第34話
リオの機嫌がとにかく悪かった。ムシャクシャして、イライラして、プンスカしていた。
擬音がしょうもないのは勘弁して頂きたい。ぼくはリオが可愛くて仕方がないのだ。同じくらいおっかないとはいえ、可愛いのだ。
原因は分かっている。ぼくらが軽音部の打ち上げに参加したのが、心の底から不満んなのだ。
サキノと遊んでいたり、何も告げずに飲み歩いていたり、そういうときにぶつけられる嫉妬ではない。
どうしてあんな連中と親しくするのか。
言ってみれば、リオの感情は失望なのだ。
「いやー思ってたよりいい人たちだったな」
ケンジが言った。
黙れ、と思った、頼むからもう喋るな。昨日のことをご機嫌で話せば話すほど、軽音部の褒めれば褒めるほど、リオの表情が曇っていく。
金曜日、心理学講義前。
サキノを除く、動画サークルのほぼ全員が一堂に会する時間だ。
履修登録的には一堂に会するべきなのだが、みんなこの講義はサボりまくっている。ケンジなんか、秋学期で初めての出席だ。
どういう気まぐれなのだ。サークルに関する重要な話でもあるのだろうか。
果たして正解は、中間テストの概要を聞きに来ただけだった。
「俺もすっげえ褒められた。自信になるからめっちゃありがたいよ」
笑顔で同調するのはカナトだ。さっきから鼻の下を伸ばして、Adobeのサイトをスクロールしていた。
よっぽどチヤホヤ褒められたのだろう。「プレミアプラン入れちゃおっかなー」と、ノリノリである。
「もう有料会員だよな?」
ケンジが言った。
「有料だけど、色々段階があるんだよ。俺らはいま一番安いやつ。でも、一気に最高級のやつにしちゃおっかなって」
「わお豪快」
「どうせサークル助成金出るんだろ? じゃあいいじゃん」
「じゃあいいよなー」
そう言って2人は声を上げて笑う。絵に描いたような浮かれっぷりだ。
正直羨ましい。ぼくだって素直に喜びたい。なんてったって、動画作ってくれと頼まれて、それがまあまあ成功して、飲みの席でたくさん褒められたのだ。
遠慮なく天狗になりたい気持ちはもちちろんある。
だが、リオはムスッとしているのだ。これじゃあ喜べない。ため息が出る。
いや違う。ぼくが喜べないのは、リオのせいじゃない。
煮え切れない思いがぼくの中にあって、彼女と同じような憤怒が、まだ燻ぶっているからだ。
もしかしたら、リオよりもよっぽど溜まっているかもしれない。
トイレで素直に頭を下げたユウスケを、バツが悪そうにしていた『歌い手もどき』を、許すべきではなかった。
青野や『ヤニネコ』を、少しでもいい人だと思った自分が腹立たしい。
「これからどうする?」
鼻を伸ばす彼らの会話に、ドン・キホーテさながらに割り込む。
少しでも気を紛らわせたいのと、話題を逸らしたかった。
「とりあえず俺が動画編集して、PV作る」
カナトが言った。心なしか、目を輝かせているように見える。
「『乱視ゼロコンマ』先輩に、色々教えてもらったんだ。試したいことがいっぱい」
「試したいこと?」
「ピンボケを上手く使って、被写界深度を浅く見せるんだよ」
「なるほどね」
本当はなんのこっちゃ分からなかった。
「これから依頼増えるかもな」
満足げな口ぶりでケンジが言った。
「増えたら、どうする?」
「受けるに決まってんだろ」
即答だった。
「全部受けるんだよ」
この意気込みは、きっと軽音部にチヤホヤされた余韻である。
時間が経てば熱は冷めていて、面倒くさがっているに違いない。
それでもどこか引っ掛かるのは、やはり軽音部である。一過性の情熱であっても、焚きつけたのは軽音部なのだ。
リオは何も言わないままだった。
☆
講義が終わって、ぼくとリオはデートのために抜け出した。
ケンジは何か言いたげだったが、リオが頑なに手を引くので、応じざるを得なかった。
「そんなにいい人たちだったの」
ワールドバザールを歩きながら、リオが言った。
しばらく答えに迷ったが、
「うん」
素直に頷くことにした。
「いい人なわけないじゃん。だって」
「分かってるよ」
言葉を先取りするみたいになって、リオは口をつぐんだ。
「分かってる。ぼくだって」
「じゃあどうして?」
「たぶん」
言葉を選ぶために、一拍置いた。だけど適切な言葉は見つからなかった。
けっきょくぼくは、素直に話すしかないのだ。
「ビビったんだと思う」
「ビビった?」
「あのときぼくらに絡んで来た、あいつ。顔を見るなり、ぼくのこと思い出して、『ごめん』て。謝られた」
「謝られて、許しちゃうんだ」
「許したくなかった。許すつもりなんて、全然なかった」
「ふうーん」
「だけど、怒る勇気もなかった」
リオと繋ぐ右手の指にはリングが嵌まっている。ゴツゴツした金属が、手のどこかに当たった。ぼくがヒンヤリと感じているのと同じように、リオの冷たく感じているのだ。
前髪をつまんで、捻じってみた。ワックスの付いた髪は、パリパリと鋭い。独特の匂いが鼻を突く。この匂いを纏えば強くなれると思っていたが、そんなことはなかったのだ。
ぼくらは南口の喫茶店に入った。
苦いブレンドコーヒーを売っている、テラス席のある店だ。
大通りに面した席で、ぼくとリオは温かいカフェラテを飲んだ。
ラテを啜って体の芯から温まりながら、いつの間にか秋になっている、と思った。こんな風にして、大学4年間は過ぎていくのだろうか。だとしたら、うかうかしていられない。
「どうするの?」
「軽音部に殴り込みにいけって?」
「そんなこと、言ってないじゃん」
「分かってる。だけど、別の方法で見返したい」
「別の方法って、やっぱり宮本アスカのやつ?」
ゆっくりと首を縦に振る。
それと同時、スマホが着信を鳴らした。カナトだった。
受話ボタンをタップすると、「もしもし」と出る間もなく、
『なんだよ、宮本アスカのスキャンダルって』
「え?」
『何やってんだよ、俺たちに黙って』
言葉が出なかった。
泳いだ末に、視線はリオの目を捉える。目線だけで「どうしたの?」と訊ねられた。
「宮本アスカのスキャンダルって、どこで知ったわけ?」
リオがカフェラテを啜る音がした。
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