第29話
ぼくとケンジが向かったのは、新聞部ではなく、『マトリョーシカ』だった。
店内には、既にサキノがいて、ぼくらを見るなり「遅いよ」と告げた。
「宮本アスカのこと。話進んだ?」
席に着いて、店主にコーヒーとルイボスティーを頼んで、ケンジが切り出す。
サキノは首を横に振った
「ミナガワ先輩に唆してみたけど、手応えなし。それどころか、なんか宥められちゃった」
「宥められた?」
「『関わらない方がいいこともあるよ』って。何か、感づいてるかも」
「感づいてるよ」
ケンジが食堂でのことを話すと、サキノはため息をついた。
「やっぱりね」
「ミナガワ先輩にはしばらく注意だなあ」
「ねえリオくんはさ、何か宮本アスカのその後知らないの?」
話を振られて、首を左右に振る。
そっかー、とサキノが落胆を口にした後で、眉をひそめた。
「なんか元気なくない?」
「放っといて」
ぼくの代わりに、ケンジが言った。
放っておかれるのも癪な感じがしたが、あれこれ聞かれるのも億劫かもしれない。
「何かあったの?」
「別に」
ようやく出た言葉が、突き放すように冷たかったので、後から「大したことじゃないよ」と付け加えた。
「ねえ、気になる。大丈夫なの?」
「サキノ」
食い下がる彼女を、ケンジが制した。珍しく真面目な声色だ。
「まあ、いいけど」
サキノはなおも不服そうだたが、ひとまずは引き下がった。そして、抗議の代わりなのか、音を立てて水を飲んだ。
「静かに飲めよ」
「いいの!」
ふん、と明らかに機嫌を損ねているので、やはり抗議なのかもしれない。
「それで、どうするよ。宮本アスカ大作戦」
ケンジが切り出す。
「そんな短い名前だったっけ?」
「何でもいいんだよ。で、いつ撮りにいく」
「そもそも、何を撮るかだよ」
サキノがテーブルの上で両手を組んだ。考え込むように視線を下げて、押し黙る。
「宮本アスカが、密会してるところを撮れれば、万々歳だよな」
「そんな簡単に……いや、撮れるのか」
思い直して、言葉を変えた。
そうだ、意外とガードは緩いのだ。タレントのゴシップなんて、滅多に見られないものだと思っていた。だがぼくは見てしまったのだ。豊洲でまあまあ堂々といちゃいちゃしている現場を。
「とりあえず、豊洲の辺りを張り込んでみよう」
「張り込み?」
当然のようにサキノが言う言葉を、反射的に復唱した。
「うん。こういうの、取材の基本」
「だって、『乱視ゼロコンマ』をキャンパスで探すのとは……」
「一緒だよ」
「うーん、結局中田先輩を見つけたのも、張り込みじゃあないしなあ」
ケンジも乗り気ではないようだが、サキノは折れない。
「他に方法はある?」
もちろん、ない。
☆
早速ぼくらは豊洲を張り込んだ。
3人で散り散りに、ららぽぽーとを巡る。敷地は広いので、とても1人では回り切れない。
効果を上げるとは思えなかった。それ以上に、効果を上げる方法が思いつかなかった。時間の無駄だとは思っても、時間を有効に使う手立てを知らないのだ。
ぼくの担当は屋外だった。リオと歩いたウッドデッキを中心に、海風の吹く道を延々歩くのだ。手には常にスマホを持っている。見つけ次第、2人に連絡する。そしてビデオを撮る。
準備ばかり練っていて、やっていることはただの散歩だった。
しばらく歩いてすぐに、馬鹿らしくなった。
手すりにもたれて、海を眺めていると、様々な思いが頭を巡った。
『お前は口先ばっかりで、何もしてないくせに、偉そうなんだよ』
カナトの言葉が、真っ先に浮かんだ。
その通りかもしれないな、という思いは、なくもない。たしかにぼくは、何もしていないかもしれない。
だが、それがどうした? 何もしていないより何かしている方が偉い、というのは、耳障りの言い名言風でしかない。
何かしている人の、何か、が結果的に何の価値も生まなければ、それは何もしていないのと一緒である。
それに気づているのはぼくだけなのだ。
動画を作れば、陰キャ扱い。『乱視ゼロコンマ』の正体を暴いて撮影に協力しても、ぼくらは所詮キャンパス内の有名人留まり。軽音部の楽曲は薄っぺらい。みんな大学デビューしている。大学生ほど、大学生を馬鹿にする。
海から来る風が冷たくて、ひとりでに「さむい」と呟いた。風が口を動かしたみたいだった。
意図してない言葉が出てくることが多い。これはいけない。
ため息交じりに「暇だ」と呟いた。そのとき、着信音がなった。ケンジからだ。
『どうよ?』
電話に出るなり、彼の声がする。
「いない」
正直に短く答える。
『それもだけど、気分は?』
「気分?」
『まだ凹んでるかなーって』
「凹んでねえよ」
『ならいいけど。この後、どうせ暇だろ? いおり行こうぜ』
「いいよ。それより、そっちは見つけたの?」
『見つかるわけねえだろ』
「見つかるわけねえだろって……」
『いいんだよ。これから本気で探すから』
そこで電話は切れた。
これから本気で。ぼくも、本気で探してみようと思った。本気を出すなら、例えば、宮本アスカの所属事務所に電話を掛けるとか、直接行ってみるとか。
本気を出すって、そういうことだと思った。
思い立つや否や、宮本アスカを検索する。所属事務所のサイトが表示される。事務所の電話番号が載っているので、その番号を押す。
入力して、後は発信するだけ。
番号を見つめながら、ひと呼吸置いた。引き返すなら今だ。今だが、引き返すつもりはない。
深呼吸して、発信ボタンを押そうとしたと同時。
「夏川李央くん?」
背後から声を掛けれた。
振り向くと、スーツ姿の初老の男が至近距離に立っている。思わず仰け反ってしまうくらいの距離だった。
「はい?」
返事する声が上ずって、疑問形みたいになった。実際に疑問だった。
どうしてこの人は、ぼくの名前を知っているんだろう。
見たことのある男だった。だけど、どこで見たのか思い出せない。
スーツを着た、初老の男。
あれは、たしか――
「はじめまして。宮本アスカのマネージャーをしています、
「あ、はい! どうも……」
「さっそく本題なんだけど、この前私たちのこと見てたよね?」
切り出す高崎は、これ以上ないくらい満面の笑みを、顔いっぱいに貼り付けていた。
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