあまあ」と答える自分に苦笑した。まあまあ、なんかじゃないうことは自覚していたからだ。


「そっか」


 短いやり取りを済ませて、『歌い手もどき』がトイレを出掛けたとき。扉の方が先に開かれた。


 振り向くと、どこか見覚えのある顔がそこにあった。顔の彫が深くて、体格がいい。


「あれ、動画サークルの人?」

「はい」


 頷きながら、ユウスケだと思った。


 ユウスケ。

 前に『いおり』で、リオに声を掛けていた男だ。ぼくらを「陰キャ」呼ばわりしていたあいつだ。


 全身に血が昇った。手のひらに爪が食い込むので、遅れて握りこぶしに気が付いた。殴り掛かりそうになるのを、必死になって我慢した。


「ねえねえ、もしかしてなんだけど」


 ぼくの激情など知らず、ユウスケは馴れ馴れしく話しかけてくる。

 うん、とも、はい、とも言わないまま、言葉の続きを待つ。


「前に居酒屋で会ってるよね? ほら、地下にある個人の……」

「会ってる」


 短く肯定した後で、思っていたよりもずっと攻撃的な響きだったと思った。

 それでいい。ぼくはこいつを見返そうと、復讐してやろうとする一心で、ここまでやってきた。ネチネチとした心掛けかもしれないが、実際にそうなのだ。


「だよね」


 ユウスケはそう言って笑った。下卑た笑みだと思った。


「あのさ。あの時はごめんね。お酒入ってたのもあって、調子乗ってた」


 素直に頭を下げられてしまった。

 視界の隅で、『歌い手もどき』が小さく頷いていた。いや、違う。一緒に頭を下げているのだ。


「ああ、いや。まあ、うん。平気」

「本当にごめん、うざかったよね」

「いや、えっと……先に、手洗っていい?」

「ああそうだよね」


 2人に洗面台を譲られて、洗面台で水を流す。冷たさに手を浸しながら、鏡の中を覗き込んだ。

 髪を染めてアクセサリーを着けて、派手に着飾ったぼくがいる。背後には、似たような風貌の『歌い手もどき』とユウスケだ。

 いや違う。似たような、ではない。2人の方が、ずっと似合っている。


「大丈夫」


 ぼくは言った。


「こっちも、カッとなってごめん」

「よかった。ほんとごめんね、あのときは」


 謝罪を交わして、ぼくはトイレを出た。『歌い手もどき』も続いた。


 席へ戻りながら、なんであんなことを言ってのだろう、と後悔した。

 許すつもりは毛頭ないし、今でも許していない。ぼくが本当にやるべきことは、あの場であいつをぶん殴ってやることだった。


 それでもできなかった。全身を支配する怒りに身を任せて、相手を力いっぱい殴りつける……なんてことも、ぼくにはできないのだ。

 友達を侮辱した相手を、リオに軽薄に喋りかけた相手を、殴ることすらできないのだ。

 その場の雰囲気に呑み込まれて、暴力に手を染めることも怒りを正しく伝えることもできず、思ってもない許しを口にしてしまうのだ。


「おかえり」


 席に戻ると、ケンジや青野に声を掛けられた。


「ただいまー」


 できるだけ伸びやかな声を出しながら、押し寄せるやるせなさを必死で押しとどめた。

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