第32話
翌日の謝罪会見は『マトリョーシカ』で開催された。
グレーのカーディガンを着たぼくの傍らに、ケンジとサキノが座っている。
向かいのソファ席では、凛とした顔立ちのリオが、ジッとぼくを見つめていた。傍らの2人には、一瞥くれただけだった。
「えー、この度は……」
厳かに口を開くぼくを、風格漂う店主が訝し気に見ている。
「ふざけないで」
リオがピシャリと言った。
「ごめん」
「で、結局どういうことなの?」
「話すと長くなるんだけど……」
本当に長くなりそうだったので嫌だった。しかし誤魔化すわけにもいかないので1から10まで話した。
宮本アスカを追っ掛けてることも、カナトとカホには秘密のことも、高崎浩司が接触してきたことも。
リオは黙って聞いていた。相づちのひとつも打たないので、とても話しにくかった。
話し終えた後で、リオはゆっくりと口を開く。
「じゃあ、カナトくんとカホちゃんは、いま何してるの?」
「軽音部のPV撮影」
ぼくの代わりに、ケンジが答えた。
「あんな人たちのこと手伝ってるの?」
「あんな人たち?」
物言いに引っ掛かったのはサキノだった。清楚な遠田莉緒が「あんな人たち」呼ばわりするなんて信じられない、とでも思っているのだろう。
実際にぼくも「あんな人たち?」と思った。
「だって、リオくん。前に何言われたか忘れたの?」
「忘れるわけないよ」
即答しながら、心臓がドキンと跳ねた。
あの場で、軽音部の連中が何を言ったのか。片時も忘れたことなどないし、むしろ原動力の大部分がそれだ。
そしてそれ以上に、あの場にリオがいたことがショックなのだ。
どうしてなのだろうと思って、ああ自分が情けないんだ、というのに気付く。
「じゃあどうして軽音部のPV撮影なんかやるの?」
「ぼくはやりたくないって言ってる」
リオはケンジとサキノに目を向けた。
「他にやることがないっていうのも、あるにはあるし」
「タレントが不倫してるんじゃないかって、躍起になってるのに?」
「不倫って決まったわけじゃないよ」
サキノが口を挟むと、リオはムッとしたような表情になる。
「でも、不倫だったら……と思って追いかけてるんでしょ?」
「不倫じゃなくても、例えば歳の差カップルとかだったら、面白い」
「ふぅーん……そんなマスコミみたいなこと、動画サークルでやる必要ある?」
「ある」
ぼくが答えた。自分でもビックリするくらい、素早く言っていた。
「どうして?」
「こうやって、深夜ドラマの主演が決まってる女優のこと、追っ掛けて、上手くいけばバズるだろう?」
「バズるの?」
「少なくとも、軽音部なんかのPVよりは」
「バズって、どうするの?」
「奴らを見返すに、決まってるじゃん」
スラスラと言葉を紡いでいると、リオが「ふぅーん」としきりに首を振った。それから一拍置いて、
「じゃあ私も参加する」
「え?」
「私も入る。動画サークル」
「いいじゃん!」
ダメだ、と言うぼくよりも、ケンジの方が早かった。よくない。絶対によくない。
「でしょ? 私も一緒に宮本アスカを追いかける。私だって、悔しいもん」
「悔しいもん、て……」
「高崎浩司に、顔見られてるんでしょう?」
「うん」
危惧するようなサキノの言葉を、リオはあっさり認める。
短い「うん」に、肝の据わり方が滲み出でていた。だけどそれが、危なっかしいとも思った。
「いいよ、やろう」
ケンジが言った。
「遠田ちゃんが入ったら、頼もしいし」
「ダメ。絶対にダメ」
「なんでだよ」
「危ないから」
「大丈夫」
毅然とした口調でリオが言うので、ぼくは気圧される。
反論が思い浮かばないこともなかったが、これ以上の反対は、リオとの関係がまたややこしいことになる気がした。
「決まりだな」
言いながら、ケンジが手を叩く。
満足げな彼と、ニコニコと笑うリオと、口元を緩めているサキノを順番に眺めて、ぼくはいま圧倒的アウェーに立たされているのだと気付く。
まあリオの機嫌が直るならひとまずそれでいいか。
後のことは、またその時に考えればいい。
「これから、これから」
ケンジがニヤリと笑った。
☆
宮本アスカス大作戦があらぬ方向へ着々と進んでいる頃、表では軽音部用のPV撮影が始まっていた。
当日の午後。中庭に、動画サークルと軽音部の面々が集まった。
総勢10人は超えているだろう。まあまあな大人数だ。いかにもぼくの嫌いな外見の連中が集まっているのが、とにかく気に食わなかった。
「皆さん本日はお集まりいただきーありがとうございまーす!」
たくさんの撮影メンバーを前にして、ケンジが高らかに言った。音頭を取るのはいつだってこいつだ、なんて今更言うまでもない。
ケンジのしきりも板に付いてきたと思う。
嫌なビジュアルの軽音部連中の目を向けたが、冷やかしや嘲りの色は見られなかった。
「さっそくPV撮影に入りたいんですけど、皆さんメイクとか大丈夫ですかー?」
途端、軽音部の連中が湧いた。何が可笑しいのだ、とムッとしかけたが、彼らの笑いが冷ややかでないことに気付いた。
そういえばタレントでもない限りメイクはしないか、と思い直した。宮本アスカが特殊なわけで、大学のサークルレベルではすっぴんなのだ。
結果として気の利いたジョークを言う形になったケンジだが、彼自身も状況を理解したようだ。
「ボクは既に白く塗ってきてます!」
畳み掛けるように、今度は意図的なジョークを飛ばす。
しかし今度はややウケだ。これは調子に乗った。
「それじゃあ早速はじめます」
あからさまに声のトーンを落としたケンジの、静かな号令と共に撮影が始まった。
今回の主な登場人物は、不潔感こと『ヤニネコ』だ。
ヤニネコが煙草を吸う。ひたすら吸う。たまにギターを弾く。芝生の上に胡坐を掻いて、飄々としてます感を出しながらギターを弾く。
単調な感じの侘び寂びぶった映像なのかと思ったが、途中から全員で踊り出した。総勢20名で踊り出す様は圧巻だった。
圧巻だが、滑稽でもあった。煙草とギターを放って突然踊り出すものだから、はじめはふざけているのかと思った。全員が真面目な顔をしているので、真剣なのだと思った。いや、むしろ、真面目な顔だからこそふざけているようにしか見えなかった。
いくつかの場面に分けて撮影して、映像を確認して、また次の場面を撮影する。これを数回繰り返した。
撮影が終わるのに、30分も掛からなかった。
「それじゃあ、これでおしまい。皆さんお疲れ様でしたー!」
気の抜けるようなケンジの号令で、撮影はあっさりと終わった。呆気なくさえ思った。
これを後はカナトが編集して、完成動画を『ヤニネコ』に見せるだけである。トントン拍子だ。
「おつかれちゃん。今日はありがとさん」
撮影が終わって、当の『ヤニネコ』が声を掛けてきた。
「お疲れっす!」
声高らかにケンジが答えた。
「どうよ、いいの撮れた?」
「もうバッチリっすね!」
「そりゃ頼もしいね」
「後は編集でなんとかするだけっすよ!」
だよな、とカナトが背中を叩かれる。
編集担当の彼は「まあな」と呟いた。
「それならいいんだけどさ」
「素材の画質が良いんで。後はフィルター掛けるのと、ボカシで焦点を動かすのとで、それなりの仕上がりになると思います」
カナトがテキパキと言う。
いつの間にそんな技を覚えたんだ。というか、それが技なのかどうかすらも分からない。
「そっか」
さすがの『ヤニネコ』も戸惑っている。余裕しゃくしゃくの態度が崩れたのに、新鮮な爽快感があった。
「そういえば君らさ。この後打ち上げやるんだけど、よければおいでよ」
『ヤニネコ』は、まるで煙草を吹かすまでの間みたいにゆったりと、誘ってきた。
嫌だ、と言うつもりだった。
「マジすかー行きます行きます!」
しかしケンジがそう言うので、ぼくもついて行く他ない。
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