第31話

 ぼくらは居酒屋『いおり』にいた。今日は驚くほど酒が進む。既に生ビールをジョッキで2杯、レモンサワーを2杯、そして今は清酒熱燗を1合飲んでいる。


「やっちまったよ」


 言いながら、お猪口をテーブルに置いた。ゴトリ、と重々しい音がした。


「分かったよ」


 ケンジが言う。


「もう5回は聞いた」


 サキノが呆れ声を出す。


「タレントの不倫を見て、知らねえ男が来たんだぞ! やっちまったよ。ぼくの家まで、知ってるんだぞ」

「リオくんて実家だっけ?」

「そうだよ実家だよ」

「それはちょっと嫌だな」

「だろ?」


 飲んでも飲んでも、高崎の嫌な笑みが頭から離れない。

 俺はお前をどうにでもできる、だから黙っておけ、と言わんばかりだった。舐められている、と実感すると、増々腹立たしい。腹立たしいが、何か反撃してやろうと思っても、反撃の反撃が怖いので、結局何もできないのだ。そのやるせなさをぶつけるために、高崎の顔を思い出して、振出しに戻る。

 そんなループを繰り返している。


「ひとまず宮本アスカからは手を引こうぜ」


 冷静な口ぶりでケンジが言った。


「仕方ないよね」


 サキノも同調する。


「お父さんには相談してみるけど。ごめんね、私も危ない橋を渡り過ぎた」


 2人の言葉を聞きながら、熱燗を繰り返し飲んだ。飲んではお猪口を置いて、飲んでは置いて、を繰り返す。

 無言になってたので、ゴトリ、ゴトリ、と重々しい音がしばらく繰り返した。


「ダメだ」


 口を開くのはぼくだった。


「ダメだ?」


 ケンジが素早く反応する。


「ダメだ。このまま宮本アスカのこと追いかけ続けよう」

「なんで?」

「なんでって、ここまで来て諦められるわけ? せっかくぼくが掴んだ、絶好のスクープ。逃したくなんかない」


 ぼくの演説に、ケンジもサキノも目を丸くした。


「ここまで、って、別に大して話は進んでないぜ」

「スクープって言っても、無名タレントが誰かといたってだけじゃん」

「いいんだよそれでも!」


 思いのほか大きな声が出て、店中の注目を浴びた。2人が人差し指を唇に立てて見せる。


 クールダウン。大きく息を吐き出して、気持ちを落ち着かせる。


「とにかく。宮本アスカは諦めない」


 力強く宣言したとき、シャンディガフが運ばれてきた。


「まあ、リオがいいならいいけど」


 ケンジとサキノは、納得できるようなできないような、曖昧な表情を浮かべている。

 しかし結局は「続けよう」ということになって、やはり彼らにも諦めきれないココ持ちがあるのかもしれなかった。


「あの高崎なんとかっておっさんのことをな、ボッコボコにしてやるんだよ!」


 言い放って、シャンディガフを呷る。まろやかな味が口に満ち溢れて、そういえば熱燗がまだ残っていることを思い出した。


 徳利を探してテーブルに視線を落とすと、スマホが鳴っていることに気が付く。

 リオからの着信だった。


「ごめん、ちょっと電話」


 短く断って、2人のため息を背中に店を出ながら、応答する。


「もしもしー」

『リオくん』


 リオの声が、通話口から聞こえた。


「どうした」

『いまどこにいるの?』

「いまはねー。いおり、居酒屋。飲んでるよ」

『誰と?』

「動画サークル!」

『うそ』


 ぼくは耳を疑った。

 リオが、うそ、と言った?


「嘘じゃないって。ケンジと、サキノと、いるよ」

『カホちゃんが、今日はリオくんサークルに来てないって』

「ああー、だってそりゃあ」


 そこで言葉を閉ざした。

 なるほど、こういう齟齬は生まれるはずだ。そうか、カホか。またカホか。


 宮本アスカのスキャンダルを追うのに、カナトもカホも加担していない。というより、真面目な2人には話を通していない。

 だからリオは、ぼくが動画サークルで活動しているとは思ってないのだ。リオはそれを嫌がる。嫌がるというより許さない。だから滅茶苦茶怒るのだ。


『そりゃあ、なに?』

「とにかく、『いおり』にいるのは本当だから。何なら、今から来る?」

『そりゃあ、なんなの?』


 言いかけた言葉に、リオは執拗に食い下がる。このままでは埒が明かないことは、ぼくが一番分かっている。


「話をしなきゃならないことがある」


 仕方なくそう言った。


『なに?』

「明日、会って話そう」

『今話して』

「明日がいい。直接がいい」

『どうして?』

「電話越しじゃ、誤解されちゃうかもしれないから」

『今ある誤解はどうでもいいんだね』

「そういうことじゃないよ」

『じゃあ今話して』

「今、ぼくらはカホと別行動してる」

『ぼくらって?』

「ケンジとサキノ」

『3人で?』

「そう」

『どうして?』

「その理由を、明日話したい」


 電話の向こうで、しばらくの無言があった。リオが考え込むための時間だ。

 明日話を聞いてあげるかどうかを、決めるための思案。それはイコール、ぼくを許してあげるかどうかでもある。


『明日。3限がいい』

「分かった」


 分かった、と言った後で、明日の3限は授業があるんだった、と思い出した。まあ、いまさら出席点なんか惜しくはない。


 それじゃあ明日、と電話を切る直前になって


「そういえばリオ」


 言わねばならないことを、思い出した。


『なに?』

「知らない男が来ても、鍵は開けないで」

『え……なにが?』

「それと、宮本アスカにマネージャーはいない」

『どういうこと?』


 また明日、と言って電話を切った。


 テーブルに戻るなり、ケンジがニヤニヤと「遠田ちゃん?」と訊ねてきた。


「そうだよ」


 ぶっきらぼうに答えて、椅子に腰を下ろす。シャンディガフの泡がふんわりと弾む。


「どうしたの、そんなに萎れちゃって」

「明日またリオに謝罪会見だ……。なあ、2人同席してくれよ」

「なんで俺たちが」


 唇を尖らせるケンジは、熱燗の入ったお猪口を一口飲んで、顔をしかめた。


「カホがリオに言ったんだってさー」

「ああ、それはややこしいね」

「は、どゆこと?」


 察したサキノと、首を傾げるケンジの、対照的な反応が面白かった。面白いが、説明するのは面倒くさいので放置しておいた。


 ぼくに代わって丁寧に教えているサキノを、見ながら、ふと思い出した。


「そういえば2人は付き合ってるの?」

「どう思う?」

「分からないから、聞いたんだよ」


 サキノは「んふふふふふふ」と意地悪く笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る